夫婦で意見が一致した話。(少し閲覧注意)
良い悪いはわからない。
でも、夫婦で意見が一致した話。
先日、保護責任者遺棄致死の容疑で重度障害児を持つ母親が逮捕された。
子供は痰の吸引が必要で、死亡の原因も痰による窒息。
シングルマザーで、1人で子供の介護をしていたそうだ。
細かい背景はわからない。
離婚した父親は、ちゃんと充分な養育費を出していたのか?
出していなかったのなら、養育費を払わない得出来る現状をどうするのか?
両親・義両親・行政等、誰か頼る所や頼れる人はいなかったのか?
など、かなり端折るが、この事件によって考えるべき事は本当にたくさんあると思う。
「単純に放置した親だけを罰せれば良いという訳では無い。彼女を罪に問うべきなのか?」という意見を数多く目にした。
「そんな子供を生かす必要があるのか?」なんて意見も沢山あった。
そんな中、私と妻の意見は一致した。
正しいかどうか、良いか悪いかはわからないが、とにかく一致した。
私には、2人の知的障害児と、1人の健常児(だと思う)の3人の子供がいる。
皆んな可愛いとは思うが、妊娠前に障害児を望んだ事は一度も無い。
しかし、そんな障害児が2人も我が子として生まれた。
健常児育児には無い悩み、苦労を沢山しているし、これからもそれは無くならない。
が、大事な事がある。
確かに、私達は障害児を望んではいなかった。
でも、我家の3人子供達は、私や妻が望んだから生まれて来た。
一方、子供達は1ミリも自ら望んで生まれて来て無い。
もちろん世の中には、親が「ある決断」が出来なかったから生まれた子も多くいるだろう。
望まれた子ばかりでは無いのは充分承知している。
しかし、日本ではその「ある決断」は禁止されてない。
したがって、余程のレアケースを除けば「ある決断」を選ぶよりも「出産」を選んだ事になる。
何が言いたいかと言うと
「子供は自分の出生を希望も拒否も出来ない」
一方、親側は選べる。
産むか、産まないかを選べる。
育てるか、育てないかも選べる。
どれも相当な覚悟がいるが、とにかく選べる。
他人の意見に流されたなど色んなパターンがあるだろうが、とにかく選べる。
この事件に関して言うなら
「この子の最期」だって、選べた。
この子がどんな子だったのか、私は知らない。
意思の疎通がどれくらい出来たのか?
知ってる人と知らない人の区別はついていたのか?
寂しさや不安は感じたのか?
痛みや苦しさはどうか?
私達夫婦の想像では、「その子なりに」全て可能だった、感じる事が出来たはずだと、思ってしまった。
容疑は『遺棄致死』だ。
そばにいて放置したのか、外出して放置したのかはわからない。
もし、1人だったら、この子はどれだけ不安な最期だっただろうか?
ゆっくりと窒息していくなんて、どれだけ苦しい最期だっただろうか?
私達夫婦で一致した意見は
『もし私なら、自らの手で、極力苦しまない最期にして自首する』
つまり
『殺人事件であって欲しいね』
だった。
各々色んな意見があると思う。
責任の所在、行政の関わり方、支援の仕方等、山程あると思う。
どこか歯車が違えば、この結末は避けられたかもしれない。
今後、似たようなケースが起きないよう、何が出来るか、どうするかを考えていく必要もある。
でも、どれだけ改善された所で、この子は生き返らないし、この母親の辛かった過去も消えない。
だからせめて
『自分の為にやった。罪は償う。子供にも申し訳ない。でも、後悔はしていない』という母親であって欲しいし、この子供も、安らかな最期であって欲しい。