見出し画像

『無職本』:「本のなかを流れる時間、 心のなかを流れる時間」全文公開

弊社が2020年7月に刊行した『無職本』の収録作の一作「本のなかを流れる時間、心のなかを流れる時間」(著:小野太郎)の全文を公開致します。小野太郎さんは数々の書店に勤めた経験を持ち、現在は福岡県北九州市で「ルリユール書店」を営んでいます。本を取り扱う現場を知る書店員ならではの本音や心の風通しを良くしてくれる数々の良書が紹介されているブックガイドとしてもオススメの一編となっています。

※ルリユール書店では『無職本』及びその他取扱い書籍の郵送サービスをおこなっています。詳しくはこちらをご確認ください。→http://reliureshoten.com/2020/06/21/mushokubon/

本のなかを流れる時間、心のなかを流れる時間

                              小野太郎

作家・詩人の三木卓に「おもどりさん」という短編がある。東海地方のある城下町(おそらく静岡市)を舞台にした連作短編集『はるかな町』のなかに収められている。物語の時代背景は一九五〇年前後。小学生だった語り手の「わたし」はある日、城の外濠のへりで女学生たちが前方を見ながら「ほらね。ほらね」と囁き合っているのを目にする。不思議に思って語り手も同じ方向を見ると、一人の老婆が前のめりになって歩いている。老婆はしばらく行くとくるりと後ろへ向きを変えて来た方へ戻り、また向きを変え前へ進み、そして少ししてまた向きを変えて戻るということを繰り返していた。その老婆は町では「おもどりさん」と呼ばれていることを語り手は後に知る。老婆に戻る訳を尋ねてみる者もいたが、「蛙がいたからね」などと答え、要を得ない。しかし、彼女に心ないことをする者はほとんどいなかった。

町は、そんな不幸な老いた女を、やさしくあつかっていた、と思う。彼女が歩いていても、だれもいじめもしなければ、からかいもしなかった。好奇の目でじっと見つめる者がいれば、それはよその町からの新参者にちがいなかった。彼女は、歩きたいように歩くことが出来た。自転車の多い町だが、彼女がけがをした、というはなしを聞いたことはなかった。
おもどりさんにも、いろいろな状態のときがあった。かなりの距離を歩いても、さしつかえることなく前に進めることもあった。そうかと思うと、乱調になって五メートルもいかないうちに、またもどってしまい、しだいに後退していくときもあった。町の人々は、仕事をしながら、ちら、と彼女の状態を見て、「ああ、今日は具合がいいようだ」とか「どうも婆さん、いけないな。わるくなってるんじゃないかな」と心にかけたりした。      (集英社文庫『はるかな町』より)

語り手はその後、大学進学で町を離れた。久しぶりに帰省したある夕暮れ、外濠のへりを歩いているとおもどりさんが歩みを進め、くるりと向きを変える寸分違わぬ姿を目にした。それを見て語り手は「ああ、元気でいる」と思い、老婆は深まる闇のなかに消えていった、と物語は終わる。

『はるかな町』は作者の青春時代をもとにした連作だが、「おもどりさん」という一編は、彼女のことを忘れ難い一つのイメージに彫琢している。作品のなかで語り手は「おもどりさんは、いつもどこへ行くのだろう」と問うている。彼女がどこへ行こうとしているのか、それは彼女自身にも分からないのかもしれない。しかし、町の人々は彼女に関心を持ち、「おもどりさん」という印象的なあだ名をつけ見守ることができている。そのことが闇をもまた抱えたこの作品に、温かみと爽やかな印象をもたらしている。そして、町の人々が彼女を見守ることができるのは、彼女がそこにいる、目の前にいるからなのだ。
彼女は精神医学によれば何らかの病名をつけられ、もしかしたら病院へ収容されていたかもしれない。しかし、この作品を読んだ者にとっては人々があだ名した「おもどりさん」という一人の人間として生き生きと血が通い脈打って存在している。そして町の人々が彼女を身近で見守ることができたように読者も作品を読むことでそれを追体験できる。この作品は一つのイメージとして時間と場所の制約を超えている。

