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高身長で赤あざのある私: 6. 母親への手紙

引き続き、高身長で右上半身(首から指先まで)に大きな赤アザを持って生まれた私のこれまでの人生についてと、どうやって今はずっと楽に生きられるようになったのかを順を追って書いています。どこかでなんらかの生きづらさを感じている誰かにひとりではないよ、ということが伝えられたらいいなと思っています。

今回はその自分史の6回目です。
前回、どこかで何かが不安で、なぜか自信がなくて、怖くて、それを隠しているから落ち着かなくて、と感じながら生きていたという話をしましたが、それがかなり解消されることになったあるワークについて書いていきます。

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高身長な上、大きなアザがあることで、どこかでいつも人からの視線による不安や恐れを感じていたのですが、それをどうしたらいいのかはわからずに、ずっと苦しい思いを持ち続けていました。

そんな中、参加したヨガの2泊3日の合宿で「明日死ぬという父親または母親に伝えたいこと」というテーマで手紙を書く、というワークがありました。
もちろん、明日死ぬというのは単なる仮の設定ですが、そんな状況を仮にでも設定して、真剣に心の奥の深いところまで潜り、思い出すことも辛い、でもどうしても伝えておきたいこと、を文字にするという作業はとてもしんどくて、溢れる涙と鼻水に、何度も書く手を止めなくてはなりませんでした。

そのときに思ったのは「母親にこれをつたえなくては」ということでした。

手紙では『大丈夫、アザのことや私の人生を心配しないで』ということ、それと合わせてどんなに自分が愛されていることを思い出したか、と感謝の気持ちを伝えました。

母は私に、アザのことで何か嫌なことを言われても負けないでほしい、強くあってほしいという願いがありました。
だから母にはなかなか辛いということは言えず、また私が辛い思いをしていることで、母自身にも辛い思いをさせたくなくて、アザのことについては両親と話をすることはほとんどありませんでした。
アザについて話をするときには辛いことを思い出して涙をこらえたり、平気なフリをしたりするのがしんどかったからです。

しかし、身近で大切な人である母に対して余計な気を使っていたり、母に気を使わせていたり、平気なふりや見ないふり、触れてはいけないものに蓋をしたままで、母に私の人生について心配させたまま逝かせてしまったら、私はとても後悔するだろうと思ったのです。


人が何かしら行動できない理由には、過去の経験や記憶からくる価値観や、恐れや不安が邪魔をしてできないそうです。

そして人が最も求めることは、愛すること、愛されることです。

私は、世間だけでなく母の前でも強い人であらねばとおもって生きていて、母に対しても弱さを見せること、心のセンシティブでやわらかいスポットを守ることに必死だったのです。

母親に弱さを見せたら、母の望む子ではない、そんな子でいたら愛されない、そんな恐れが無意識のなかで母に対してありました。

そしてやっと書き上げた手紙を母に読んで気持ちを伝えると、母は驚いていましたがしっかりと私の気持ちを受け取ってくれ、恐れていたようなことは起こらず、隠し、守りつづけなければいけない不安もなくなったことにより、私を縛り続けていた何か得体のしれない重いものがふっと軽くなって、母に感謝と愛を伝えることができたことで安心とか、愛とかいうものが自分の中に感じられるようになったのです。

これは、本当に私の価値観を大きく変えた出来事になりました。

つづく。

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※ 単純性血管腫(赤アザ)は、他の人にうつりません。触っても痛くありません。でも理解のない人、知識のない人から避けられたり、ジロジロとみられることによって心が痛みます。

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