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1月24日(月)

7時前に目覚める。寒さぬるみ、エアコンなしでも我慢できそうだ。
けさも薄ぼんやりした意識の霞の向こうに夢の記憶は消えていった。ただ観覧車のようなものに乗っていたのだけは覚えている。きのう息子の幼少時の映像を整理していて、小学校の修学旅行でスペースワールドの乗り物なんかのシーンを見たせいだろう。
夢のストーリーは曖昧なのだが、このところなにかの鉱脈にぶち当たりそうな予感めいたものがある。そのうち現実的になにがあるのか楽しみだ。

Yの誕生日

某施設にコロナ陽性者が出たらしい。コロナの存在をはじめてリアルに感じた。このウイルスが蔓延しはじめて2年あまりか。クルーザーからはじまった騒動は、連日の感染者数カウントごっこに煽りに煽られて驚天動地のパニックとなっているが、これまで身近でコロナに感染したのは友人の妹さんひとりだった。尋常ならざる事態にはちがいないが、騒ぎが常軌を逸しているのもまた実態で、正直個人的にはさほど実感はなかった。今回身近な環境に陽性者がでて、ようやくパニックの末端に触れ得たような感覚だ。

きのう「8月6日のバット」修正・加筆作業がひと段落したから、きょうは執筆はオフ。遅ればせながらの正月だ。
朝、思い立って床の周りの音響環境を改善する。ラジカセから安物のスピーカーに繋いでいたのを、アンプを通して遊んでいたコンポのスピーカーにつないだ。試しに床に入って聴いてみたら、いい音しとる。離れたくなくなった。

いい機会なので年賀状の整理をはじめた。ここ数年分を残して、あとは友人と親しい知人のものを除いて処分するつもりだ。その一枚一枚とお別れをしながら、わが人生をもう一度生き直せそうだ。ここ10年ほどを年度ごとに分類していたら、なかに訃報が混じっていて確認したかった何人かの命日を知ることができた。

裏庭ボルタリング

今日も裏庭で〝地下足袋ボルタリング〟。急斜面でうずくまって下草の手入れしたり、エビぞって枝の選定をしたり、本物はやったことはないがボルタリングの楽しさを味わって愉快であった。

ナイトシアーで「新聞記者」の2回目。エピソード4を観る。
栄新学園のスキャンダルを追う主人公は女性新聞記者でなく、テレビ関係者だったらどうだろうかと考えてみた。例えばNHKの現場がドキュメンタリーでやったと設定したら?
しかし、その番組が上層部の反対を押し切ってオンエアされる、はずもない。河瀬直美ヨイショのドキュメンタリー番組のテロップ問題でやらかしたように、すでにNHKにまっとうなジャーナリズムを望むべくもない。
現実の森友事件で新聞は望月衣塑子というヒロインを生んだ。しかしNHKは相澤冬樹という男性記者を追い出してヒーローを生みそびれている。フィクションとしても新聞、そして女性記者。これがやはりおさまりがいいのだろう。
「8月6日のバット」でヒロシマの謎を追うことになる主人公も女性記者だ。深く考えずなりゆきでそうなったのだが、リアリティを考えれば、やはりそうなるか。


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