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学校には、行かなくてもいい?

この記事は、登校の必要性を論理的に考察したコラムだ。
心情に沿わない結論となるかもしれない事をご了承して読んでいただきたい。


結論

条件を満たせるなら、通わなくても良い。
簡潔に言うなら、問題が無いなら行ったほうが楽だ。

きっかけ

最近、Twitterでよく目につく単語・話題がある。
YouTuberのゆたぼんとその父親
そしてひろゆきだ。
何やら、不登校が原因でレスバ(ネット上での口論)をしているらしい。

子供とその父親と、そして無関係のおじさんが何やら騒いでいて面白いので、今回触れることにした。

不登校とは

読んでいる皆さんは、不登校というものを知っていると思う。
が、一度明確に定義をして、前提知識を共有しておきたい。

用語としての不登校とは、「学籍がなく、登校しない状態のこと」も指す。

文部科学省的には、「何らかの心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景により、登校しないあるいはしたくともできない状況にあるために年間30日以上欠席した者のうち、病気や経済的な理由による者を除いたもの」を指す。
こちらが一般的だろう。

不登校とは悪か?

不登校は、一般的にマイナスの響きを持つ言葉だ。

原因にネガティブな事情があったり、見る側が「皆と違うことをするのは良くないこと」と、単純な思考をしているからかもしれない。
どっちでも、マイナスの響きを感じるのでは無いか?

不登校の話題になると、必ず不登校は良くないと言う人が居る
大きく分けると、ちゃんと考えて言う人と、単純な人だ。

教育(義務・普通)

まず、単純な思考について考えよう。
大抵の理由は、義務教育を受けさせていないから、というものだ。
「法律違反をしている」という方向性だ。

しかし、日本国憲法第26条第2項は、以下のように記述されている。

すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

つまり、普通教育を受けさせないのが法律違反であり、義務教育を受けない・受けさせないことは法律違反ではない。

普通教育とはなにか?
Wikipediaには「全国民共通の一般的・基礎的、なおかつ国民に必要とされる教育で、職業的・専門的ではない教育。」とあった。
(Wikipediaの正確性についてはひとまず棚上げ)

簡単に言うと、「国が国民に最低限身につけておいて欲しい教養を教える教育」だ。
国としては、国民に一定の教養がないと困るのだ。

一定の教養がない場合

文字が読めない、計算ができない、説明できない事があると仮定しよう。
そんな状況では、以下のことが起こり得る

  • 文字が読めない

    • 大抵の人が古くからの法律や新しく公布された法律を正確に知ることはできない

    • 情報源は知識人に頼るしかなく、嘘の法律を教えられたり、デマで扇動される可能性もある

  • 計算ができない

    • 買い物のお釣りは誤魔化される、そもそも買い物にならない

    • 広い社会知識が無いと、マルチ商法といった詐欺に騙される

    • 数字を使った印象操作で会社の決算を誤魔化し、不良株を売りつけられる

  • 説明できない

    • 科学の知識がなければ、嘘の水素水効果に騙される

    • 毒電波を防ぐ磁気ネックレスを売りつけられる

    • 論理的な思考が身についていなければ、全て感情論。短絡的な行動をし、集団との不和をもたらす

総じて、治安が悪くなる。

教育は必要

こんな社会はすぐに崩壊するだろう。
つまり、国語、算数(数学)、理科(科学)は必要だ。
ついでに道徳が無くても困る。

十分な体の成長には運動(体育)が不可欠だし、国際化が進む情勢では英語も理解できる方が良いだろう。

集団社会で生きるなら、集団での活動をこなす能力も必要だろう。
そういうことだ。

では、普通教育とはどうすれば受けられるか?

とりあえず学校に行けば無料だし、親にとっては教える教科や内容、段取りなどを考えなくても良いから楽だ。

不登校の原因の1つに「経済的な理由」がある。
生活がままならなければ学校にすら通えない。
自治体のシステムなどを活用して生活の他の部分をどうにかできるなら、なんとしてでも義務教育に通いたいところだ。

病気の場合は、治るのであれば義務教育に復帰する選択肢もあるだろう。

ただ、後で述べるが、義務教育の質は過信できない
それに、人生の目標(なりたい職業では不十分)を設定し、それに必要な能力が不足しているなら、自分で身につけるしかないだろう。

義務教育を受けない場合

不登校がこれに当たる、と言ってもいいだろう。

この場合、何が原因であれ、保護者は子に普通教育を受けさせる義務がある。
一般的な教養を、義務教育以外の手段で身に着けなければならない。

方法については、あれこれと議論されることが多い。
しかし、単純に結論するならば、最終的に十分な教養を身につけていればいいので、周囲には強制力もない。

ただ、同年代や上下年代との付き合いといった機会は、何もしないと義務教育に比べ少なくなるので、何かで補わないと人付き合いがうまくない人間に育つ可能性が高い。

人間は集団的生物である以上、対人能力は必要最低限養っておいた方が良い。
その辺を十分に考えてケアする必要があるのではないか?

