遅すぎるけど、自己紹介をしてみる。
吾輩は猫を被るニンゲンである。名前はぽん乃助という。
自己紹介を省略したまま関係性ができると、改めて自己紹介をするのは恥ずかしいものである。
ただ、コンテストに投稿する機会も増えたため、書き手不詳としたまま綴るのはどうかと思い、遅ればせながら自己紹介をしてみることにした。
本記事のタイトルは、“Who is ぽん乃助?”的な英語を交えようと思っていたけれど、ネット上での私自身のキャラ付けを猫にしてしまったので、正しくは“What is ぽん乃助?”じゃないかと考え、路頭に迷った末、結果的にはシンプルなタイトルにした。
まぁこんな感じで、生産性のない葛藤を重ねてたら、いつのまにか30歳という大台に乗ってしまった。
公的機関っぽい会社に首輪をつけられて生きているが、いつかは野良猫のように首輪を外して生きたいという、テンプレのような夢が頭の片隅にある。
さて、暴論であることは重々自覚しているが、聞いてほしい。
そもそもネット上に文章を投稿する人は、多かれ少なかれ、人生のどこかで捻じ曲がった人だと思う。
必死に文章を綴るのは、突き詰めれば「他人との違う考え方」を披露するということだ。
裏返せば、「他人と同じ考え方」を持つことに疑問を覚えているのであり、集団で生きなければならないこの世界では、社会不適合の一種とも言えるだろう。
言わずもがな、私もその一人だ。童顔に産まれた私は、ルッキズムの概念をぶっ壊すほど、多くの人から第一印象と違うと言われることが多いのが、その証左だろう。
常に考え事をしており、犬のように歩けば棒に当たることもあるし、誰とも話しているわけでもないのに気づいたら笑顔でいることもある。
よく言えば一人で完結できる性格であり、悪く言えばヤバい奴だ。
私の構成要素がカオスであることは大体自覚しているが、なぜそうなったのかは、両親のことを語らねばなるまい。
私の母親の家系は東北の田舎がルーツだ。東北は日照時間が短いせいか、うつ病の疾患率が高いとも言われるが、その伝聞が信じられるくらい、私の母親の家系は、繊細で陰湿な人が多い。
家の中では他人の悪口を言って、でも当の本人を前にすると過剰に気を遣って、何も言えなくなる。そんな人が多い。
一方で、私の父親の家系は関西の田舎がルーツだ。一言で言えば、家系に破天荒な人が多い。
父のエピソードで言えば、マナーが悪い人を見ると急に沸点に達して、怒鳴り散らす。私の父方の祖父は、いらなくなったソファを隣人の畑に捨てて、犯人が祖父だとバレたときに、「肥料になると思った」と言い訳をかましたという言い伝えが残っている。
この対極の性格にあるような両親に育てられてきたと考えると、今の自分のカオスな内面が作られたことは想像に難くない。
ただ、どちらかといえば、私は母の性格に寄せられたようだ。
家族や友人、これまでお付き合いしてきた人からは、ネガティブな意味で「繊細」だと言われ続けてきた。
資本主義の原理である競争にはめっぽう弱く、以前にnoteのエッセイとしても執筆したが、学生時代には酷いいじめを受けている。社会人には、会社で大問題になるくらいのパワハラを受けた。
この経験を「運が悪い」と一蹴したいところだが、ミジンコのようにか弱い精神力の私には必然な経験だったのだと、今は受け入れている。
こうした経験は私をより一層、捻じ曲げた。
いじめやパワハラを経験すると、「人は追い込まれるほど誰も助けてくれなくなる」という残酷な真実を知ってしまう。
周囲の応援があろうとなかろうと、泥沼からは自力で脱出しなければならないのが現実だ。
そんな牢獄に閉ざされたような、人間不信に近い思考が私を侵食している。
でも、なぜだろうか。私の中には「楽しく・前向き」であろうとする純心が残っている。
それは、私の大学時代が大きく影響しているように思う。
