見出し画像

幼稚園とわたしの先生

その幼稚園は幼稚園なのかは分からない。

部屋の中はやや薄暗く、窓が少ない。

ドアからの光が室内を懐中電灯のように照らす。

子供たちの興奮したような笑顔が咲き乱れている。

装飾のない対照的な室内。

立ち話に興じる親たち。

一人の母親が子供を連れてきている。

何人兄弟だろう…三人か。

入ってすぐの半畳ほどのたたきを見ると、母親の靴らしきずんぐりした黒いハイカットスニーカーの横に、それよりも小さな靴が三足そろえてある。

おもちゃも見当たらない室内。

いすと机は端によせてある。

子供たちは自然と近寄って集まり、何はなくともはしゃいでいる。

帰る時間になったことを母親が伝えると、姉と小さな弟は(姉は笑顔のまま、弟は急に真顔になって)「帰る?やった。」と言った。

あんなに楽しそうだったのに…と驚愕した後で(友達といることが楽しいとはいえ)、帰るとなるとそりゃあ家の方がいいんだなと思った。



付き添いの兄弟を含め、子供たちに囲まれてもお姉ちゃんは一人、少しだけ背が高い。

小学校中学年から高学年くらいだろうか。

曲線のない骨ばった足。胸あたりまで伸ばした髪は束ねておらずさらさらと舞う。

立ったりすわったり、荷物をとりにいこうとして持ってきていないことに気づいてきびすを返したり。

お姉ちゃんに合わせてたなびく髪は、細くてすぐ顔にはりつく。

お姉ちゃんは表情を変えずに(内心には出して)うっとうしそうに後ろにはらう。



小さな弟は、帰宅するということは幼稚園に入る前ぐらいの年齢だろうか。

当たり前のように靴を自分で履いている。

鮮やかな赤い紐がきゅっと結ばれた白の靴。

厚みのあるしっかりしたその靴にずぼっと足を入れる。

そして立ち上がる。



幼稚園に残ったこの男の子は、家族が帰ったことは知っているだろうか。

変わらずほかの子供と遊んでいる。

「この子のデータだよ」

ふいに目の前に、部屋より暗い電子データが浮かび上がる。

子供たちと自分のちょうど間に。

表示されたのは5つの英語のイニシャル。

「〇 W 〇 〇 W」

他は白字で書かれているのにWの文字だけが浮かび上がって見える。

瓶の中で発光するポーションのような、うす緑色の文字で。

子供たちには見えていない。

5つめのWには小さな点3つと、さらに小さく書かれた文字が添えられている。

添えられた文字は何語かすら分からない。

子供たちは飽きもせずに遊んでいる。

繰り返しのテープみたいに。

「友達が多いと2つめがWになるんだよ」その施設の人は言った。

友達が多い…コミュニケーションが上手?

データごしに男の子を見る。

男の子はにこやかに友達と言葉を交わしている。

私にはそれが男の子の不幸に思えた。

他のイニシャルは理解できる。

それらのイニシャルが、彼が世界を解釈する上での資質を表すことも。

でもWの表記は聞いたこともない。

Wが表すシンボル(どういった単語の略なのかも)、緑に浮かびあがる理由(少なくともこの施設の人にとっては良い理由だ。不吉?不遇に思える印象はさておき)、何もかもを直感的に理解することができず、思わず意識をデータから引き離す。

なんだよそれ…ダブルとか聞いたこともないし…ふつう使わない。



先生は張り切って授業をするつもりだ。

自分が大きな声で言った後に、どうやら生徒たちに復唱してほしいらしい。

前に立っているお手伝い係の生徒が先生の後に復唱をする。

でも教室は静まりかえったまま。

よく見ると黒板一面に、ラミネートされたA3サイズのカードが十何枚も貼り付けてある。

目を凝らして読み取ろうとする。

「とっても…大事だから……write 〇〇 down…」なんだそりゃ?

語呂あわせで文法を学んでもらおうということなのか。

先生どれもクセが強すぎるよ。

カードは黒板に不規則に貼ってあるし大きさも揃っていない。

どこからスタートしてどれを読んでいるのか、一番後ろにいた私にはさっぱり分からない。

きっとみんなもそうだったんだと思う。

だから復唱は諦めて、先生の頑張りをじっと見ていた。

茶化したりよそ見をしてはいけないと思ったから。

私は窓のすみに束ねられたカーテンのふくらみから顔を出して、窓枠に座って先生を見ていた。

すぐ横には同じように窓枠に男子が座っていて、さらに横には女の子が何人かいた。

女の子の一人は教室側を見ていたけど、もう一人は教室を背にしてバルコニーの床にチョークで落書きをしていた。

バルコニーにがっつり下りて熱心にかいている子もいた。

ピンクと白と黄色。

チョークでかくと、なんでもこどもみたいに見える。

横に座っていた男子が「こいつら邪魔?」と私に聞いた。

刺激になる言葉を言わない方がいいととっさに思った。

反感を買うと面倒だ。

「その花の絵上手だね」私は返事ともつかないようなことを言った。

チョークでかかれた単純な花。

おおきな丸に小さなかまぼこたくさん。

丸の中には文字が書いてある。

たくさんの絵の中でそれが目にとまったから。

先生のためには止めた方がいいと分かっていても。



復唱しない生徒に対し不満と困惑を抱えた先生は辺りを見回していた。

そして窓枠に座っている私たちを見つけると、はっとしてまっすぐ歩いてきた。

いつもより大きな教室だから気づいてなかったのかな。

「後ろのやつらは聞いてないからいいよな」と言ってカーテンをほどき、閉めようとした。

私はとっさに言った。

「顔つっこんで聞いてたのになんでそんなこと言うの?」

先生、私は怒ってないよ。

先生は「そこにいるなら一緒だよ」みたいなことを言ったと思う。

「チョークかいてるならいいよな?見ないよな」先生はカーテンを閉めようとする。

私は「意味不明なこと言わないで」とあしらってしまった。

上手なかわし方が分からなかったから。

いいなと思ったら応援しよう!

水筒鯨
サポートありがとうございます。物語にとって大切なのは、書き手としての私が存在するだけでなく、読み手としてのあなたがいてくれること。「応援したい」という気持ちがとても嬉しいです。よかったら感想も聞かせてください。

この記事が参加している募集