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東京は共有地だから、誰かの故郷ではないと思う。

上京したての頃、東京生まれの友達が「東京は共有地」と言われる概念に憤慨しているのを思い出した。「自分が生まれたのはここで、大事な場所なのに、地方から出てきた人たちがそこを踏み荒らしていくのは本当に嫌だ」的なそんな感じだった気がする。なるほどなーと思いながら、不思議な気持ちだった。

夢を持って東京に来た私にとって、東京に生まれ育った子たちは羨ましく見えた。やりたいことはすでに中学から明確で、とにかく雑誌に関わりたかった。今みたいにSNSも発達しておらず、憧れだけが募り、行きたくもない学校に通わなきゃいけない。そんな毎日で鬱になった。雨の日には自然と涙が出た。高校を辞めてからは、毎日寝て過ごした。世からすれば無駄な数年とは言えない貴重な学生時代(今ならわかる)だけど、私からすれば毎日が待ちの時間。とにかく辛かった。

これを経て東京に出たので、高校の頃から編集部にいた友人なんかは特に羨ましかった。私が鬱になって過ごした時間、彼はキャリアを積んでたから。私の無駄な焦りみたいなものは確かに正解だったんだと実感した。自分が立ち止まってる時間、東京の子は歩を進めるんだという勘は当たってた。自分の中にあった答え合わせをしてくれた彼に高校時代の話をすると、同情されてた。「俺たちの場合、遊びでバンドとかクルーとか作っちゃうと、それがインディーズってよばれて勝手に有名になっちゃったりするんだよね。たくさんの人に会うし文化にも巡り合う。だから地方で育つって本当に大変なんだね」みたいな感じ。

一方で「帰れる場所があるっていいじゃん、私には東京以外ないよ」という友達もいた。前者の彼の場合はカースト上位者の意見で、一般層にいる子からしたら東京生まれ育ちは、逃げ場がないっていう。「地方から出てくるとさ、東京デビューできるじゃん。何もかも隠して一からやれる」なるほど、確かに上京って転生みたいなもんだよな。友達も一からだし。

だけど私の場合は東京に出たての頃、既にたくさんのコネクションや知識がある同僚たちのおかげで、たくさん劣等感が芽生えたなあ。おかげで頑張れたこともあるけど、もう一度やれと言われたら躊躇する。本当に良くも悪くも、がむしゃらだったから。

自分のことすら見えてないヤツに、街の良さなんてわかるはずもない。そんなわけで東京の持つ良さみたいなものは、暫く暮らしてわかってくる。がむしゃらに働いてた頃は、景色なんて見えてるようで見えてない。ただの背景にしか見えなかった。追いかけるものに必死でそのほかは、意識にすら入らなかった。それが若さゆえの無敵っぷりなんだなと今は思う。そして冒頭にある言葉の意味に気づく。

東京は共有地ーーー

がむしゃらになってる人たちに、うんざりした東京の子達の悲鳴は聞こえない。東京にいるんだから頑張らなきゃいけないみたいなの、元からいる側からしたら迷惑よね。「渋谷原宿なんて田舎者ばっかじゃん。くだらないよ」と下町で生まれた友人がよく言ってたな。それって皮肉なようで、悲しみでもあるんだよな、きっと。のんびり生きたいのに始めから競争社会に投げ込まれてるみたいな。だから最近は、東京で生まれ育った子たちが地方都市に移り住んでるんだと思う。東京はいるだけで疲れるみたいなところはあるよね。

きっと人間誰しも生きてれば救いが欲しい。このまま人生終わりたくない。何者かになりたい。何かをなし遂げたい。そう思ってる若者の夢見る地が東京。そここそが人生の逃げ場でもあるわけで、でもそこには何もなかったりする。結局何か生み出すのは出会いだから、はじまりの街が自分に合ってるかどうかだよな。

そもそも何者かになりたい!普通は嫌だ!なんてのは、全人類の夢ではない。自分だけの家族や世界を大切に作り育て、守っていくのも立派な夢だ。今はその素晴らしさもわかる。旦那が仕事を嫁が家をっていう役割分担ができないから、家庭を持つことすら難しいからな今は。両方うまくやれてる人は本当に幸運。

東京は共有地なんていうけど、私にとってはラストダンジョンみたいなもんだったな。ラストダンジョンであり、物語の始まりでもあるというか。ここでこのまま生きていくのかどうか、それを決める時が近い。だけどよくわからない。

私の夢見た街は確かに東京で、居心地がいいのもここだけど。この先の人生の描き方が全くわからない。夢見た土地が最初からニューヨークだったら、また違ったりするのかなあ。同じようなもんか。結局何者になりたいかを明確にしなきゃ、どこに行っても同じ。

幽霊東京。

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