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「#私は私のここがすき」がなぜテーマに選ばれたのかを考える

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 私は、一週間ほど前にnoteを書き始めた。まだ初心者のため、記事を投稿するたびに「こんな機能があるのか」と日々新たな発見がある。

そして今日、「特集ページ」の存在を知った。せっかくなので、特集ページに掲載されているテーマを扱った記事でも書こうと思い、本稿を書いている。

 現在特集ページには、「#多様性を考える」「#これからの家族のかたち」「#私は私のここがすき」「#SDGsへの向き合い方」の4つのテーマが掲載されている。

「#多様性を考える」、「#これからの家族のかたち」、「#SDGsへの向き合い方」この3つのテーマは世界が抱える現代社会の問題として、政治課題にもなっており、迫る参議院選挙の争点にもなってくるだろう。

しかし、「#私は私のここがすき」に少し違和感があった。
テーマにわざわざ挙げられるということは、何か問題があるということなのだろう。
確かに「私は私のここがすき」と声高らかに発言するのは、恥ずかしいと感じてしまうし、メディアで「自画自賛」という言葉が使われるときは、小馬鹿にしたようなニュアンスが含まれることが多い。

なぜ我々は「私は私のここがすき」と言えないのだろうか。
私は「我々が他者の判断軸で評価されること多過ぎる」からだと考えている。

学校教育では、一般に認められた評価軸でテストの点数が採点されるし、芸術の分野でもコンテストで偉い先生の軸で評価される。SNSでも他者が押したいいねの数で一喜一憂する。

人間は、共感に喜びを感じる動物である。
かく言う私もnoteで自分の書いた記事に♡マークが押されると嬉しい。
特にビジネスでは、「お金=他者からの感謝」と考えることもできるため、他者の視点が全てと言ってもいいだろう。
他者の判断軸で評価されること自体が悪いわけではない。

しかし、時に「他者の判断軸で評価されること」というものは、我々を不幸にするのではないだろうか。
例えば、「やりたいことがあるけど、みんなに馬鹿にされそうでできない。」と諦めた経験がある人も多いだろう。

幸せというものは、人それぞれ違うものだ。
つまり、幸せになるには、貴方自身の判断軸で判断・行動しなければならない。
「他者の判断軸で行われた評価」に従っていては、貴方が幸せになれることはない。

130年以上前にドイツの哲学者ニーチェは「神は死んだ」という言葉を残した。
「神は死んだ」とは、諸説あるが「神というそれまで皆が信じていた価値観が崩壊し、これからは自分の判断軸で生きる時代だ」とも解釈される。

130年以上前に「神という判断軸」は死んだ。
不必要な「他者の判断軸」は、いつ死ぬのだろうか。
その答えは、貴方が「自分の判断軸」を持った時だ。

「私は私のここがすき」
この言葉がテーマに選出されないような社会を期待したい。


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