自己否定からの解放ー自分を知り荒波を乗り越えたワタシの半生記39.我が子が教えてくれたこと
4月になり、とうとう保育園に1歳にもならない子どもを預けながら働く生活がはじまってしまった。
※ちなみに、認可保育園に入るには0歳児からの申し込みが一番確実。1歳児以上になってしまうと空きが出ない限り入れないから。
でもはじめは、慣らし保育といって、2時間とか3時間、母親と離れる練習をするような期間が設けられているので、まだまだ本番にはほど遠いし気がラク。ただ決して楽しいワケではない。
緊張しながら保育園へ。
息子、まだなんにもわかってない。
さあ預ける。
泣く。
保育士さんに「お母さんもういいから!」と言われ、出ていく。
後ろ髪ひかれながら出てゆくアタシーー
ひとりになった。
え?
なんて解放感!!!
身体が軽い。どこまでも歩いて行けそう。
この状況に戸惑う。
その後確か、近くのカフェに入ったんじゃなかったかと思う。
ライターの勉強中だったので、文章を書きに。
おおーっ。
ひとりだと、こんなに進むのか!!
充実のひと時だった。
子どもを持つと、どうしても「待つ時間」「思うようにならない時間」が増える。非効率にならざるを得なくなる。
子どもから離れてひとりの時間を数時間持つだけで、それを実感する。抱えてるいろんなモヤモヤがすっきりすると思う。
さて、保育園では、日々の様子を交換日誌のように親と保育士さんが綴っていく。6年間のそれはもう、宝物なんだけど、今回久しぶりに初めてのページを眺めてみた。
『大人(保育士さん)のヒザの上にチョコンと座り、オモチャをポーンと投げて遊んだりしていました。時間がたつと、大人のヒザから自分からはなれオモチャをとりにいっていました!
少しずつ慣れて笑顔もみられますよ』
4月8日付のこの日誌は、初日だったのかどうかもう記憶がないのだけど、こんな風に、他の園児たちもみながら保育士さんは丁寧に、毎日、(こちらが「変わりないです」なんてそっけない1行なときも)子どもたち一人ひとりをみつめながらお世話をしてくれる。そして最終的には息子もここが大好きになり、第二の我が家のようにドヤ顔で過ごすようになるのだ。
なんて尊い職業なんだろう。
これは、子どもがいなかったらひょっとして一生気づけなかったことかもしれない。
もうひとつ、気づけたことがある。
息子が保育園にもだいぶ慣れたある日。
その日はでも、なぜか彼は大泣きでワタシから離れなかった。
(多分、どこか具合が悪かったのだろう)
「ママーママー」と号泣する我が子を残し、ワタシは久々に後ろ髪をひかれながら園を飛び出た。もうすぐ遅刻しちゃう!!そんな思いで走り出た。
でも園の前の小道にでたとき。
ふと思ったのだった。
「あんなに泣いてまで嫌がってる子を預けてまでする仕事か?」
役者の修行をあきらめ、おカネのためだけに派遣社員で働き続けたワタシ、子どもを産むために打算的にいまの職場に移ったワタシが、はじめて、いまの働き方に疑問をもったのだった。
「せっかく息子がガマンしてくれてるのなら、もっと自分がやりたいと思える仕事がしたい」
再びワタシは、その瞬間から、本当に自分がやりたいことを見つけ出す作業をはじめたのだった。
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