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味噌汁

今夜も寝付けない夜が来た。
僕は相変わらず午前二時を過ぎたころ睡眠薬を飲む。
だが、モニターを乗せたデスクの上には下に乗せるほどの麦茶は残っていなかった。
二錠ほど唇で挟んだそれを流し込むために、二階のパソコンのそばから一階の台所に降りる。

ふと思い出したのだが、前日から体調が優れなかった。

それなのにこの昼に長らく仲良くしている友人に会ってきたのだ。疲労か、気疲れか、わからないまま沸騰しそうな体に水を与えて過ごした一日だと思う。

そんな出来事を振り返りながらも僕の息は上がっていく。唇すら震えだしそうで、持って降りたコップの中に濁流のように注いだ麦茶はすぐ僕の唇に乗せた睡眠薬とともに喉へ、胃へと流れていく。体内から熱を冷ます感覚が来た。

ふう。

と、一息ついたときガスコンロの上にみそ汁の入った鍋を見つけた。夜に家についてから自分のことしか考えられず、待っていた母のことを今、確かにやっと今気が付いたのだ。

「今日はいつ帰ってくるん?さみしいよ」
帰りの遅い僕を心配していた母の言葉に「はいはい」と流したことが恥ずかしい。

「せっかく料理作って待っとったんじゃけ、そんな冷たいしゃべり方せんとって!」
今にでも吐きそうで、でも出ない自分の状況ばかり気にして母に冷たく当たってしまったようだ。自分なりに気持ちを落ち着かせて柔らかく話しかけたつもりだった。

寝る前にやっとわかった。みそ汁も、キャベツの塩ゆでも、ポテトサラダも、僕の大好きな母のから揚げも、あまり食べられないと残してしまった罪悪感も。
母の愛情を素直に受けられない思春期の子供のようだとしみじみ感じた。

毎日仕事で疲労も気疲れも、僕が無意識にしているプレッシャーなどの感情もあるだろう。動くこともつらいその体に鞭を打って、温かい飯を用意してくれる母のありがたさと愛しさを感じた。
謝るよりも感謝を述べたほうがいいと思うのだが、あえて僕は言おう。

母の子供で幸せだ。

それでも生きているのがつらい。

そろそろ薬が効いてきたころだろうか?これを読んでいる君も、つらいことや話したいことは言いたいときに言うべきだ。
しなければきっと後悔する。特に大切だと思えるものには。


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