吾妻ひでおの漫画史的意義についていい機会なのでざっくり考えてみました(たぶん一番合ってる

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>2016年のまんだらけオークションで、吾妻ひでお先生の制作ノートに1700万の値が付いた瞬間。あれこそ現代の美少女画のルーツが手塚、宮崎に次ぐ芸術としての価値があると市場に判断された瞬間だった。あの場に言わせた人はみな呆然としていた

美術館が買ったの?あるいは有名なアートコレクター?たぶんただの吾妻ひでおマニアが買ったのでしょ?
レアなキン消しが100万円で売れたからって別にアートとは思わない。

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>マンガ史であじま先生を教えないなんてクラシック音楽史でバッハやベートーベンとまではいかずともハイドンやメンデルスゾーンを省くようなもの。

「じゃあ吾妻ひでおって漫画史的に何をやった人なの」みたいな質問にはどう答える?
美少女ものの元祖とか?オタク第一世代のカリスマ(オタク誕生以前のプレオタク)?

漫画はサブカルチャーだから残らずに消えるものなので。
吾妻ひでおをいまの若い人が(ロートルオタクたちの教養マウンティングに同調して)無理に読む必要なんて無い。たしかに自分もリアルタイム世代ではなかったが基礎教養として吾妻ひでおを一通り読んだクチだけど、その上でやはり必要は無いと思う。漫画史のコンテクストとして「ああこんな感じね」そうパラパラと斜め読みしとくくらいで十分。ガチ読みまではしなくていい。
アートコンプのサブカルチャーな人たちはすぐ無理矢理自身らのコンテンツを権威化させたがる(吾妻ひでおはキリストを超えた?)。
ノーヒューチャーで無頼に生きてきた癖に歳を取るとそんな自分の半生に虚しさを覚えて急に確かな証が欲しくなり「サブカルチャーはアート」とか言い出す。ノンポリサブカル人が更年期になると急に政治に関心を持ち出し社会運動家地味たことをやり出すのと一緒。ロートルサブカルチャー者は(今までの行いの報いとして)必ず気が狂う運命なのだ。
そんな狂人らの戯言なので若人たちはあまり真に受けないように。

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