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仲よしえのルーツを辿るシリーズ~ワタシの半生記②

前回の記事、最後に「お母さんはわかってくれない」と書いたけれど、じゃあ父はわかってくれたのか、というと決してそうでもない。

なんだか二言目には「昭和」「昭和」って連呼しちゃって申し訳ないけど、あの頃は
「年少者=未熟者」
だから年長者は、教育や躾のためなら年少者を従わせるためにどんな手段もまあまあアリ、ていう社会(学校でも先生が暴力振るうとかフツーだった)。
そういう意味では我が家も典型的な昭和の家庭だった。

幼少期の父とのエピソードで覚えているのは、幼稚園でおそらく「しょうらいのゆめ」みたいなことを一人ひとり書いて参観日か何かに掲示したときのこと。
「スチュワーデス(CAのこと)になりたい」
と書いたワタシに、父が「飛行機は勘弁してくれ」と言ったと母から聞いた。事故とかがあったらイヤだということなんだろう。我が子を心配する親の言葉といえばそうなのであった。まあ確かにその頃って飛行機がこんなに誰でも乗れるものではなかったし、両親も飛行機なんか乗ったことなかっただろうから、それこそ(あんな重いもんが飛ぶわけねえ)みたいな感覚だったんだろうなーとは思うのだけど、それを聞いてワタシは一瞬でその夢を諦めたことを覚えているのだ。

なんとなく…父がダメっていったらダメなんだっていう感覚があった。

もしそのとき、父が「おう、そうか~スチュワーデスになりたいのか~頑張れよ!」って言ってくれてたらどうだろう。そのときすっぱり諦めたその夢を、まだ少しは追いかけてたかもしれない。
(実際は身長が足りなかったとしても)
海外や飛行機を毛嫌いし、一生海外旅行なんてしなくていいやなんて思わず、中学生から少しは英語を頑張っていたかもしれない。

40過ぎて、どうしても空港で仕事がしたい思いが捨てられず航空会社のラウンジで働いたのは、幼稚園のあのときの思いがいつまでも残っていたからなのだろうか。自分の思いに忠実になれた証なのだろうか。

空港で働きはじめてすぐにコロナパンデミックに見舞われた。夢の数か月(笑)

父が悪い、と一言で片づけるわけじゃない。
時代が悪かったというのは簡単だ。
ワタシに強い意志があったら、その夢がどうしても叶えたいものだったら、父に反対されても夢を追いかけたのだろうか。

でも、ワタシにそんな強さはなかった。
親の言うことに逆らうことができなかった。
世間体や常識を気にする両親を、困らせることがいけないことのような気がしていたのだった。


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