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5分で心を抉るエッセイ

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安易な自己肯定や他者否定ではなく、自分の心を抉った(えぐった)先に生きる強さを見出していく、5分で読めるエッセイです。
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記事一覧

週休3日なんていらないから酒をくれ。

なぜ人は、生と死の狭間を彷徨いたがるのだろう。 はっきりとした意識の中で過ごすだけでは、何かが足りない。 お酒、タバコ、セックス、ギャンブル――人々は無意識の世界へと逃れる術を次々と見つけ出してきた。時には、その世界に深く入り込み、現実に戻れなくなる者もいる。 私の妻の父も、そうだった。病気の兆候があり、周囲から何度も止められていたにもかかわらず、酒もタバコも手放すことができなかった。 そして、先日亡くなった。60代半ばの死。平均寿命が伸び続ける現代において、その死は

「プライドが高い」って言われましても。

嫌なことを言われると、そのことがずっと、頭に残り続ける。 やがて、嫌なことを言ってきた人を見ると、吐き気がしてくる。 そんな感覚を久々に味わった。 多少の嫌味では狼狽えることはないと思ってたけれど、私はまだまだ未熟のようだ。 みんながいる前で、執拗に見下すような言動を繰り返され、私の中の閾値を超えた瞬間、その人と目を合わせることもできなくなってしまった。 私はこういうモードに陥ると、誰に対しても心が閉鎖的になる。 誰にも弱みを見せないように、言葉を選ぶようになる。

言語化よりも大事なこと

「言語化」という言葉。 タコができるほど、最近よく耳にするようになった。 それは、人に気持ちをうまく伝えられずに、悩んでいる人が多い証左のようにも思える。 昨今は、テレビやネットでも、言語化が上手な人にスポットライトが当てられることが多い。 言語化が上手になりたい。 言葉の力で、みんなの目の前の靄を振り払えるような人間になりたい。 私は、ずっとずっと、そう祈っていた。 けれど最近、私は疑問に思う。 何でもかんでも言語化することを目指すことが、果たして正しいのだ

稼げなければ遊びに過ぎないのか。

私にとって、書くこと。それは、遊びとは形容し難いもの。 けれど、そこにお金が発生していなければ、周りから見れば遊びに過ぎない。 主観と客観の食い違いに、私はずっとアンビバレントな気持ちを抱えていた。 今年に入ってから、転職に続いて結婚をして、私は人生の分岐を迎えた。 そして、思った。 お金も時間も大切なものであり、同時に余裕がないものであるということに。 なので、「稼げない自分の時間」は極限までに切り詰める必要がある。 世の先人たちがたくさんの足跡を残すこの至難

明日死ぬかもしれないと思って生きること。

「明日死ぬと思って生きなさい。」 かつての偉人がこんなことを言ったらしい。 今でも、この競争社会を駆け上がった者たちは、同じフレーズを口にする。 このフレーズ、頭ではよく理解できる。 昨日までの人生を悔いなく生きられているかというと、そんなわけがない。なので、今日からの人生はもっと悔いなく生きたいと、いつもそう思う。 けれど、どうしても心では、もやもやとした違和感が生じてしまう。 いくら「明日死ぬかもしれない」と思っても、普通に生きているだけで余裕がないから、怠惰

他人の子どもを叱れない

吾輩は猫を被るニンゲンである。名前はぽん乃助という。 子どものときに、叱られたことはあるだろうか? 「親父にもぶたれたことないのに!」という例外もあるかもしれないが、子どものときに親に叱られた経験のある人が大半だろう。 善悪がつかないから、無邪気な行動をしてしまう。親から叱られて、それが悪いことだと知る。 そんなのは、通学路と同じように、誰もが子どものときに通る道だ。 ただ、子どもとて、いつも親の近くにいるわけじゃない。 外で友だちと一緒にいるとき、ついつい無邪気

魔境『東京』で生き残るために

吾輩は猫を被るニンゲンである。名前はぽん乃助という。 目の前の席に座っていた人が徐に立ち上がった。 新生活に疲れていた私はそこに座ろうとしたら、隣の人から無助走のタックルを受けた。 隣を見たら、もうその人の姿はそこになく、気づけば目の前の席に座っていた。 ―嗚呼、東京に帰ってきてしまった。 満員電車の中で、桜の散り際を窓から見ながら、私はそう思った。 東京で生きてきた私は昨年、仕事の関係で東京から離れることになり、今年の2月まで大阪に居た。 大阪だって大都会だ。

