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買うより「作る」ほうがおもしろい(3)

前回はこちらから。

濃厚なツアーをしてもらううちに夜もふけて、お腹も空いてきた頃、パヴェルさんは焚き火の準備をはじめ、いよいよバーベキュータイムだ。火を囲みながら、パヴェルさんにもう少しむかしの話を聞いてみたいと思った。

プラハとコテージを行き来する子ども時代

「僕はプラハで生まれて、18歳までは家族でマンションに暮らしていました。その頃は社会主義の時代でした。都会に住む人たちは、だいたい家族の誰かが郊外に『ハタ』と呼ばれるコテージを持っていて、週末には街から離れる人が多かったと思います。うちも車で30分くらい行ったところにハタがあって、金曜日は学校や仕事も早く切りあげて、15時にはもうハタに向かう。そこで金・土・日を過ごして、日曜の夜中にプラハに帰るような生活でした。そこで友だちや兄弟と、夏は川で遊んだり池で泳いだり。森の中でキャンプするような感じで、楽しい思い出しかないから、僕にとってはプラハのマンションよりも、そっちのほうがふるさとです」

 パヴェルさんの語るみずみずしい子ども時代の思い出は、私がいままで抱いてきた社会主義時代のチェコのイメージと少し異なるものだった。勝手ながら私は、1968年のプラハの春以降の社会主義の時代は、厳しい検閲やあり、表現の自由が認められず、物資もお金もない生活を強いられていたほの暗い時代というイメージを抱いていた。それが意外だ、という感想を私が漏らすと、パヴェルさんは続けた。

「僕はまだ子どもだったから……。でも大変だった人たちはいっぱいいます。でも禁止されてもマイケル・ジャクソンの音楽は聴きたいし……アメリカの映画も見てたし。だから暗くない、生活、人生って。苦労したことあるよ。だけど、人生一回しかないからもったいない。人はどんな状況の中でもいいもの見つけたほうがいいじゃない

 その言葉からは、コロナ禍でツリーハウスを作った精神と同じ力が感じられた。

「父もハタを作りました。でも本当は、作りたかったわけじゃないと思います。共産党の協力者になれば優遇されることも多かったけれど、うちの父はそうしなかった。当時はお金がなくて、ずっとマンションで暮らすだけなのはいやだったから、作るしかない。家族がいるから、仕方がなかったのだと思う。いまはホームセンターですぐ道具が買えるけど、そのときは本当に道具もないし、材料もない。まず最初に、周囲から拾ってきたりもらったりして材料を集めて、小さな小屋を作る。すると今度はお風呂があるといいなあ……と思うでしょう。それで隣にお風呂や、フェンスや、バルコニーを作ったり……。毎年なにか増えて、建物を広げる感じでした」

毎年なにかが増えていく。それは、このいすみの家作りの話を聞いているようでもあった。

「そのハタを作ったのが楽しくて、この家も作ったんですか?」と聞くと、「楽しくないよ。遊びたかったよ」と、パヴェルさんは即座に否定した。
「父が作っているから、手伝わなくちゃいけない。僕は自分で作りたかったけど、三兄弟のいちばん下だから下っ端で、はしごを持つとか、なにかを運ぶとかそんな感じでした。ハタにいた頃は家じゃなくて、弓矢とか武器とか、遊び道具ばっかり作ってました」

そう話していると、長男である9歳のレオくんが、2週間ほど前に作ったという手作りの武器を見せてくれた。

それは木製の短剣のような立派なもので、「ナイフのカーブがすごい!」と私が驚いていると、レオくんはちょっと首を傾げながら、話し続ける私たちを尻目に、アトリエから工具を探し出して、おもむろに作業をはじめた。
 ヴゥィーーン! という大きな音をたてている方向へ思わず駆けつけると、レオくんは刀にサンダー(電動やすり)をかけていた。

少し心配になって手を貸そうかとする私を、パヴェルさんが制す。
「自分でやるから手伝いはいらないよ、できますから。レオくんは2歳から斧で薪割りしてるし、弟のナオくんは2歳になる前からできます」

おもむろにやすりがけをはじめるレオくん

「えっ? 薪割りを2歳から!?」と驚くと、パヴェルさんはたんたんと答える。
「薪割りは2人とも上手ですよ。本物の斧を持たせる。偽物じゃダメ。食器もガラスか陶磁器を使って、割ったら割れるものだと教えます。まだチェーンソーとか丸鋸の電動で切る工具は使わせないけど、ドリルは使えるし。チェコは工業国だから、もの作りとか技術的な学校が多いんです。僕は小学校4年生くらいのときに、釘やビスを打って花入れを作るとか、ノコギリ持って棚作ったこともあります。もちろんみんなが器用というわけじゃなく、器用じゃないチェコ人もいるし、日本人も器用な人はたくさんいます」

パヴェルさんは、自動車工学学校卒業している。幼少時代にハタで家作りを手伝い、さらに技術的な学校で学んだことで、家作りの技術を得てきたんだな……と少し納得していると、さらに驚きの事実が発覚した。
「でも、日本で家作りするのは簡単だよ。道具もいいし、材料もいいから。むかし僕はチェコでね、レンガを積んで家を作ったことがあるので」

……さらりと聞き流せないことを言った。
「大学を卒業したあと、兄と一緒に、23歳から5年間かけて家を作りました。1年目は地下室を作って、2年目は1階と2階の屋根まで作って、3年目は窓を入れたり、屋根の瓦つけたり、電気を流して、床とお風呂、トイレ、キッチン……と中を作っていく、そんな感じ。仕事をしながら、朝6時に近くの町のレンガ工場からレンガを手で積んで持って帰って運んで。自分たちでモルタルやコンクリ作ったり……夜7時に戻って夜も作業して、週末も必ず行った。ホームメイカーに頼んだら3ヶ月でできる仕事は、3年かかる。自分で時間をかけて家を作るか、30年のローンで、ホームメイカーの作った家の鍵を買うか。どちらがいいですか? 兄弟で作った家には、いまも家族が住んでます」

お兄さんと作ったプラハの家

写真を見て、その想像以上の立派さに驚愕した。
「家なんかいっぱい作れるよ、人間は。人生の中で3軒作らないとよくないんだって。1軒めは全然うまくいかないでしょう。2軒めはまあ満足。3軒めは……そのくらいだね。僕が作ったのは2軒なので。あともう1軒……? いや、でももう作らないかな。ここが好きなので」
 パヴェルさんが話すと、家作りはまるでレゴの話をしているかのように聞こえてもくる。

パヴェルさんにとって、家を作ることは、「楽しい日曜大工」とは違う。いまあるものと技術でないものを補って、やりたいことは自分で形にするしかない、そしていまは日々忙しく、生活を営みながら作品を作り続けている。

次回の更新は5月1 7日(火)18:00を予定。

地下ワンダーランドを「作る」人編はこちらから。

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