今回編集部から本書のテーマをいただき、無職中に考えていたことについて「おもどりさん」を導きの糸にして述べてみたい。エンデの『モモ』のように、どうやって自分の時間と自分たちの時間を取り戻すか。それを本を読むことから探りたい。
私は二〇一六年から一九年まで、福岡県北九州市の大型書店で働いていた。出版業界ではいま年間七万点余りの新刊が発行されている(書籍の年間発売日を約二九〇日とすると一日平均で約二五〇点の新刊!)。こんなに大量の新刊でも売場に並んでいれば、書店は自ら本を選んで注文しているのだろうと一般には思われるのかもしれない。実は出版業界には見計らい配本という、書店が注文しなくても新刊が配本される制度がある。ほとんどの新刊書店がその仕組みに沿って営業している。(とはいえ書店からの新刊の事前発注もある程度できるし、売れた商品の補充注文は基本的に書店が行う。)また、委託販売制により多くの本・雑誌は返品できる。現在、書籍・雑誌ともに返品率は四〇%前後に達している。永江朗の『わたしは本屋が好きでした』(太郎次郎社エディタス)によると、一九七五年と二〇一五年を比べて、書籍の年間発行点数は三倍になっているのに、年間売上冊数はほぼ同じだという。大量生産、大量返品(大量廃棄)にどっぷり浸かっている業界なのだ。そんな本の洪水状態では荷捌きや棚の管理、問い合わせや返品に手間がかかる割に、書店の売上は右肩下がりだ。インターネットやコンビニなどでの本の購入、スマートフォンの普及で書店で本を買う必要性は下がってきている。書店は慢性的な人手不足に陥り、そこで働く人たちはいつも時間に追いたてられている。
そんな現状の売場だったが、出版物の流行にも、ゆとりを持って人と接するための時間を奪うような傾向が感じられた。
たとえば発達障害に関する本は出版業界では「ブーム」と呼ばれるほど刊行が相次いでいる。発達障害は「強いこだわり」や「周りの空気が読めない」「計画的に物事を進められない」などといった特性が社会生活に支障を来すもので、脳の伝達物質の働きが上手くいっていないことが原因と多くの書籍で書かれている。そして脳の働きを改善するためにほとんどの医療機関で投薬を行っている。診断件数が増え、診断の対象も子どもだけだったものが大人にまで広がっている。発達障害は自閉症スペクトラム、ADHD(注意欠如多動症)、LD(学習障害)などを包括した呼称で、診断基準にも幅があり、かつそれらの診断名は一般の人々には理解しにくい。二〇一七年に刊行された書籍で「発達障害」とタイトル・サブタイトルにつくものは一〇〇点以上に及んでいる。書籍のジャンルも精神医学、心理学、福祉はもちろん、教育、健康、ビジネスなど大きな広がりを見せている。出版点数が多い分、人目を引こうとイラスト付きの表紙で「空気が読めない」「人の気持ちが分からない」などと刺激的に作られているものもある。新書では一〇万部以上の「ベストセラー」も出ている。
そういった本に毎日触れているうちに「空気が読めない」とか「忘れ物をしがち」などといった特性は本当に疾患と呼べるのかという疑問が湧いた。また、発達障害は脳の伝達物質の機能障害が原因で、育て方や環境の問題ではないという説明が本当にその人にとって救いとなるのだろうかという疑問も抱いた。投薬の問題もある。
もし他者とじっくりと時間をかけて過ごすことができ、社会が人を育てるということを家庭だけでなく学校や職場、地域で行う心の余裕があったらどうだろうか。一人一人の特性は育てるということで活かしたり和らげられたりするはずだ。現在の日本の産業別就業者数の割合はサービス業が七割に及ぶ。一九五〇年には二割程度だった(注1)。

(注1)一九五〇年では農林水産業五〇%、製造業一五%、サービス業二五%(卸売・小売、運輸・通信業を含む)。
二〇一二年には順に、五%、二〇%。七〇%に変わる。
厚生労働省「平成25年版 労働経済の分析」より。

