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この本は次世代につなげられるだろうか。

東京は家の中に文化がない という記事を読んだ。
都内の極小住宅には、本棚や絵を飾るスペース、ピアノを置く場所がないという。内容自体には賛否あるが、私は以下の部分には共感した。

個人として文化を深く楽しむにはモノが必要だし、それを子供に伝えるにもモノが必要。モノがいつでも目の前にある、手で触れることができる環境は文化への距離を縮めてくれている。だから私は家にモノを置きたい。

記事より

ミニマリズムなシンプルで質素な生活もいいが、ある程度の雑多は必要なのではと感じる。冒頭の記事を読んで、ふと思い出したのは叔父のことだ。

私は母方の叔父がいて、42歳という若さで亡くなってしまった。叔父の部屋が好きだった。ノベルティの灰皿や外国のコイン、ヴィンテージの古着、洋楽のCDやレコード、そして古本。いろんなものが置いてあった。子どもながらにセンスが良いなと思っていた。
叔父が亡くなった後、私は中学生になった。御多分に洩れず多感な時期を過ごした。ある日、叔父の部屋に入った。遺産と呼べるものは処分していたのか、がらんとしていた。それでも棚の中に、古本がずらっと並んでいた。当時PHP文庫から出ていた中谷彰宏さんの本が20冊くらいあっただろうか。
なんの本だろうと思ってページをめくってみると、心の琴線に触れる素晴らしい文章がたくさんあった。日が暮れるまで夢中になって読んだ記憶がある。中谷彰宏さんの本を持ち帰って、自宅の部屋でもう一度読んだ。今でも大切にしている。
当時漠然と悩んでいたことや、言語化できないもやもやしたものが、次第に消えていった。本の力はすごいと思った瞬間だった。

あれからというもの、私の人生には本が常にあった。本に助けられた場面が何度もある。本が自分を正しく導いてくれたとも言える。

「この本は次世代につなげられるだろうか。」

私の仕事部屋兼書斎には、本棚がある。祖父母が残してくれた古い本棚に本を無造作に並べている。だいたい500冊くらいだろうか。
数年に一度いっぺんに売って、また買い直すという作業を幾度かしていたが、ここ最近は落ち着いている。本屋は相変わらず好きで、散歩して本屋にあたれば必ず寄る。古本屋巡りは生涯の趣味になりそうだ。ネットでも買うようになったが、選書の際、ふと叔父と自分の過去を思い出すことがある。
私が叔父がたまたま残した本に触れて感動したように、私も自分の子どもや姪っ子に「本とたまたま出会うきっかけ」を残してあげたいと思うようになった。1歳の娘と5歳の姪っ子が成長して、たまたま私の書斎を訪れて本を手に取り、気に入った本を持ち帰る想像をしたりする。
自分が純粋に本棚を眺めているのが好きというのは置いておいて、最近そんなことを思いながら本を買っている。

ものを多く持っていても仕方ない。絶対的に少ないほうがいい。それはもう我が家でも共通認識になっている。
それでも、「意識的な雑多」を作り出すようにしている。こどもの目線からしたら宝物のようなものがきっとあるからだ。物を捨てるとき、自分の思い入れや市場価値のことなどを考えずに「次世代の子たちがこれに触れたらどう思うだろうか」という視点を混ぜ込むことで、また違った意味合いでものを選ぶことができる。

何を捨てて何を残すべきだろうかと迷った時には、「これらは次世代につなげられるだろうか」という視点で、子どもが興味を持ちそうなものを随所に散りばめておく。そんなことを最近考えている。

自分の子どもや身内だけでなく、次世代を担う子たちが手にしたり触れるきっかけを作れたらいいなとも思っている。

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