私の大学は幸いにも、あまりに自由な校風だった。卒業できずに中退するような文学者や芸能人を多く輩出するほど、自由だった。
特に私は専攻が経済学であったせいか、周りに「自由」というものに憧憬している奴が多かったように思う。
大学で仲良くなった友だちは、世間体に反して自由に生き、エゴを突き通す奴が多かった。一言で言えば、「無駄にコミュ力の高いクズたち」だ。
なぜか、私の性格とは相容れないそういう存在たちと関われたからこそ、自分の内面が化学変化を起こしたのだろう。
牢獄に閉ざされたような人間不信に近い思考に侵食される私は、幽体離脱して檻から抜け出し、自分の内面世界を広げることができた。
逆に、私はこれまで、誰かと群れてワイワイと共鳴することで幸福感を高められるような人とは、仲良くなれなかった。
仲間になりたそうな目で見てしまうほど、昔から私はそうした輪の中に入ることを羨望していたけど、私は人生を何度繰り返したとて、その輪には入れない運命なのだと思う。
私は、付き合ってきた女性にフラれたことしかない。とあるYouTuberが、女性にフラれやすいのは「格下」だと思われてるからだと言っていた。
図星でしかない。順調な人生を送りたいけれど、私には無理なんだと思う。
だけど、私は順調な人生を代償に、執筆というライフワークを手に入れた。
noteでの執筆活動を実施する前は、私の中に残る「楽しく・前向き」な純心をたよりに、繊細で悩む人(いわゆるHSPとか繊細さんとか呼称されるもの)に向けたブログを運営してきた。
その間、有難いことに、AbemaTVのニュース番組「AbemaPrime(通称:アベプラ)」に2回リモートで生出演させていただく機会もあった。
私はある意味「まともなこと」しか言えず、前衛的なファンも多い番組なので、もっと視聴者を喜ばすことが言えれば…と、真面目すぎる自分を責めたことが今やもう懐かしい。
そんなこんなで、私はやっぱり執筆を通じて、自分の内面世界を発信することが向いているのだろうと思った。
他人を傷つける文章を書くのは性に合わないし、だからと言って優等生のような文章も書きたくないので、紆余曲折の末、今はnoteで「心を抉る(えぐる)」というテーマで私自身の体験談に基づくエッセイを書いている。
最近は、「心を癒す」というテーマでYouTubeに安眠ラジオの投稿を始めた。
昼はエッセイ・夜はラジオ。そんな、カフェ&バーみたいなノリで活動をしている。
自己肯定感なんて微塵もないが、なんだかんだで、程々に幸せな人生を送っている。これは、そんな私の物語であった。
ということで最後は、初対面のお見合いのような自己紹介をしたいと思う。
仕事は、金融系企業の社会貢献活動の部門に長く従事してきました。
上司をはじめ、仕事で関わる人の合う・合わないが激しく、その分相性が合うと嫌になるほど気に入られます。
そういう人からは、「猫っぽいときもあれば犬っぽいときもある」と言われたり、「温かみのある繊細な奇人」と言われたり、客観的にもカオスな性格だと思われているようです。
社会不適合の隠キャなので、朝も弱いし、人とやり取りをするだけでストレスが溜まるため、本心では一人で完結できる仕事を所望しています。
執筆以外に、サックスとテニスをそれぞれ週一でやってます。週末の銭湯とサウナが、生き甲斐です。
アニメ好きで、最近は「ぼっち・ざ・ろっく」にどハマりしてました。人を選ぶジャンルで好きなのは、「宝石の国」「メイドインアビス」「輪るピングドラム」。私の美的感覚の好みは、「新世紀エヴァンゲリオン」「キルラキル」。
私の内面を因数分解すれば、オタクとかサブカル系とか、そんな要素だけが残ると思います。
現場からは、以上です。
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