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別宅「ハタ」を持つ暮らし(後編)

前回はこちらから。

ハタと音楽と創作と

「私は子どもの頃から歌うのが好きで、チェコフィルハーモニー少年少女合唱団のメンバーになり、チェコスロバキアをはじめ、ヨーロッパ、日本などでコンサート、ツアーに参加しました。父も姉もプロではないのですが歌を歌う人で、子どものときから自然と火を囲ってお話をしたり歌を歌ったりもしていました。上手い下手も関係なくみんな歌っていましたね」

合唱団のツアーではじめて来日したとき、エヴァさんは16歳だった。その後異なるキャリアを経て来日してからも、仕事をしながら本格的な音楽活動もされていたという。作曲も手がけ、定期的にライブを開いて、横浜総合国際競技場「キリンカップ」でチェコ国歌を斉唱したこともある。
 想定していた以上に本格的なエヴァさんの音楽経歴に驚きながら、さらに私が気になったのは、エヴァさんが、2011年にリリースしたアルバムと、2020年に開いた写真展のタイトルが同じで、「My Favorite things」だったことだ。音楽活動をすることと、写真を撮ること、エヴァさんにとってなにか違いや共通性はあるのかと聞いてみた。
「実は写真展『My Favorite Things』で展示した写真は、すべて日本のハタの庭で撮りました。自分にとって音楽も写真は内面を表現する方法の違いで、表したい世界観は同じです。なんとなく自分にとって大事なこと、美しいと思うもの、それがまさにMy Favorite Thingsでした。

 私はその世界観を表現しているだけですが、それを見ている、聴いている人がなにかを感じるかでメッセージが生まれるか生まれないか、だと思います。ある意味でメッセージよりもその作品の雰囲気で相手が自分に置き換えてなにを感じてくれるか。反戦の歌は別ですが、私は自己中心的なところがあるので、なにかを伝えるためにというよりは、自分を表現する必要性から生まれた作品が中心です。平和の重要性を伝える気持ちはいつも持っていますね」

 My Favorite Things。エヴァさんがお気に入りとするものが歌になり、写真におさめられる。そのときのハタは、特にテーマとして掲げて声高に語られるものではないかもしれないが、エヴァさんが表現する世界観に、当たり前にそばにあって、欠かせないもののように思えた。なにかのための、というよりも自分を表現する必要性から生まれる作品、という言葉を聞いてさらに、親近感を覚えてしまう。

東京から“脱出”するためのハタ暮らし

「私は、ハタがあるからこそ、長年日本に居られているのだと思います。東京って人が多いし、時間の流れとか、都会のテンポに巻き込まれる感覚があって。私の場合そこから脱出して、自分のリズムを取り戻す必要があるんです。うちは犬を3頭飼っているので、この家は半分犬のためでもあるんですけど。犬も走りまわれるし、私も自然が大好きだから、なにもないところのよさを感じます」

 エヴァさんは普段から柔らかな口調で優しく話される印象はあったものの、オンライン通話越しでもわかるくらい、この日はとても穏やかな表情をしていた。山梨のハタでの過ごし方を尋ねてみると、「きのこを採りにいったりとか、ジョギングしたり。富士山が目の前に見えて、本当に自然の中にいる感じです。チェコにあるハタは、いまでもうちの親が使っています。子どものとき、うちのハタではあまり余裕がなくて栽培はしてなかったのですが、夏から秋まではすぐそばの山まで早朝にきのこを採りにいったり、野生のブルーベリーとかクランベリーとかいっぱいあったので、サワークリームや生クリームと混ぜてつぶして食べたり。お金もかからないし、子どもの頃はそれが大好きでした。それも自然の中にいるよさですよね。キロ単位で大量にとれるので乾燥させてスパイスにして、きのこも丁寧にスライスして広げて自然乾燥させて保存食にしていました。果実をコンポートやジャムにしたり、ブルーベリーパイをつくって、近所の人が来たら、庭でごちそうしてお茶したり。これはいまの山梨でもときどきしています。田舎の暮らしは、どこか似ていますよね。都会の忙しさがなくて、時間の流れがゆっくりで、豊かな時間を過ごせるような気がします」。

 たしかに、聞くからに田舎の暮らしという感じがする。私はいま岩手県紫波町というところに住んでいるが、そこで見られる「お茶っこ」という文化そのものである気がした。要はお茶やお菓子とともにおしゃべりをする時間のことで、それは世界中どこにでも見られるだろう。

