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選択

 noteで記事を執筆し始めて1か月近い日々が経とうとしている。この記事で雑記系のブログは15本目になるらしい。そして、15本目にして初めてハッシュタグのイベント(?)的なものに参加してみる。

 人生かれこれ18年、一体どれほどの選択をしてきただろうか。進学先はどうするか、部活はどうするか、塾はどうするか、習い事をするか、辞めるか…大きな選択はそのあたりだろうか。他にも、毎日の服はどうするか、今日の献立は何にするか、バイトのシフトはどうするか、イベントに参加するのかしないのか、今日の髪形やメイクはどうするか、そういった細かいことも含めるのであればもはや選択をしない日というのは存在しない。人生というのは細かい選択の積み重ねだと言っても過言ではないのかもしれない。

 ところで今回のテーマは「自分で選んでよかったこと」だったか。直近の一大の選択と言えば、やはり大学進学に向けた選択の話だと思うので、今回はその辺をメインに語って(綴って)行こうかと思う。

 結論から言えば、私の進路選択というのは人生で一番と言えるほど成功した選択だったと思う。
 中学生の時は当時見ていた「半沢直樹」や「リーガルハイ」の影響を受けて経済学部や法学部に興味を持っていた。本当にチョロいものである。

(ところで話は逸れますが、リーガルハイは私が今まで見てきたドラマの中で一番好きなのですが、草の者が本当に草の者になってしまったせいで今再放送とかやってないんですね。個人的には今のこのご時世だからこそ色々な人に薦めたいドラマなのですが…あれほど痛快なドラマというのも他に知らないです)

まあ()内は無視するとして、当時の自分は数学が苦手だったこともあって自分は文系に進むのだろうと漠然と思っていた節があった。それが高校生になって化学の面白さに目覚め、苦手だと思い込んでいたはずの数学の成績が都合よく伸び始めた。理系という選択肢が見え始めたのである。とはいえ、その当時は文系の学問も面白そうだなと思っていたのと、なんと視野の狭いことか、理系に進んだら研究必至だと勝手に思い込んでおり、三日坊主も真っ青なほどの飽き性である自分に研究なんて無理でしょ、と思っていた。だが、せっかく面白さに気づくことのできた化学を手放すことに未練があり、数学という理系のハードルも消えたことから、結局理系を選択した。文理選択後、物理や数学はもちろん、決め手になったはずの化学にも散々苦しめられたが、それでも何とか理系で頑張ることができ、無事第一志望に合格できた。

 随分と長文の自分語りが垂れ流されてしまったが…傍から見ればかなり恵まれていたのだと思う。幸いなことに、進路の希望や志望校を親に伝えた時、親は何の反対もしなかった。親と進路選択で揉める、といった話も少なからず聞いていたため、自分の希望通りの進路を歩ませてくれた親には本当に感謝の思いでいっぱいである。


 さて、今の私は現在高校時の進路選択に大いに満足しているが、仮にあの時文系を選択していたら激しく後悔していたかと問われると疑問である。というのも、選択が正しかったのか正しくなかったのかが分かるのはずっと後の話だからだ。要は、結果論になってしまうのである。
 もし私があの時物理や数学に苦しめられたまま抜け出せなかったら、第一志望はおろか全落ちとなったら、恐らく後悔しているだろうなと思う。

 選ぶというのはすなわち捨てることに等しいことであり、極力選択肢を絞っても絞っても最後の2択で迷うということなんていくらでもあるだろう。センター試験や共通テストで最後2択まで絞ったのに、最後の2択の選択を失敗して失点したということを今までどれほどの受験生が何度経験したことだろうか。いや、センター試験や共通テストはそう長くない時間のうちに選択が正解か不正解か分かるからまだマシなのかもしれない。人生における選択では、正しい正しくないが断定できるものは相当稀だと思う。

 あの日の選択が正しかったのかどうかは、結局未来の自分にしか分からない。今は正しかったと言えることが未来の自分にとっては後悔にしかなっていないのかもしれない。でも、先行きの見えない状態でも人間は多々選択を迫られる。じゃあ、そんな選択を迫られたらどのような基準で選べばよいのだろうか。

 ここから先は、あくまで個人の見解である。

 正直、大半の選択においては、どちらの選択肢を選んでもそう変わらないと思っている。文系を選ぼうが理系を選ぼうがどちらを選んだとて後々の結果次第で後悔していたかもしれないし、満足していたかもしれない。そう、その後次第なのである。私が理系を選んで満足しているのは、周りに恵まれたからだとか教科との相性が良かったとか色々理由をつけることはできるかもしれないが、結局は一重に理系を選んだという選択を受け入れ、どんな試練に対しても必ず乗り越えるという覚悟ができており、そのためにそれなりに努力を重ねたからだろう。仮に選択の後にやっぱり文系にすればよかったとくよくよ悩んだり、必要な勉強をサボったりしたら、確実に後悔していただろうし今のような満足は到底手に入れられないに違いない。事実、私は部活という中高生時代の選択をサボりたがりの精神と得られなかった達成感によってドブに捨てた。人生はやったことの後悔よりやらなかったことの後悔の方が大きいというのはよく聞く話だが、本当にその通りだと思う。実際、私の人生における後悔は努力できなかったとか、めんどくさがってやらなかったとか、そんなことばかりだ。

 長くなってしまったが、どうしても選択を迷ったら。
 最後は心がより躍るような選択肢を選ぶべきだと思う。
 脳は冷静であるがゆえに余計な情報を仕入れてくるものだ。覚悟が決まっているのであれば、努力を重ねられるほど面白いものであれば、どんな苦難にぶつかっても乗り越えられる。数々の挫折を経験し、ボロボロに疲弊した心身を引き摺りながら、必死に抗い続ける。そんな人生はなかなか刺激的だし、恵まれすぎて苦労が減った今の我々には感じにくくなってしまった生きていく意味というのを見つけられるのではないだろうか。綺麗事だと笑い者にする人間なんて眼中に入らないほどに無我夢中で日々を送ることができたなら、積み重なった人生は他の誰とも交換したくないほどに価値のあるものになると信じている。

 それが今の私が下した選択。他人の目を盗んで手を抜き、人目につかないような場所から羨ましいほどにキラキラした人生を送る様々な人を妬んでいたあの頃の自分とはもう違う。死の間際の自分に「この人生を歩んで、この選択をしてよかった」と絶対に言わせてみせる。

 この世にもし神様がいるのならば、そんな私を見守ってほしいです。


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