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誰もが何らかの生きづらさを持っている。

障害の有無に関わらず、どんな人も大なり小なり生きづらさを抱えているんじゃないだろうか。
どんなに幸せそうに見える人であっても。
わたしはそう思っている派です。

わたし自身も、他人から見てどうかは分からないが生きづらさを持っています。

他人の生きづらさに気づけるかは簡単なことではありません。
地道な関わりの中で100のうちの1つに気づき、寄り添えるかどうか。
そんな姿勢であるか。
それを自己点検しつつ、日々過ごしています。


最近、わたしが担当させていただいている方を通して、

『その人の生きづらさ、言葉にならない思いを体験することができているのだろうか?』

と問いを自分に投げかけていることを発見したので、このテーマについてわたしのことを何か書いてみようと思い、noteを開いてみます。

①子どもの頃抱えていた生きづらさ

わたし自身は、自己紹介にも書いたように兄弟がいます。子どもの頃はこの「長男」という役割が自分のアイデンティティだとする反面、生きづらさを感じていました。

今では当時ほど振り回されることはありませんが、大抵の場合兄弟とは子どもの頃中学生までは同じコミュニティの中で生きていますよね。
わたしもその大抵の中の1人でした。

親から求められているであろう長男像との葛藤。
下の子には下の子の葛藤があるでしょうけれどね。

弟や妹が辛そうな時、しっかりしろよという気持ちと大丈夫かという気持ち。
両親の顔色を見る。

長男って、バランスとらないといけないって勝手に使命みたいに感じて日々を過ごしていました。
驕りにも、家族を陰ながら支えてるのは自分なんだって言い聞かせていましたね。
そうしていないと、何だか損な役回りな気がしていたのです。

学校では家族の中で果たす役割から開放されますが、個性派集団の学校では、わたしはこれと言った特徴のない生徒。
背の順はいつも先頭かあるいは前から数えて5番目位までのどこか。人を見上げてばかり。見下ろされてばかり。

勉強も平均的だし、運動神経は平均以下。
目も悪いし、喘息を持っていて、ピーナッツアレルギーを持っている。

秀でたものもなく、どちらかと言えば(少なくとも自分の体験は)落ち込ぼれ。

頑張れど人並みに出来るかどうか。

秀でるものがないので、どれだけ好きでいようとも、あまり熱意が伝わらないなと両親に対して感じていました。
『大変なのは分かるけどたまには自分のために、大変さを越えて協力してくれよ...』
なんてこととか胸に秘めてました。

小学生の低学年の頃は朝になると腹痛。給食の牛乳が幼稚園の頃のトラウマで飲めないから、どうやって飲まなずにやり過ごせるか。今思えばかなりの期間休んでいました。何とか休みを勝ち取ると、安堵と共に、親への申し訳なさ。迎えに来てくれた友達も居て、その子にも悪い気持ち。
「牛乳が飲めない」ただそれだけのことで1年以上不登校のような状態をつくるほど、学校は生きづらかったです。

小学校3年生の頃には完全に学校へ行けるようになったものの、容姿的に弱く見えたのでしょう。
今思えば虐めと言って良かったんだと思いますが、受けていた時期もあります。

学校でも、役に立つ自分でいないと、誰とも関われないんじゃないかっていう風な思いをどっか持ちながら、気づいたら「良い人」「優しい人」キャラクターが出来上がっていました。

でも、そんなキャラクターは大抵ドラマの脇役的な存在。自分が主人公になることは世の中ではないんだろうなと思っていましたね。

そんなわたしが成長し、客観的には割と、親目線からしたら手のかからない子どもで居られた方だと思います。

県立高校を卒業し、私立ではありましたが大学を指定校推薦で受験。塾には3年間一切行かず、1か所のみの受験料。お金も最小限。

無利子の奨学金を借りて、お金もないからバイトして交通費と生活費を稼ぎ卒業しました。本当は大学近くで1人暮らししてみたかったけど4年間2時間半かけて通学していました。

世の中にはもっと必死な思いで大学へ行き学ぶために、努力している人たちがいることも知っていますが、比較はしません。比較することに意味はありません。

わたしの中では、中々頑張っていたのではないかと今、当時のわたしを見ていたら伝えてあげたいと思います。


②社会人になってからの生きづらさ

<過度に落ち込みやすい>
この仕事を始めたばかりの頃、利用者さんから「自分たちのお陰でご飯食べてるんだからさ...」なんて言われることがありました。
相手の方も当時余裕がない状況がありました。

それだけがその人の本意ではないだろうということは頭では分かっていても、そういう風に思われているのか…と言葉のままに聞いてしまう癖があるのでいちいちドヨンとしていました。

わたしはこの仕事を始めた時に抱いていた思いとしては、こんなものがありました。

「いずれはこうした仕事が無くなっても、人々が自分の属するコミュニティの中で心身の健康を思いやり相互扶助で解消されていく未来を目指したい。自分たちのおかげで食べられてるんだろう?と思われないように、この仕事が例えボランティア活動になったとしても生きていけるようになろう。」

