いくら努力しても結果を出せない苦しさから、どう抜け出すか?
吾輩は猫を被ったニンゲンである。名前はぽん乃助という。
-いくら努力しても結果を出せない。
ニンゲン界で「三大ツラい」に入るのではないかと思うくらい、多くの人が経験しているであろう感情だ。
特に社会人が、仕事でこのゾーンにハマると、周りから銃口を向けられるようなプレッシャーをかけられる。
そして、まるでポケモンのわざの「わるあがき」のように、いくら足掻いても、自傷ダメージで悩み始める。
ニンゲンが、ネット上でメンタル系の情報を日々漁っているのも、こうした背景があると思う。
私も、その一人だ。前回の記事では、そんな私がSNSとの付き合い方について、綴ってみた。
他人から期待されている成果を出せないと、「努力」と認められない。そんなことは、偉そうに言われなくたって、100も承知だ。
そんなふうに自分を追い詰めていき、心の中にある大黒柱が、いとも簡単にポキッと折れてしまう。
人によっては、闇堕ちしてしまう。
未だにネット上では、「実績ゼロから月収●万円!」という広告に惹かれてしまう人もいれば、いちいち反応して批判する人もいる。
努力が報われない先に闇堕ちすると、こんなふうに、うまくいっている他人への過剰な信仰、あるいは嫉妬に満ち溢れる。
ネコの低みの見物で社会を俯瞰すると、社会の一部では、こんな構図が出来上がっているように思う。
当然、ニンゲンにはセンスの壁もある。昔、テニス歴3年の私が、1ヶ月の人に負けたとき、情けなさで爆発しそうになったこともある。
ただ、センスの話はさておいて、いくら努力してもうまくいかなかったときに、「あなたの努力、本当に努力ですか?」と問われたことがあった。
その時、豆腐のような心が、鉄のスコップでそのまま抉(えぐ)られたかのような、痛みを感じた。
自分は、努力の「質」を高めることから逃げていたからなのだろう。
プロゲーマーの第一人者である梅原大吾氏が、こう語っていた。(努力に関する悩みを持つ人はぜひ、動画を見てほしい。)
これを聞いて、自分の努力を振り返ってみた。
成果を数字で語れないくせに、苦し紛れに「●時間勉強した!」と、努力を数字でアピールすることがあった。
でも、よくよく考えてみても、「100000回素振りしたのに、いつまで経っても試合で打てない!」と周りに言ったところで、苦笑いされてしまうだろう。
社会人でよくありがちなことは、うまくいかないと、「基礎体力を上げようとする現象」がよくみられる。
例えば、仕事に直結しない資格取得をするとか。
私も、資格取得に奔走していたことがあったけど、要はこれ、「努力」じゃなくて、「気を紛らわせる」ことだったんだなと、今振り返ればそう思う。
で、最近私が大事だと思っていること。
それは、「持っているカードで戦うことから逃げないこと」である。
現実世界では、簡単に手札を増やせない(=基礎体力は上がらない)。
でも、基礎体力を上げようとするのは、失敗することを恐れているからだろう。
でも、当然のことながら、一部の人を除いては、敗北を実際に経験して改善していかないと、実践で勝利を収められない。
私がエッセイで自身の心を抉っているのも、「自分の弱さから逃げると、強さを得ることができない」というのが、今の所、自分の中では有力仮説になっているからだ。
偉そうに講釈を垂れてしまったが、野良猫である私は、地につけた4本足でまずは何ができるかを、考えることにしたい。
にゃーん。
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