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『園芸家』という愛らしい生き物の話

いきなりだが、チェコの文筆家、カレル・チャペックの『園芸家の一年』という本の中に、こんな一行がある。

素人園芸家は、ふつう、尻の上で終わっている。

−『園芸家の一年』(恒文社、1997)より引用

『尻の上で終わる』…うん。この一行では全然意味がわからない。しかも『ふつう』っていう謎の前提つき。全然普通じゃないっす!笑ってないで、ちゃんと説明してください!ねえ!
って、つかみかかってくる前に、まあちょっと落ち着いてください。

カレル・チャペックはチェコの有名な文筆家だ。ジャーナリストでもあり、絵本やエッセイ、旅行記なども含め本当に幅広く書いており、日本にもその愛好家はかなり多い。兄ヨゼフも画家として、カレルと共作した絵本も多く、自身で書いた文章も多く残されている。

中でも『園芸家の一年』という本は、かなりの園芸愛好家だったチャペック兄弟の共作で、文章はカレル・チャペック、挿画は兄のヨゼフ・チャペック。園芸家が過ごす1年間を、1月、2月…と描き出し、季節ごとに起こる『園芸家あるある』が溢れたエッセイとなっている。作中、植物名や園芸の用語がゴマンと出てくるが、まったく園芸にあかるくない私でもワクワクしてしまう一冊だ。

さて、尻の上議論に戻ろう。カレルは作中で、こう問うのだった。

いったい、なんのために、園芸家は背中を持っているのか?時どき曲げた腰をまっすぐにのばし、「背中が痛い!」とぼやく、ただそれだけのためのように思われる。
(中略)
指は土に穴をあけるのによい小さな棒であり、手のひらは土のかたまりを砕いたり、黒土を取り分けるのに都合がよく、一方、頭はパイプをぶらさげるのに役に立つ。
ただ、背骨だけは頑固な代物のままで、園芸家が適当に曲げようとしても無駄である。庭にいるミミズにも、背骨はない。

−『園芸家の一年』(恒文社、1997)より引用

素人園芸家にとって、上半身は何かと役に立つが、その中でも背中というものは邪魔でしょうがない代物。現にミミズにだってないでしょう?そんな言い分だ。だって園芸家って、こんな姿勢してるでしょう?って。

すごい発想だ、と思った。

たとえばしゃがまずに使えるシャベルがあったならとか、一瞬で水やりができる魔法のホースがあったならとか、ドラえもん的な道具のことを考えることはあるけれど、自分の体がこうだったら、という発想って、なかなか大人になるほど考えにくいものじゃないだろうか。子供みたいな発想、といったら簡単に聞こえるかもしれないけれど。そのくらいぐにゃぐにゃな柔軟性がある発想だ。

ちなみに園芸家の理想の進化形態はこうらしい。

しゃがまなくてもよいように、甲虫のような足を持っているだろうし、それに、翼も持っているだろう。一つには美しく見えるし、第二に自分の花壇の上を飛ぶことができるからだ。(中略)

吊り革にぶら下がって自分の栽培物の上をブランコのように行ったり来たりするとか、せめて自分の体が四本の手と、帽子をかぶった頭とだけでできていて、それ以上は何もないとか、またはカメラ用の三脚のように差し込み式で、伸び縮みする手足がついているとかだったら良いのだが。

−『園芸家の一年』(恒文社、1997)より引用

もし園芸家が、最初から自然淘汰によって生まれてきていたとしたら、園芸家はこんな生き物になっていたはずだという。こんなやわらかな発想が、クスッとした絵として現れるから、たまらない。私はこの本のヨゼフの挿絵が、人生で出会ってきた本の挿画の中で、ぶっちぎりナンバーワンに好きだ

私が所有していた本は『園芸家の一年 』(カレル・チャペック エッセイ選集) (恒文社、1997)だが、現在は同書が平凡社ライブラリーから出版されている。

『園芸家』であり『愛好家』を描いている作品

この作品の面白さは、『園芸家』の枠を超えているところにある。1年間を通じてこの園芸家の熱量を見ていると、それは、度を越して特定分野に熱をあげる『愛好家』という生態のおかしみが、びんびんに感じてられてくるのだ。

一つたとえるなら、その園芸家の生態は、レコード愛好家にも似ている。愛好家レコード屋が手に入れたい盤は、ディスクユニオンの●●店にも◯◯店にもなかった、けれどヤフオクにはあった…これはUSオリジナル盤で…盤質は…などと。彼らは、素人には分かりえない分類を事細かに判別して常に追跡しているのだ。

『園芸家の一年』の中に、「植木屋から珍しい植物を手に入れた」と、他の収集家に自慢する場面がある。ワサビダイコンに似ているが、実はカンパニュラの仲間なのだと得意気に話し、本当に?と半信半疑の顔を見せる人に「わかってないなあ」と説く。そして大切に育てて行くうちに、結局ワサビダイコンだとわかる。その後「あのカンパニュラはどうしたの?」と聞かれると、「デリケートな貴重な種だから枯れてしまったんだよ」と、何事もなかったかのように取り繕う。

これが欲しい、という極めて具体的な情熱があるからこそ、愛好家同士にしかわからない見栄や意地の張り合いがある。そんな、どんな分野にも起こりえそうなできごとが、この本のそこかしこに起こっているのが愛おしくて笑ってしまう。

そして、愛好家に共通すること。それはいつも、忙しそうなことだ。
春には春の、秋には秋の、それぞれの準備もあればやることがある。
園芸家は物理的に庭の手入れという点でその忙しさもあるが、レコード愛好家にだって、季節や気分ごとに聴きたい音楽は異なるだろうし、レコード屋のセールもあるだろうし、入手したいものは常にアップデートされる。だから年中忙しいのだろう。

そう、何かに熱中すること、愛好することって、忙しいのだ。物理的にも、頭の中も。こんなコロナ禍の中でも、園芸家は、愛好家は、とにかくリサーチや収集、そしてそれを育てたり堪能することに勤しんでいることだろう。
この時期にこの本を読むと、この妙に忙しい愛好家の生態が羨ましくてたまらなくなってくる。しかも嫌味じゃなく、笑ってるうちにぼんやりと憧れてしまうのは、チャペック兄弟の魔法としか言いようがない。

ブライアン・メイさんにもお尻はいらなかったのだろうか

そんなことを考えていたら、「元QUEENブライアン・メイさん 庭いじり中に尻をひどく痛める」というニュースが舞い込んできた。ブライアン・メイさんも、熱心な素人園芸家なのだろうか?レコード愛好家ではありそうだけれど。ブライアン・メイさんも、尻がなければ、痛めることもなかったのにね…と思わず目を細めてしまった。そう考えてみると、果たしてギタリストにお尻は必要なのだろうか。足があればエフェクターは踏めるし、指があればギターは弾ける?と、無駄な想像が働いてしまった。

ブライアン・メイさんの回復を切に願います…。

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