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表情を見て、心の状態を見る。

相手の心を知るには、相手の表情で確認するしか方法はなかった。

人の共感能力は、五感で感じ取っているのだから。

自身の心の状態を表現するには、態度で表さなければ、相手には伝わらない。人は物理的な要素で、相手の心理を直感的に判別するしか方法はないのだと思う。

人は完璧だと言えるほどに出来てはいない。テレパシーなどは使えない。意思を電波に乗せて飛ばすことも、飛ばされた電波をキャッチすることも出来なくて。相手の心の奥底なんか、見える事もなく、自身の捉え方で変化する。その正確さは、完璧と言うには欠けている。

相手が発した、言葉や、表情、声のトーン、小さな仕草の変化から相手の心を、自分勝手にイメージして想像して作り出していた。相手の心を見るには相手の発した表現から。相手の見せた仕草で心理を、自己解釈で上手く相手の答えに寄せなければならない。

とてもシンプルに見えて、やはり相手の心をピタリと読むには苦労でしかない。言葉は、伝える事にはとても便利だが。人は現状の心情とは違った言葉も多用してしまう。そんな時に、心から伸びる、表現の糸は複雑にも絡まっていて、読み解き、ほどく事は困難になって。

見える物だけでは、相手の心なんて簡単に読めるものでは無かったのだ。心を固く閉ざした相手の状態に、入り込む事は出来ずに。自分を表現しない相手に、人は共感が出来なくて、無表情の相手は喜んでいるようには見えず。何をも見せない相手の心は知ろうとしても、分からないのだから。

分かったフリして寄り添っている事自体、相手には不快に取られてしまう。大体、表情を見て読んで判断するのだから、その作業は自己解釈にすぎない。相手の態度に自問自答を繰り返し。完璧な相手の答えは、相手だけが感じていて。人間関係なんて間違える事は当たり前で、でも間違えれば相手の機嫌は損ねられるだろうな。

人の心を読む能力ってものは、皆、同じ力量でもなかったのだ。そこにも、個人差という、ズレがあるように感じていた。同じ人間であるはずなのに、何処か上手く相手の心理を読むことを苦手とする人がいた。

人間は、他の生き物に比べて共感能力が優れているのだと、聞いていたけれど。人間界の中だからこそ、人間同士だからこそ。他の生き物より優れていたとしても、個人差という共感能力の強弱が生まれてしまっている。

読めないという事が、人間関係に悩む原因の一つになっている。

もしかすると、本当はとても心が優しい人だったとしても。共感性に欠けている為に「相手の気持ちが分からない奴」だと非難されているのかもしれない。

相手の心を読むことが苦手な人は、見当違いな会話をしてしまう。一番恵まれていないのは、人からは好かれたいのだが、人間関係が上手くいかない人である。好かれたいのに、相手の心の存在に察しが付かず。自分の心情の事ばかりで話しかけて、結果相手は引いてしまう。本人は、そんな原因の分からない、破滅的な人間関係を繰り返してしまい。最終的に自身の心は荒んでいく、当たり前だ。

共感能力とは人間関係での円滑化を図るもので。摩擦が多ければ、多いほど、自身の心も、相手の心もすり減らす事になる。

何が相手から好まれた行為なのか。相手の心が読めない為に、自分の溢れる心情を、相手に注ぐ事だけに偏ってしまっていて。自分の心は満たされないままで、相手の心は溜まりに溜まり、いずれ爆発する。

好まれる為には、相手の心理も読まなければならない。誰だって、人から評価をされ、好まれたいのだけど。初めは相手を知る作業から始めなければならないのに、初めから自分を知らせる作業から始まってしまう。

これらは、一種の偏りなのだ。

そして心を読む事だけが必要なのではない。自分の心理状態を表現することでさえが必要であった。相手を読んでばかりでも居られない。自己開示の下手な人もいた、それは共感能力の高い人には起こりがちで。自身の心情を表現する事が困難だったりする、そう言った偏りでさえも人とのズレを作った。

共感能力は、ほどほどが最も人間的に良いと思う。

優劣とは、どちらも偏りでしかない。

人間関係にはバランスが大切だったから、読む力も、表現する力も、生きていく上で相手とのコミュニケーションとしてバランスの良い両立が必要だったのだ。いくら相手の心が読めすぎて傷つけないよう、合わせていた所でも、自分の意思が無いと言われ非難され。いくら自分の表現ばかり出来たところでも、自分勝手な人だと非難され。

相手を読む事に特化していたとしても、自身を表現する事には欠けている為に悩んで。自分の表現ばかりしていた所で、相手を読む力に欠けていて、身の周りから人が遠ざかり悩みはじめる。

相手の話を聞き、相手の心を知りそれに頷き。自分の話をして、自分を知ってもらう。とても単純な作業に見えて、複雑な作業で。複雑なバランスで。ただ、普通の人はその作業を簡単にこなしているように見えて、普通で有る事が一番人間として完璧であるのだと知る。普通こそが人として出来ていて、偏りがなく上手く生きていけているような気がして。

実際、心が透けて見えるのならどれほど楽なのだろうと考えるが。心理を完璧に読めるようになってしまったら。今より更に、傷つく者も増えるのだろう。優しい嘘ですら、この世の中には存在してある。

伝えなくていい事は、心の中に隠したままで表に出さず、表現などもしなくていい。心の奥底に芽生える黒い部分は曝け出さなくていい。相手の気持ちを上手く読み取れる人は、相手の為を思い、自身の心の黒い部分を上手く隠し。心理と表現を乖離させていた。心理を偽ることですら、相手の為になっているのだ。

この世では、心理状態を示す事を。自身での判別が出来ている。

わざと、相手に読ませない事も出来たのだ。

心が読めないことに悩んだりもするが、完璧に心が読めすぎると悩む事も増えるのだと思う。現代でこうして表情を見て、相手の心理を読んで。そうして人間らしくコミュニケーションを取れる、「心情の具現化」この形が。

一番、理にかなっているのかもしれない。

心理とは。近すぎず、遠すぎることもなく。見え隠れして、見せる事も見せない事も出来て。共感力の個人差で、個性を作り出されて。心理と表情の境目には、ヘダたりがあるからこそ、平坦な社会ではなく、複雑化した社会に成り立たせている。

読める事は、時に、便利だろう。
読めない事も、時に、便利だろう。

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