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私とおばあちゃんの距離が近づいた

お正月と夏休み、年に2回
祖母と会うのはそれだけだった。
何となく顔を合わせると気まずくて、どこまでの距離感で話していいのかわからなかった。


私的には、自分の祖母(母方)とそこまで仲良くないと思っている。理由はいくつか。

・私の両親は上京しており、祖母とは帰省で年に2回会う程度だった。おばあちゃんというより親戚の人。

・会える時も、私の姉や他の従姉妹がいて、しかも一個下の甘え上手な従姉妹や、しっかりものの年上の従兄弟に挟まれていたので、二人で話す機会なんてなかった。

・子供の頃、家ではワガママで、それを姉に暴露されていたので母方の祖母の家は何となく苦手だったりする。

そんな経緯があり、何となく話しにくかった。


私の祖母は「生花の先生」。だけど、それ以上に聞くことはない。他の従兄弟がいる中で、踏み込んで話を聞くのがとても恥ずかしかったし。祖母のことを全然知らなかった。



 

そんな私だったが、大学の授業でインタビューをするという課題が出た。丁度、祖母の家に行くタイミングだったことと、生花の先生なんて周りにいる人が少ないからインタビュー相手に丁度いいやなんて、何となくで決めた。
構成もうまく出来ないまま、とりあえず祖母の生花を始めたきっかけでも聞いて、まとめて終わりにしようなんて軽い気持ちでインタビューをした。

祖母に電話をかけてインタビューを取り付けた時が一番緊張した。学科の子達が聞きたいからとか色んな理由をつけた。心なしか祖母の声が高く安心した。

実際にインタビューをする日になった。他の従兄弟がいる中で、軽く話を聞いていたが、これじゃあ、インタビューにならない。ちょっと違う場所でやりたいと言ったら、すぐに移動してくれた。そして、ちゃんとした場所で、花があったほうがいいんじゃない?なんて言われて、画面に入る位置に花を置いた。

インタビューを始めると生花を始めたきっかけや想いを語ってくれた。私が見ていた祖母ではなく、一人の華道家として話す人がいた。そこには気恥ずかしさもなく、やってきたことへの強い信念と想いが見え、そんな祖母に圧倒されたまま、インタビューは終わった。

祖母と一人の人と関われたような気持ちになった。何となくぼんやりとしていた祖母がはっきりして不思議な感覚だった。


そんな感覚を持ちながら、編集作業に移ったが、相当骨が折れた。芸術家的に語るか、祖母として語るか、私の編集の方法で全く意味が変わってしまうから。そして、自分がどう捉えたのかバレてしまうのも恥ずかしかったが、提出の日時が迫っていたのでどうにかこうにか完成させた。


完成した作品はやっぱりちょっと気恥ずかしかった。けれど、それを発表した時に、他の学生に強いおばあちゃんだねと言われた時は「ああ、そうなんだよ」と心の中で思った。

このインタビュー動画を祖母に送った。気恥ずかしさがあったが、こんな風に私はインタビューを捉えたよと見て欲しかったのかもしれない。
そのように送られてきた動画を、祖母は生徒さんにも見せたりして、祖父はお葬式に流そうなんて言ったみたい。そして、送られてきた手紙にはお世辞かもしれないが「宝物です」なんて書かれていた。

ちょっとだけ、祖母との距離が縮まった。

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