アウトプットを崇拝していたバカな私へ

吾輩は猫を被るニンゲンである。名前はぽん乃助という。 それは、5年ほど前の話だ。インターネット上では、「アウトプット」が大事だという風潮になった。ベストセラーの著書でも、「アウトプット」がキーワードになった。 ニンゲンたちは、スマホという端末を手にして以来、SNSやブログ等で「文字」を通じた発信を活発にするようになったと思えば、YouTubeやTikiok等で「動画」を通じた発信も活発にするようにもなった。 そして、成功した発信者たちは、私利私欲を満たすための金鉱は「ア

芸能人の精神疾患の話題がバズってて、思索に耽っていた。

吾輩は猫を被るニンゲンである。名前はぽん乃助という。 ニュースサイトやSNSで、芸能人の精神疾患の話題がバズることがある。 以前は、特に理由は明示せずに「休養」という形でニュースが取り上げられていたことが多かったが、近年は「精神疾患」に関する理由が添えられることが多くなったように思う。 さて、そういうニュースに寄せられるコメントを見ると、「ゆっくり休んでください」といった心優しい内容もあれば、「社会はもっと寛容になるべきだ」「精神疾患の理解が広がってほしい」といった社会

メンタルが病んだときの失敗談、そして誰も話してくれない教訓。

吾輩は猫を被るニンゲンである。名前はぽん乃助という。 あなたは、メンタルを病んだことはあるか? 執筆をするニンゲンは、一度は病んだことのある人が多いのではないかと、勝手ながらそう思ってる。そんな憶測を豪語するのも、私はその一人だからだ。 私は常々、内省するために、メンタルに関する体験談を言語化したいと思っていた。 そこで、このnoteではじめてみたいと思う。もしかすると、いまメンタルで悩んでいる人に、参考になるかもしれない。 メンタルに関する体験談は、あたかも悲劇の

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蛙化現象から考える男女の恋愛論

吾輩は猫を被るニンゲンである。名前はぽん乃助という。 「蛙化現象」という言葉をご存知だろうか? 元々は心理学者が2004年の論文で名付けた用語であったようだが、2023年には流行語大賞の7位となるくらいに、ニンゲンたちの間では交わされている言葉であるようだ。 既に言葉の意味を知っている人も多いと思うが、一応解説すると、「元々好きだった相手の言動が気になって気持ちが冷める」という意味の言葉である。 以前、とある女性YouTuberが「男性が会計のときに財布を出しているの

私の価値観を歪めた愛読書 3選

吾輩は猫を被るニンゲンである。名前はぽん乃助という。 山根あきらさんの企画「#愛読書で自己紹介」に、今日は参加してみようと思う。 普段は流行に反発したくなる私だが、企画の面白さについつい釣られてしまった。 私は創作全般が好きで、本だけでなく、映像やアートも雑多に楽しむようなニンゲンだ。 時間がないという社会人の常套の言い訳で、私は本を何度も読むというよりは、一期一会を楽しんでいる。 とはいえ、一度読んだだけで、私の「価値観を変えた」ような本はたくさんあった。 いや

家族に抉られた心の傷。過干渉という名の刃。

吾輩は猫を被るニンゲンである。名前はぽん乃助という。 気づけば最近、私の冷蔵庫には氷結無糖レモン缶酎ハイが詰まっていた。 自炊をしない私の冷蔵庫の中は、色のない無機質な世界だが、そこには多数の生命体が移り住んできたような景色だ。 そう、私は晩酌の日々が続いていた。それは、悩みがあるからだ。 悩みなんてものは、SNS上で顔知れぬ者たちに発信する暇があるなら、ちゃちゃっと現実世界の知り合いに相談した方が良いのは分かってる。 けれど、現実世界で相談しづらい悩みがある。それ

いつか消える「若さ」という武器を代償に、私は何を得たのだろうか?

吾輩は猫を被るニンゲンである。名前はぽん乃助という。 仕事帰り、普段の帰り道。駅を降りて私の家に着くまでに、一際明るい道がある。 そこには、キャバクラやガールズバーに誘う女性たちが、寒さに凍えるのを堪え、行き交う男性を見るや否や声をかけている。 学生っぽい子もいれば、社会人だろうなという子もいて、境遇も様々だろう。 その中で、私はひとり、覚えてしまう子がいた。 決して好みというわけじゃない。けれど、スマホで暇つぶしをしている子が多い中、その子だけはスマホを一切いじら