まとめ

親が子供に普通教育できるなら、学校に通わなくてもいい。
ただ、教科や教えるスケジュール、教材の準備はとても手間だし、親が仕事をする余裕はないように思える。

教えないという選択肢は無い。ありえない。
現代社会では、基礎能力が低い人間はクズのような人間に食い物にされる。

ゆたぼんは?

私は正直、ゆたぼんのことをそこまで知らない。

ただ、ネット上の言動を見る限り、「煽り耐性低そうだからネットやめたほうが良いのでは?」とか、「親の言動もイマイチだな?」と感じた(小学生並みの感想)。

教養は十分か? 年相応か?
うーん。

たしか、ゆたぼんは「勉強は後からでもできる」とか言っていた。

一般的に脳の成長は16歳くらいで止まると言われており、16歳までに十分な学習をしたほうが能力は高くなる(要出典)。
要するに、知識なら後からつけられるが、基本的な能力(計算の速さや正確さ、話の要点を抜き出す能力、人付き合いの能力、論理的な思考力)は、16歳までにしっかり成長させた方が良い。

ゆたぼんの現状は知らないが、基礎学力的な部分は後に回さず、十分に付けておいた方が良いと思う(余計なお世話か)。

今、私が持っている情報からはそんな感じに憶測する他ない。
まぁ、今後、彼が彼のためにも十分な教養を身につけることを祈ろう。

最後に

先ほど触れたように、義務教育は最低限身につけておいて欲しい教育をする。つまり、最低限であり、それ以上は保証できない

高度な能力を身につけたい or 身に付けさせたいなら、家庭で or 独自でするしかないだろう。
習い事や塾、そして親の躾などだ。

学校での問題なら教師らが解決するべきであるが、それ以外なら親たちが解決すべき事でもある。
放っておいてうまくいくなんて、そうそう無い。

また、日本の義務教育は質が悪い
「日本の義務教育は世界的に優れた教育基準だ」と言って海外からの視察を受けているようだが、これは世界から相対的に見た場合だ。

絶対的に見ればシステムの完成度は低い。
30人学級は、まとめて面倒を見る大雑把なシステムだ。
生徒個人に最適なものでは無いし、教員の負担も大きい

先日も、”やりたがり”な文部科学省が、Twitterにて教師のバトンというハッシュタグでやりがい等を共有して欲しい、と言ったところ、見事ハッシュタグは怨嗟の声で溢れた。
実に文部科学省は馬鹿である。

いくら公務員とはいえ、給料以上のこと(過酷なサビ残など)をさせておいて、それをありがたく思えと言ったようなものである。
労働環境が酷い。
これでは積み重なる疲労によりミスもしやすいだろう
十分なはたらきを期待しようが無い。

話は変わるが、2021年2月に北海道旭川市で、いじめによって中学生の女子生徒が自殺した。俗に言う「旭川女子中学生いじめ凍死事件」だ。
まだ真相は判明していないが、私はいじめだと断定しておく。
仮にそうでなかったとしても、学校側の対応は手落ちが多すぎて酷い。
警察の対応も酷いが。
こんな事例が発生しうるのが学校教育だ

教師の質を嘆きたいが、そもそも教師は人間であるためミスをするし、所詮は大学の教職課程を受けただけなので人間性に難ありな場合もある。
ガチで聖人のような人もいれば、いじめ隠蔽などの保身をするゴミクズも居るだろう。

私は大学時代に教職課程を受講する学生を結構見た。
半分以上は楽な高校教師を選び、専門以外はとんと駄目で、専門ですら駄目な奴も居たが、教員試験には合格していた...
私の通っていた大学がD〜Eランクなことも理由の一つであるが、それでもあのレベルを通してしまうシステムはガバガバだと思う...

ただ、教師の質を高めると一言に言っても、コストが掛かりすぎて税金が上がっても困るし、十分な数が確保できないかもしれない。
そもそもあんな過酷な労働環境で働きたい人は居るのか...?
居るなら聖人か馬鹿だ。

皆さん、義務教育を過信しすぎないように

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