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湯船

 夕暮れが早くなったと体で感じるようになった冬隣。手を洗う水も一頻り冷たくなり、皿を洗う手は赤くなってきた。

”今日は早めに湯に浸かろう”

 私は髪から足先まで一通り洗った体を湯船につけた。
 我が家はシャワーというものを備えていない、築40年超えの一軒家が横に連なったような古いアパートだ。そのため、風呂に入る前は必ず体を洗ってからでないと次の人が入るのを躊躇うのだ。
 まぁ、それも私くらいのものだけど。
数年ぶりに買ったか貰ったか忘れた温泉風の入浴剤を入れて、さぁ、一息。

 風呂場の窓は開いていて、台所から風呂場に続くドアも開いている。すっと冷たい風が肩を撫でる。そのドアの先で料理をしている母の姿を思い出した。と、同時に、幼い頃に亡くなった父が夕暮れ時に私を風呂に入れてくれたことも、まるで見ているかのような気持ちになっていった。

 視界にそれはなく、まぶたに残る記憶。

 今や私がその頃の両親と親しい年齢になった。
もしかしたら、台所に立つ母を見て幸せという曖昧な感情を、この狭い湯船から父は感じていたのではないか、と。
 誰もいない台所を見つめて感情に浸っていた霜月の上旬のことである。

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