小説『近畿地方のある場所について』紀州のある神社について
あらすじ
消息を絶った友人を探すため情報を求める「私」の語りと、雑誌を中心とした様々なメディアから抜粋された近畿地方の「ある場所」に関する文章を、『近畿地方のある場所について』というタイトルの作品としてまとめた体裁をとる。
原作:背筋
怖い話ではないが、小説のタイトルを見て思い出した事がある。
福岡の博多に母親くらい歳が離れているスピリチュアルな知人がいて、その人に教えてもらった紀州のとある神社の話だ。
「あなたが本気で人助けのために修行するなら、そこの宮司さんを紹介してあげるけど、遊び半分の好奇心だけなら向こうに迷惑がかかるから教えられないね」
スピリチュアルな放浪をしていた時、知人のオバチャンにそう言われ、行く覚悟がつかずに参拝を断念した神社がある。
神社の名前までは教えてもらえなかったから知らない。
その神社は知人のオバチャンが若い頃に霊的な修行をするために訪れていた神社で、大阪方面から高野山に行く途中の熊野古道にあるそうなのだが、人里から離れた山奥にあり、ネットで検索しても出てこない。
とはいえ、吉野の天河神社や玉置神社のように“呼ばれた人しかたどり着けない聖地”というわけでもなく、俗世間の穢れを嫌ってか、とにかく面識のない一般人の参拝は頑なに断っているそうである。
その神社の存在を教えてくれた知人のオバチャンは古神道の巫女さんで、若い頃に羊日女神(ひつじひめがみ)の御杖代になる役目を引き継いだらしく、その時に霊的な能力が開花した人だ。
正式な神社の神職という立場ではなく、自宅に羊日女神を祀る神殿を作って、毎朝自発的に水垢離をしてからその神殿にお祈りしている。
羊日女神からの言い付けを守り、オバチャンの霊能力を知って頼って来る人がいたら無償で相談に乗って自己犠牲を厭わずに人助けをしてしまう。
当時勤めていた会社の同僚の略奪愛騒動に巻き込まれて生霊を飛ばされたり、白昼夢の中で得体の知れない魔物と戦ったり、借金を背負った知り合いの社長さんのために自腹を切って100万円を融通したりなど、過酷な人助けエピソードをたくさん聞かされた。
それくらいの苦難をヨシとする人間でなければ人助けなどは出来ないというのがオバチャンの信条で、紀州のとある神社にどうしても行きたいのであれば、その覚悟を持っていなければダメだ、とキツく言われたのを憶えている。
オバチャンとはSNSを通じて出会い、以前記事にした金井南龍さんの神様話で通じ合った仲で、僕が沖縄を離れてお遍路さんや関西方面の聖地巡りをしていた時には大変お世話になった。
僕が巡り歩いた関西方面の聖地はオバチャンが御杖代の役目を務めていた時によく訪れていた場所をなぞっていて、伊勢五十鈴フトマニクシロ(二十九ヶ所の霊的拠点を結んで形成される五十の三角形)の神社の場所に関する詳しい情報もいくつか教えてもらった。
紀州のとある神社もその1ヵ所に入るようだ。
明治時代にあった神仏分離の強圧政策の影響を受けて、全国の神社で本来の御祭神がスリ替えられているケースがあり、伊勢五十鈴フトマニクシロを形成する二十九ヶ所全ての特定までは難しく、御杖代の役目を負っているオバチャンも探し切れていない。
オバチャンは歳を経て足が悪くなった事をきっかけに御杖代の役目を引退し、霊的なお告げを受けて次の人にバトンタッチした。
後継者の女性には直接会った事はないらしく、オバチャンの先代にあたる女性とバトンタッチした時も直接の面識はなかったようだ。
顔も名前も知らない人から、突然霊的な感知を受けてバトンタッチする。
そういう霊的なネットワークが古代から羊日女神の御杖代になる巫女さんたちの間でずっと続いているようで、現在もバトンタッチした誰かが聖地巡りをしていると思う。
オバチャンとの思い出で印象深いのは、オバチャンとの電話で僕の御霊がどの神界に属しているのか?をオバチャンに尋ねた時だ。
「あんたはククノチさんとこの子だよ」
オバチャン曰く、本を読むのが好きで、知的好奇心がある人の御霊はククノチさん(久々能智神)の神界に属するものらしく、ククノチさんを祀っている社を見かけたら必ず拝みなさいと言われた。
ところがこのククノチさんを祀っている社というのがなかなか見当たらなくて、京都の福知山市に住んでいた時、隣の綾部市にある大原神社でようやく見つける事が出来た。
「福知山に住んでるなら、一度大本教の神殿にも行ってみるといいよ。すごく良いところだからワタシの代わりに参拝して来てよ」
ククノチさんを祀る大原神社に行くきっかけになったのは、オバチャンからそんな打診があったからで、大本教の神殿を参拝した後に、綾部駅前の観光案内を見て、なんとなく気になった大原神社へ向かう事にした。
春の桜の時期に出かけたその大原神社は、縄文時代の産屋があるすごく景色の綺麗な場所で、これまでに訪れた神社の中で一番清々しい気持ちになれたのを憶えている。
ククノチさんを主祭神として祀っている神社ではなかったが、境内の近くにククノチさんの小さい摂社があり、有り難く拝んだら全てはオバチャンのお膳立てがあって連れて来られた気がした。
後日その事をオバチャンに報告すると、大本教に所属していた矢野祐太郎という人物がオバチャンの前世にあたる方だという話を聞いて、ククノチさんが見つかったのはその人を通じた縁があってじゃないかな?と笑っていた。
僕とオバチャンのスピリチュアルな認知世界の中で起こっている話だから何一つ確証のある話ではない。
ただそういう人たちと関わる事で僕の人生に何か運命的な出来事が訪れたりする瞬間がとにかく楽しくて、紀州のとある神社の存在に関しても、おそらくあると思うし、オバチャンとの良い思い出として頭の隅に置いている。
遊び半分の好奇心でしかスピリチュアルと関われない僕は行けない場所なので、似たような神社の話を聞いた事がある人はコメントください。