私の一票、響かぬことを知りながら
「明るい未来を作るために、選挙に行きなさい。」
そんな説教を聞くたびに、私は内心「また始まった」とうんざりしてしまう。
仕事に集中したいのに、外から聞こえる街頭演説の声がうるさくて、選挙に行く気がどんどん失せてしまう。
民主主義の誕生は、古代ギリシア時代にまで遡るようだ。近代で言えば、革命、独立運動、そして世界大戦。そこには、命を賭けて活動してきた人もいたのだろう。そうして私たちは、選挙で政治家を選べる権利を勝ち取ったのだ。
政治はとても尊いもの。戦争や紛争が立て続けに勃発する今だからこそ、それはよく分かっている。けれど、虚しいことに、私が一票投じたところで何も変えることができないと分かっているから、どうしても政治に興味を持つことができない。
政治家の立場としては、そもそも選挙で勝たなければ、スタートラインに立つことすらできない。政策が良いかどうかなんて、その人の「世代」というパラメータに大きく左右されてしまうので、高齢者が多い日本では、選挙に勝つためにどうしたって高齢者に優遇しなければならない。亡くなった私の祖父も、私が小さい頃は「社会のため」と言っていたが、歳を重ねるにつれ、自分のことばかりを語るようになった。将来、私もそうなるのだろうか。
そんな哀愁に浸りながら、私のような若輩者の一票は、まるで商店街のくじ引き券のように軽く感じてしまう。政治のことを考えるくらいなら、今日生きること、そして家族や仕事に向き合うことに時間を使った方が良いと、そう思ってしまうのだ。
裏金問題で政治不信が騒がれているけれど、政治とカネの問題が今に始まったことじゃない。会社員として生きる私が、裏金なんてもらったらクビ待ったなしだ。だから、ルールを守らない政治家がいるのは憤りを感じる。けれど、この問題が解決されたとして、高騰する物価が下がるのかというと別にそんなことはない。
論理的に考えれば考えるほど、日本では投票は義務ではなく権利に過ぎないという考えが頭を巡り、やがて腰が重くなってくる。
だけど、屁理屈をこねて政治に興味ないアピールをするなんて、毒にも薬にもならないダサい奴の言い分だ。どうせ屁理屈をこねるなら、前向きに考えてみようじゃないか。
◇
衆議院総選挙が近づくと、SNSはまさに地獄絵図だ。見たくもない顔の議員の切り抜き動画や、正しいのかデマなのか分からないネガティブキャンペーンが飛び交う。SNSで発信する人たちがどんな顔をしているのか分からないけれど、彼らが「この党に票を!」と訴える熱意は伝わってくる。しかし、日々疲れている心身には、そんな情報がカロリーオーバーで、ますます政治から逃げたくなってしまう。
だけど、ただひとつ、私はずっと気になることがあった。
「政治家」は生身の人間だ。だけど、政治に興味がある人であれ無い人であれ、まるで「セイジカ」というモノとして語っているような印象を受ける。一言も会話を交わしたことがない人に、勝手なイメージを押し付けて陰口を言う。それと似たような構図みたいで、とても違和感があった。
私は以前、たまたま政治家と話す機会があった。政治に興味がないからこそ、私はずっと質問したかったことがあった。
「政治家って、やりがいあるんですか?」
好奇心のままに、その言葉が口から出ていた。世間を騒がしているパーティーのような場ではないけれど、砕けたシチュエーションだったからだ。そしたら、思わぬ答えが返ってきた。
「やりがいがある仕事ですよ。ただし、選挙さえなければ。」
はじめて、政治家の本音が聞けた気がした。すべての議員がそう思っているわけではないだろうけど、人間らしい一面を覗いたような気がした。
政治に集中したくても、人気投票に負ければ、彼らは職を失う。外資系企業ではリストラが厳しいとか言われるけど、政治家の環境はその比じゃない。だから、心の中ではやりたくなくても、パフォーマンスをしなければならない。いくら誹謗中傷されたって、ノーダメージなふりをして、票を得るために戦わなければならないのだ。
嫌ならSNSを見なきゃいい、なんて寝言は通じない。デジタルデトックスしたくたって、インターネット上でも売名しないとライバルに負けてしまう。
彼らにとっての戦場は、当然インターネット上だけじゃない。リアル世界では、命も狙われる職業でもある。
これだけは言える。
私はバレずに裏金がもらえたとしても、政治家にはなりたくないし、なったとしても間違いなく数日で心が折れてしまう。
きっとそれは、私だけじゃないだろう。政治家への魅力が薄れ、志す人も減っているのではなかろうか。けれど、政治家がいなくなってしまえば、私の当たり前の日常も消えてしまう。
柄にもないことを言うが、たぶん私は、政治家を労働者として敬意を感じているのだろう。
私が一票を入れたところで、選ばれる議員は変わらない。誰を選べば良い未来につながるのかだって、わからない。
でも、私の一票は政治家にとって、コーヒー一杯くらいの価値はあるだろう。
私が投票するとき、たった一つだけ決めているルールがある。小選挙区では、所属する党を度外視して、候補者の人間を見て投票するということだ。いわば、誰にコーヒーを奢りたいかという感覚だ。
本当は、もっと未来のことを考えて一票を投じることが、国民としての模範解答なのだろうけど、どうしても私にはそんな気が起きない。
きっと、これを見ている人の中にも、政治オタクたちからの聞きたくもない説教や、綺麗事が並べられた選挙広告を見て、投票に行きたくない人も多いだろう。
でも、政治家だって、私と同じ人間であるということ。そんなふうに思えば、一票を投じることも悪い気はしない。
なんてね。帰り道に期日前投票を済ませたとき、ふとそんなことを思っていた。
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