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心が折れていないから悩むんだよ

自分はどうしてこんなにダメなんだろう、何もかも上手くいかないんだろうっていつも自責してしまうのはさ、心が折れていないからなんだよね。
向上心を完全に失ってしまった人はさ、出来ない自分にイライラしてもどかしく感じないし、悔しい気持ちなんかピクリとも湧いて来ないよ。
心が不感状態になって、他人と比べて自分は何てダメなんだ・・・も思わない。崖っぷちから転がり落ちそうな状況で、もうおしまいだ、オワターと自分に言ってしまうなら、それ、自覚していないだろうけど、後から振り返ってみると冷静な自己対話でもあるんだからね。回復の1過程なんだよ。

だから、いまあなたが、後悔と自責の念に頭ん中を支配されちゃっているなら、まだきっとやれるぜ、終わりとも言えないぜ、はい上がれるぜっていう冷静な自分は、しっかり心の奥にいるんだってそう思っていて欲しいのね。そういう自分が、危機的状態で溺れている自分に浮き輪を投げている最中なんだって。でも、まだ死んでないよー、もしもし私さんって励ましているんだって。時間をやり過ごして感情の起伏が少し収まったら、助けを求めるとか、逃げるとか、新たな具体的行動を思いつくのも決まってその直後なんだからね。

そこまでしんどかったら逃げてもいいんじゃないの?って、何度も浮き輪を投げていた自分が、アプローチの仕方を変えて奇跡的タイミングでいい感じの届きやすい距離感で話しかけてくるのも、そういう時期なんだからね。
自信を無くして、絶望の暗闇に落ちてしまったなら、極端に否定的に偏った自分の心の声に過剰反応するのをやめるんだよ。
そりゃそうだよな・・・追い詰められているんだから希望を持てるわけないよなあと。自分が無価値に思えるよなあと少し離れて認めてあげるの。そんなにあっけらかんと自分を持っていくのは難しいだろうけど、これは困難から抜け出す過程なんだよって。根性論っぽく、強い言葉ではっぱをかけるんじゃなくて、これまでも何度も乗り越えてきたんだから今回も結局は大丈夫なんだよーって自分に語りかけてあげるんだよ。

到底それも出来ない状況なら、ちょっとだけ気分が上向いたときに、さっと事務的にかすめるように、そんな肯定的な自己対話を心に落とし込んであげるんだよ。ぽーんと投げ入れるの。
立ち直れるよ。向上心のカケラが散らばっているだけ。回復するためのパーツはすべて残ってる。本当は心は折れていないんだからね。



私を必要としてくださる方にもっと近くで言葉をおくれないか、寄り添えないかと考えてnoteを始めました。これからも心を軽く出来ますように、心をこめて発信していきたいと思っております。時には期待に応えられないような内容もあるかもしれませんが、どうか温かく見守っていただけたら嬉しいです