そんな思いでやっていました。

「こうでなければならない」「こうでありたい」とは真逆の言葉をいただく度、ギャップを感じ過度に落ち込みました。
思いっきり自分矢印ですね。
そういう面倒臭い特性(生きづらさ)を持っています。

医療相談室に初期の頃、今振り返れば明確ですがわたしは当時軽い抑うつ状態だったのではないかと思います。
周りからフォローしてもらっても、中々起動修正できませんでした。

<対人緊張>
それから、自己主張が求められるような席が苦手です。
ソーシャルワーカーという、人と人を繋いでいく仕事、社会に働きかけていく仕事において致命的です。
これは子供の頃の体験が足を引っ張っています。
主張しても、すんなり応援されないという風に感じてしまった体験が一つの原因だと思いますが、発言する=否定されるという思考が強く今でもそれは苦です。

何かは頭の中にはあるのですが、そもそも思考がまとまらなかったりして、何か言いたいとは思うけれど、発することができない。極度に緊張してしまうんですよね。
認知行動療法的に言う、受信処理送信のステップで言えばわたしは本当にトレーニングが必要だと自覚しています。

<注意力散漫>
「しっかりしている」と言われます。
自分でも「しっかりしようとする」という気持ちは強い方だと理解しています。

ですが、それだけ気を張っている割には、ちょっとしたところで結構抜け漏れがあって「ああ….」となってしまうことが多いです。

子どもの頃より、社会人になってから実感することが増えました。

気になることがあると、全てやりかけ。
みたいなことがあります。
幸い大きな事故にはなっていないのですが、今後心配もあります。

特性かもしれないと自覚し始めた時は欠陥のように捉えていました。
ADHD気質があるのかも…と最近ただ単にそう思うようになってきました。

③この仕事に関わり続けられることの恩恵

わたしがこの仕事に関わり続けられていることから、もらっているギフトがあります。
それは生きづらさを誰しもが抱えていること。
そして1人で何でもできる必要はないこと。

利用者さんに全て自分でやれるようになることが自立ではないと言っています。
それを言葉にする度に、わたし自身に対しても言っています。

1人で完全に生きている人などいない。
必ず何かの資源を活用しています。
生きるってそういうこと。

利用者さんにそう言いながら、自分も1人で何でもやれるようになることが一人前としていました。
利用者さんに伝えていることと一貫性がありませんよね。笑えます。

もちろん、そうなれるように努力すること、大切です。
でも、1人でできることはやっぱり限界があります。体を見てもそれは明確です。

腕は2本しかありませんし、指は10本しかありません。
足も2本しかありませんし、口は1つです。

生きづらさは誰もが持っている。
それでいい。
そして、生きづらさをそのままにして、人や物、サービスを使い倒したらいいのだ。

この仕事を始めた頃と比べたら、今のわたしは格段にHelpを求められるようになりました。
他者と比較したら、まだまだって言われますよ、今だに苦笑。
でもかつてのわたしからしたら、言えるようになっているのはこの仕事に関わり続けてるから。
「そうだよな、まだまだだよな」ではなく、わたしがそう認めることができてるなら、それで良いと思ってます。

一線を越えるとリカバリーが容易ではなくなる。
一線の位置はそれぞれ違うけれど、どんな人もそんな限界点を人はそれぞれ持っている。
この仕事を通じて学びました。

人を応援し続けられるわたしで居るために、わたし自身を大切にすることを悪とせずにいられるようになったのは、これまで関わってくださった全ての人たちから贈られたギフトだと、思っています。

「生きづらさ」はおそらく無くなりません。
でも、それを少しでも今より小さく存在させることはきっと、できるんじゃないかって思います。


そしてその始まりは、

『自分はそういうものを持っているんだな。だから何だよ。』

っていうくらいドンと構えて、わたし自身が認めるところから始まるのかなって思います。

冒頭に述べた、今わたしが担当させていただいてる利用者さん。その人の生きづらさをどうにもしてあげることはわたしにはおそらく出来ないでしょう。

わたしができるのはその生きづらさに萎えそうになる心に少しでも触れて、その人の力づけになる何かを見つける作業を今精一杯すること。

わたしもその人の生きづらさに触れることに失敗し続けています。萎える心もあります。
でもわたしが諦めずに関わる姿勢を表現し続けることがその人が日常で直面している生きづらさと共存する活力に少しでも繋がることを信じて、声をかけ続けます。

タイトルと末尾の結びの意図が、少しズレてしまったかもしれません...。
が、「何かを書いてみよう」という趣旨でこの記事が始まりましたので、ご容赦ください。


わたしの他愛のない生きづらさシェアと今担当している利用者さんに対してのわたしの姿勢(表明)を聞いてくださってありがとうございます。


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