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地下ワンダーランドを「作る」人 ー『チェコに学ぶ「作る」の魔力』 先読み1

2019年10月のある日、私はチェコの南モラヴィアにある、ストラージュニツェという村を訪れた。この村にある藍染の工房を見学することが第一の目的だった。

この地域はワインの生産が盛んで、10月はワイン収穫時期だ。私は夕食と、この地域の特産であるワインを求めて探しまわっていた。昼食を食べ逃したせいでお腹ぺこぺこのまま小さい村を練り歩くうち、かわいい外観の店を発見した。

真っ白な壁には地面に沿って青い線が入り、屋根は赤。その印象的な青と赤に黄色や緑が加わる花の文様がドアや窓の脇を飾っていた。ほかの建物でも似た装飾をみたので、この地域の伝統にならった文様なのだろう。
壁には「Vinotéka(ヴィノテーカ)」と大きく書いてあり、チェコでよく見る形態のワインショップだということがわかった。ヴィノテーカは、通常、試飲しながら購入するお店だが、レストランが併設されているところではそのまま食事もできるところもあるので、少しの期待とともに店のドアを開けた。

ワインショップ「Víno Botur」

ワインの赤ちゃん「ブルチャーク」

店に入ると、店員さんらしき女性と先客が楽しそうに話していた。「こんにちは」を意味するチェコ語で「ドブリーデン」と軽く挨拶すると、お店の女性も「Dobrý den!」と明るく返してくれた。観光客はおろか、アジア系の人もあまり見かけないような小さな村で、日本人はおそらく目立っているだろう。彼女は少し目を丸くしているようにも見えたが、言葉には歓迎の気持ちが込められているように感じられた。

店内を見渡すと、ワインボトルをはじめ、調味料のビンや缶詰がずらりと几帳面に並んでいた。一見洗練された雰囲気ながら、どこかあたたかみのある手作り感あふれる空間で、ゆっくりと飲める5席ほどのバーカウンターとテーブル席もある。いつの間にか先客はいなくなり、唯一のお客となった私が不安になるより先に、女性が英語で話しかけてくれた。

明るいシャールカが次々とワインをついでくれる

「どこからきたの?」と聞かれ、「日本です」と答えると、彼女は興奮気味に、「日本人!? 私、今度日本にいくのよ!」と言いながら、店内を見渡せるテーブル席に導いてくれた。彼女の名前はシャールカといった。
 なにか食べるものを少し、という注文と同時に、忘れてはいけない。「ブルチャーク」が飲みたい! まだ飲んだことなくて」とリクエストすると、彼女は嬉しそうに笑った。

キッチンへ引っ込んだかと思うと、彼女はこんもりとオリーブとドライトマトとパンを盛ったお皿を出してくれた。そしてデキャンタにたっぷり注がれた、少し黄色っぽい、濁った色の飲み物も。これが私の待ちわびた「ブルチャーク」だ!

発酵途中のワイン「ブルチャーク」

「ブルチャーク」とは、ワインの赤ちゃんとも呼ばれる、発酵途中のワインのこと。1年のなかでも9月〜10月頃にだけ飲める季節の風物詩で、このお店の店頭にも「ブルチャーク」の看板が出ていたのは私も見逃さなかった。発泡しているため、蓋を半開きにしていないと容器が膨張してしまう。季節になるとほかの都市でも飲めるが、産地で直接飲めるというのはやはり嬉しい。
 デキャンタから注ぎ、一口飲んでみると……これが甘くて、飲みやすい。気づけばするすると飲んでいた。味はワインとブドウジュースのあいだ、どちらかといえばブドウジュース寄り、といったところ。「子どもの飲み物よ」というチェコジョークは何度か耳にした(もちろんアルコールは入っているので子どもは飲めない)。

私が飲んでいるうちにも常連のお客さんが次々訪れ、シャールカと談笑しながら自分の家から持ってきた容器を手渡し、それを満たして帰ってゆく。地元の人は、この時期しか飲めないこのワインを、水のように汲んで毎日のように飲んでいるのかと思うとなんだかおもしろい。
 夕方に入店したきり、閉店時間までお店で数種類のワインのグラスを空ける頃には、シャールカとはすっかり打ち解けていた。

「サクヤ、明日またお店に来て。おもしろいもの見せてあげるから」。
 気持ちいいほろ酔い状態で彼女と交わした約束が、この後目にする忘れられない光景につながるとは、想像だにしていなかった。

木の実と皮で作られた人形は、地元工房の藍染の服をまとっていた

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