「でも私はそこにいつもいるわけじゃなくて、好きな時に行って好きな時に帰るというよさもあるのかなと。ずっと田舎にいたらまた違うでしょう。ハタという逃げ場を持って、本来のペースを取り戻して、切り替えられる」
 本来の自分のペースを取り戻す、という点では現代の「セカンドハウス」も近い役割を果たしそうだが、チェコの場合、共産党政権下にしかれた強い監視・検閲の目に囲まれたプラハでの生活を”脱出“する意味合いは大きかったと思われる。

「自分でコントロールできることと、できないことがありますからね。自分が生きやすいように生き方をコントロールできれば、どこにでも生きられると思います」

何気なくエヴァさんが言った言葉を反芻する。自分でコントロールできること、できないこと。
 それはたとえば仕事上の葛藤や、人間関係や家庭での悩み、あるいはときに、社会構造とか、そんな大きな枠組みに息苦しさを感じることもあるかもしれない。そんなときに、自分が息をしやすい場所に逃げ場をつくる。それはどこか、自分の身にも覚えがあることだった。

東京と山梨を行き来するエヴァさんの、ハタのある暮らし。それは、エヴァさんが大事にしているMy Favorite Thingsを大事に守るための場所なのだなと実感する。

「雪が降ると、私と犬たちが騒いでますよ。そり遊びとかして(笑)」
富士山を眼前に眺め、少女のように愛犬とそり遊びをするエヴァさんが、とても容易に目に浮かんだ。

山梨で、愛犬とハタで過ごす時間
(写真提供:エヴァ高嶺さん)

作るために“脱出”して、“確保”する

 エヴァさんの、ハタでの暮らしは“脱出”だという言葉が妙に耳に残った。「自分が生きやすいように生き方をコントロールする」とエヴァさんは言った。それはつまり、自分が自分でいられる環境を自ら確保するということだな、と私は解釈した。

 私は東京出身で、頻繁に行き来する田舎を持たなかった。しかしいまは、長く暮らしてきた東京を離れ、岩手県紫波町へ引っ越してきた。それは、いままで当たり前だった東京での暮らしから少し距離を置いて“脱出”したかったからなのかもしれない。母を亡くした33歳の冬、そして在宅介護だった父を施設に入れた34歳の夏。そしてコロナ禍がはじまり、移住の気持ちを固めた35歳の冬。あのときの私には、暮らしを一度リセットすることが、自分が息をしやすい環境を選ぶためにも、今後なにかを作るためにも、必要だったのは確かだ。これが私の“脱出”だったのだろう。親しい友人からも、引っ越してから「水を得た魚のように生き生きしている、楽しそうだね」とよく言われるようになった。

 自分が自分でいられる環境を選んで確保することは、実際「作る」環境を整えることでもあると思う。あのまま地元に居続けたら、いまでも母の不在が心理的に大きく、母と過去に訪れた場所を日々眺めながら、うっすらと孤独を感じて机に向かい続けていたのかもしれない。それで創作意欲を膨らませるタイプの作家もいるだろうが、私の場合は、自分が作り続けるためにも、もう少し自分をゆるめて、あたたかく守る環境が必要だった。現に母が他界した後、地元の銭湯に通って常連さんとのつながりを深めていた時期もあった。あたたかいお風呂のような場所を、私は移住によって確保したのかもしれない。

しかしハタは、様式も使い方も多様に異なるにせよ、少なからずその時間の過ごし方に、彼らの英気の養い方が現れている気がした。ふだんの生活とは切り離すタイミングを意図的に作りながらも、異国へ旅行するような非日常感は強くないように見える。ハタで過ごす時間に見たもの、聞いたもの、感じたものが、彼らの「作る」ものに表れているような気がする。

そして、友人からの偶然の紹介で一目惚れした紫波町に引っ越してきてから、はじめて気がついたことがある。それは、気候や人々の暮らしが、チェコ共和国の中でも私がもっとも心惹かれる南モラヴィア地方と近い気がするということだ。これは奇跡の景色を見たミクロフや、ワインショップの娘・シャールカと出会ったストラージュニツェのある地方であり、その町並みの美しさと天候の気持ちよさに惹かれ、創作意欲を強く掻き立てられた場所だった。
 もしかしたら、私の妄想によるこじつけなのかもしれない。それでも自分にとって都合のいい解釈や直感をもとに暮らしを選ぶことも、生活をカスタマイズして作ることの醍醐味だなと思う。
 自分にとって心地いい“脱出”を選び、環境をカスタマイズすることは、人生において、作ることにおいて、とても大事なことなのかもしれない。


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