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出口京太郎『巨人 出口王仁三郎』日本最後の霊的カリスマ

概要

彼は、偉大な宗教家であり、異色の芸術家であり、異端の思想家であった。大本を教団としてまとめ上げ、教義を体系化する。また、迫害や、権力による教団への弾圧にも屈することがなかった……。
出口王仁三郎とはどんな人物だったのか。直孫の著者によって甦った、多岐多彩で破天荒な生涯を読み直す。

著者:出口京太郎


空海に続いて、僕が日本最後の霊的カリスマだと思う「出口王仁三郎」についても、直感的に理解した事があるのでまとめてみたい。

僕が出口王仁三郎の存在を知ったのは中学、高校の時に購読していた学研『ムー』という雑誌がきっかけだったと思う。

三千世界一度に開く梅の花、艮の金神の世になりたぞよ。神が表に現れて三千世界の立替え立直しを致すぞよ


国と国、民族と民族の垣根を取り払い、世界の人民が神のもとに一つにならなければ、天変地異、飢餓、悪病、戦争などが続発して、この世が終わる。

当時ノストラダムスの預言を信じていた僕は、出口王仁三郎が説くこの終末的な内容の予言にも衝撃を受け、出口王仁三郎が持つ霊能力とカリスマ性のある人間的魅力にハマッていった。

【天衣無縫の転輪聖王】


出口王仁三郎に下った天命の全貌については計り知れないが、大本教団が目指した『ミロク世』の実現が、仏教の説く弥勒世と同じものであるなら、出口王仁三郎は転輪聖王になる誇大妄想を抱いて躍動していた人ではないか?と思う。

釈迦入滅から56億7000年後に弥勒が下生する世には、転輪聖王が地上をダルマ(法)によって統治し、王に求められる全ての条件を備えるという。

出口王仁三郎はそんな途方もない年月を待たずとも、自分がその転輪聖王になってしまえばミロク世は今生で実現すると考え、統合失調症の人が持つ幻聴、幻覚能力を使って、自分の認知世界の中で“艮の金神”と称した謎の神からその考えを天命として受け取り、確信に変えた。

天命を確信した出口王仁三郎はミロク世を実現するために、出口なおに出会って大本教団を立ち上げ、その幻聴、幻覚能力をフルに使って千里眼や予言という奇跡を人々の前で体現し、国家と大衆に対して、自分こそが弥勒世を統治する転輪聖王であるという認知戦を仕掛けていく。

天命には謹厳実直な出口王仁三郎だが、その人間性は天衣無縫で、本書によれば人との面会時には複数の美女を共に連れ、「エンヤコラショ……」などと、派手なかけ声入りで威勢よく放屁をしたり、政治家や大企業の社長などの大物が面会に来ても、裸のまま平気で応対したりするような一面もあったらしい。

また真夏のうだるような暑さの時などは素っ裸で仰臥し、天井から紐でぶら下げた洗濯ばさみに脱脂綿をあてて睾丸を挟んで持ち上げ、うちわで扇がせたりした。

出口王仁三郎は相手が誰であろうと同じ態度で接し、面会に来た婦人が「なんで戦争があるのでしょう?」と、問えば、出口王仁三郎は「皆いばりたいからじゃ」と、すぐに答え、「ミロク世はいつ来るのですか?」と、問えば、「在家の菩薩が道を説くようにならな、ミロクの世は来ない」とすぐに答える。

それを聞いてポカンとしている相手にむかい「在家の菩薩いうたらおまえのことじゃ」と畳み掛け、いつ何を聞かれてもすぐに返事をし、相手が納得するまで質問に応じた。

僕は本書が詳細に記録している出口王仁三郎の人柄に関するエピソードが、転輪聖王が備えるべき王の条件をそのまま示しているような気がして、正直天皇陛下よりもこの国の王に相応しい人物だったと思っている。

空海についての記事でも書いたが、何かを確信している人の人生はスケールが壮大で、その言葉、行動には迫力や重みがあり、特にそれがスピリチュアルな世界に対する確信であれば、自己犠牲を厭わない、真に利他的な宗教活動を展開する事が出来る。

艮の金神から下った天命により、自分が転輪聖王になる逸材だと確信している王仁三郎は、当時の社会的常識や規範よりもとにかく天命を優先し、国家による弾圧や大衆の批判を一切恐れず、自分が成すべき事をどんどん形にしていった。

天が王だと定めた人間にとって、所詮人が作った法などというものは自然の理を離れた取るに足らない産物でしかなく、大義のために法を犯すような事があっても罪にはならない。

また天が王だと定めた人間にとって、人間が下す裁きも罰にはならない。

事実大本教は国家による2度の宗教弾圧を受けても、贖罪的な宿命を背負った救世主と共に往生する覚悟で今日まで宗教活動を続け、ミロク世の実現を果たすために日々精進している。

霊的指導者である教祖がスピリチュアルの世界を確信していない宗教では、信者たちも心からスピリチュアルの世界を確信する事が出来ない。

オウムのように洗脳技術を使って信者の認知を変えても、それはただの盲信であって確信ではない。

もし教祖である麻原自身に統合失調症の人が持つ幻聴、幻覚能力があって、彼がスピリチュアルの世界を確信していれば、オウムはカルト宗教ではない形で、大本教や天理教に並ぶ大教団になっていた可能性がある。

【出口王仁三郎の認知世界と霊界物語】


出口王仁三郎の偉業の中で、僕が一番凄いと思うのは『霊界物語』を記して世に発表した事だ。

中国の『西遊記』やダンテの『神曲』を彷彿とさせる奇想天外な物語で、その膨大な量と壮大なスケールに圧倒される。

この物語は出口王仁三郎が27歳の時、郷里の高熊山で修行中に体験したことを骨子にしたもので、出口王仁三郎がその特殊な幻覚、幻聴能力を使って感知した霊的世界の様相であると共に、出口王仁三郎が認知している世界そのものでもある。

