誰かを嫉妬させたがって、苦い顔を拝んで。
恋愛なんかしていたら、嫉妬させたくなる瞬間があったりする。
他人の嫉妬感情に、意味を感じないのなら。当然、誰だってその感情には触れないように避けて行動するだろう。
それでも誰かを嫉妬させたくなるのは、他人が自分に執着してくれている姿でも拝んでいたいからだ。誰だって、自分から働きかけるよりも、誰からか働きかけてくれるのを望んでるよう。"愛されている状態"、そんな自分を安心させてくれる材料を、誰かが自分に対して執着してる心理からむしり取るようにして。
会話の中で、ほんの僅かに匂わせるような言葉を混ぜこんで。そんな、僅かに匂わせた言葉からでも人は、悪い方向への妄想をよくするから。相手が勝手に不安感を膨大に膨らませるように、そんな言葉を仕掛けて嫉妬をさせるようにする。
嫉妬をさせるのなんて、他人が気に食わなく感じる行いを、あえて他人気づかれるように行うものだけど。他人に気づかれるようには行うにしても、それについて当の本人には、全くの悪意や、自覚症状がなかったように振る舞わなければならない。
なぜなら悪意を持ってソレをやってしまうと、反省するべき責任を負うのは嫉妬させた側の当事者にかかるからだ。
側から見たとき、嫉妬させている人が、少し鼻につくように感じた気がするのは。そうして抱いているはずの見せない悪意と、白々しい顔をしたままを貫いている姿勢があるからで。悪意なんてなさそうな態度の中にも、他人が嫌に感じるであろうことを理解していながら、それでも、あえて行なう行為だからであって。そこには、悪意も見せず、責任も負わず、反省する気持ちさえ、見せない表面から、人の気に触るのだろうと思う。
あくまでも、嫉妬させるのに自分が悪者ではいけないのだ。感情は爆発させた方が可笑しく見えてしまう。
良く思われないと分かっているはずでも、自分が"愛されている証拠"、それだけが欲しいが為に、他人の中から無理矢理にでも不純物のような感情を引き出して、見てみたい証拠となる感情が拝められるように仕向けているから。あんまり好まれる行為では無いのだと思う。
でも、そんな「嫉妬させたいんだろうな」っていう自分の悪意に気づかれてしまうと。それで変に人間関係を、拗らせるだけのもの。
嫉妬させることによって手に入れられるのって、結局自分の為に用意された嫉妬の感情なんだろうけど。そうして手に入れた嫉妬されている状況が欲しくなるのは、"自分は愛されているのだ"という状態を物理的に味わうために、嫉妬は便利な道具として思っているからで。
そういうマイナスな感情でさえ、恋愛関係なんかには付属品としてあるから。そういう他者のマイナスの恋愛感情の要素なんてものも、自分にとってプラスの影響に変わって感じてしまうほど。ただ単に、どのような形であれ、人からは愛されて、必要とでもされていたいんだろう。
誰かを嫉妬させたくなるのは、自信がないからだとか聞くけど。そこには、自分に向けられている好意が在ることを、知っているから出来るのであって。自覚があるからこそ、確認するためだけに使われるのが厄介に思えてくる。あくまでも加害者ではないふりをして、そうした無責任の立場を上手く使い利用している面が、他人が感じる気に食わなさを生み出しているのかもしれない。
愛されている自覚を得るのに、表向きな感情よりも。裏向きの感情を得られる方が幸せだと感じるからこそ、誰かを嫉妬させていたくなるのだろうけど。
そうした嫉妬で補う恋愛の感覚は、短期的な例ばかりで、必要性はどこにもないのだとは思う。
ただ、嫉妬されることで嬉しく思えるのは、恋愛くらいだろうなと感じた。
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