本書は瑞月(王仁三郎の号)が、明治31年旧2月9日より同月15日にいたる前後1週間の荒行を神界より命ぜられ、帰宅後また1週間床しばりの修行を命ぜられ、その間に瑞月の霊魂は霊界に遊び、いろいろと幽界、神界の消息を実見せしめられたる物語であります。
すべて霊界にては時間空間を超越し、遠近大小明暗の区別なく、古今東西の霊界のできごとは、いずれも平面的に霊眼に映じますので、その糸口を見つけ、なるべく、読者の了解しやすからんことを主眼として口述いたしました。

第2巻 物語の序

『霊界物語』は出口王仁三郎が神憑りの状態の時に口述したものをお付きの人が筆記し、小説の体裁を取りつつ、随所に詩や和歌なども散りばめられていて読者を飽きさせない。

主なテーマは神と人との関係、大本出現の由来、霊界の真相、宇宙創造から主神の神格、神の世界的経綸、神々の地位因縁、人生観、世界観、宗教、哲学、思想、政治、経済、教育、芸術、恋愛など、万般にわたって語られ、それらのテーマから平和や人類愛の精神が展開し、排他的な愛国主義を否定する世界主義的な思想が貫かれている。

偶然か意図的にか、一部予言的な内容を含む箇所が後に的中して世間を騒がせてしまうあたりが、出口王仁三郎の仕掛ける認知戦の強みであり、常人には計り知れない能力を確かに持っていると感じさせる点である。

本書によると、出口王仁三郎は、祖母の宇能、矢島教師、岡田惟平、長沢翁などから、言霊学、国学、神学、霊学などを教わり、皇典講究所などの学校でも磨きをかけ、その後も独学で、記紀、万葉をはじめとする古典、神典、仏典、古文書などを読破し、繰り返し学んでいる。

長沢翁を通じて国学者の本田親徳からも影響を受けたが、出口王仁三郎のスピリチュアルな認知世界に一番影響を与えたのは大石凝真素美翁の存在だったと思う。

大石凝翁は『弥勒出現成就経』『天地茁貫之極典』『真訓古事記』などを表した神学の大家で、出口王仁三郎に水茎文字(水面に映る占い文字)による天啓や、神学における神典などの解釈を示した。

出口王仁三郎は大石凝翁の業績その他について十分に取り組み、高熊山での体験などを含む自分の宗教的な悟りや開祖である出口なおのお筆先を軸に、大河的な教学体系を『霊界物語』の中に完成させた。

【ドン・キホーテになれない現代人】


出口王仁三郎以降、彼ほどのカリスマ性を持つ霊的指導者は現れていない。

そしておそらく今後何年経っても現れないと思う。

出口王仁三郎のように統合失調症の幻覚、幻聴能力を使ってスピリチュアルの世界を確信している人は何人もいるが、そのほとんどは小規模のコミュニティか、人知れず単独で救済活動をしている程度に留まっている。

その理由はラジオやテレビなどの電波を使ったメディアが登場した事で、認知戦のあり方が大きく変化したからだと思う。

統合失調症の人が幻覚、幻聴能力を使ったスピリチュアルな認知戦を仕掛けるには、術者と被験者が同じ空間を共有する必要がある。

同じ空間内で術者が変性意識を生成し、それに誘導されて同じく変性意識状態に入った被験者とスピリチュアルな世界観を共有する事で、神秘体験や奇跡体験などが実現する。

とは言え、全てはその場にいる人たちの集団催眠による思い込みに過ぎないから、カメラなどの記録媒体には当然その現象は映らない。

現場を体験した人間が新聞、雑誌などの文字媒体を通して世の中にその状況を喧伝している時代には通用しても、映像や音声情報を記録し、それを電波に乗せて世の中に喧伝する時代では、認知世界の中で起こるスピリチュアルな出来事は、集団ヒステリーを起こしている人たちの姿としか映らないだろう。

そもそも国家と資本家が電波利権を握っている以上、テレビやラジオで認知戦を展開出来るのは権力者だけで、いくらでも編集や捏造が可能な映像情報や音声情報を駆使すれば、幻聴や幻覚能力がなくても、大衆の認知世界など簡単に変える事が出来る。

テレビが術者に代わって変性意識を生成し、大衆に刷り込みたい資本主義的な情報を、神の代わりに垂れ流す。

こうなれば統合失調症の人が持つ幻覚、幻聴能力が社会で役立つ場はどんどん無くなり、単なる精神疾患の症状として扱われ、テレビに変えられた認知世界の中で、不都合な幻覚や幻聴を体験する。

ネットが普及した時代になって、ようやく個人もネット空間の中で認知戦を展開出来るようになったが、ネット空間にプラットホームを築く事が出来る権力者たちの認知戦には到底敵わない。

権力者たちが築いたプラットホームの管理下で認知を変えられ、地位、富、名声欲しさに編集したキャラや捏造したキャラを演じて発信する。

努力してインフルエンサーになっても、誰も出口王仁三郎のように自分が何者なのかを確信していないから、大義のない仮初めのカリスマばかりが蔓延り、それを有り難がって拝む人たちも含め、みんな認知戦に疲弊して、それぞれが歪んだ認知世界の中で苦しんでいるように見える。

そんな時代の今後に『ミロク世』の実現があるとは到底思えないが、僕は日本最後の霊的カリスマと呼べる出口王仁三郎のように、何かを確信して夢中になっている人が好きだから、その能力とスピリチュアルな認知世界を信じたい。






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