この産業構造の大きな変化が社会の軋みを生んでいるように思う。また、発達障害の人たちは音や光、匂いに敏感だとされる。しかし、都市は昼も夜も光と音と匂いに満ちている。自動車や電車、街灯、信号機、スーパー、コンビニ、広告、高層マンション、ごみの焼却施設等……。無秩序な開発に対して、人間の体がついていかないのではないだろうか。目指すべきは誰もが暮らしやすい地域の暮らし、都市空間なのだ。そのためにお互いが助け合う、それが人と人が共に生きていくことではないだろうか。
今の出版物の流行は金銭を考え方の基軸にして、発達障害であることはビジネスチャンスだということまで喧伝されている。AI時代に凡庸な働き手が淘汰されても、発達障害の人は独自の思考があるので、起業家や知的労働者として生き残れるといった発想だ。過度な競争社会こそ是正されるべきではないだろうか。
少し角度を変えて考えてみるためのお薦めの本は、『ゲド戦記』の訳者で児童文学研究者の清水眞砂子『大人になるっておもしろい?』(岩波ジュニア新書)と、思想家・渡辺京二の『無名の人生』(文春新書)だ。二冊とも世の中の常識をひっぺがして、読者の心の風通しをよくしてくれる好著だ。前者は学生たちとの出会いや本、映画との出会いから得たことが思考を積み重ねるようにして綴られている。「怒り」や「沈黙」、「かわいい」といったことに対する世間の押しつけを跳ね返す勇気をきっと与えてくれる。後者は、成功すること、目立つこと、有名になることが至上価値のように喧伝される世の中で、慎ましく生きること即ち自分自身であろうとすることはどういうことかを説く。そしてそのために努力することも。二冊とも書店や図書館で手に取りやすい本なので、ぜひページをめくってみてほしい。肩の荷が下りる一行が見つかるはずだ。

先の二冊とともに、未読の方に読んでほしい本はアランの『幸福論』だ。私の体験を振り返ってみても、この本を読んで受け売りすると失敗することもあると思うが、長い目で見た時にはきっと良き友になってくれると思う。タイトルに怖気ずに、騙されたと思って少しずつ読んでみてほしい。私は書店で働き始めた時、その前に勤めていた学習塾で上司から厳しく指導され続けて自信を失っていた。自分にとって不慣れな職業を選び、日中から夜間にかけての長時間労働をするうちに、自分でも何をしているのか分からなくなった。学習塾を辞めて書店で働き始めても自分が社会人としてポンコツだと人から何度も言われたせいで、どう社会人として振る舞ったらいいのか分からなかった。そんな時、人から薦められてアランを読んでみた。当時は感情や思い込みに流されやすくなっており、物事を冷静に粘り強く考えることが段々できなくなっていた。そんな時に哲学者アランの本を読むと、最初はその厳しさにたじろいだ。しかし、「幸福になるのは、いつだってむずかしいことなのだ。多くの出来事を乗り越えねばならない。大勢の敵と戦わねばならない。負けることだってある。乗り越えることのできない出来事や、ストア派の弟子などの手におえない不幸が絶対ある。しかし力いっぱい戦ったあとでなければ負けたと言うな。これはおそらく至上命令である。幸福になろうと欲しなければ、絶対幸福になれない」といった力強い文章に魅かれていった。何か心が動揺することが起きても、精神と身体を分けて考えるというアランの思想は支えとなっていった。たとえば、アランのこんな言葉を思い出すこと。「『ぼくは悲しいのだ。目の前が真っ暗だ。でも、これにはいろいろな事件など何の関係もない。自分の理屈も関係がない。理屈をこねようとするのは身体なのだ。それはいわば胃の考えたことだ』と思うようになるだろう」。また、「人がいらだったり不機嫌だったりするのは、よく長時間立たされていたせいによることがある。そんな不機嫌にはつきあわないで、椅子を出してやりたまえ」という言葉からは、人の性格を性急に決めたりせずに問題の物理的な原因にまず働きかけようという姿勢を学んだ。受け売りで失敗することもあったが、とにかく本を読むという自分のペースでできる自己鍛錬は少しずつ自分の力になっていった。沢山の出版社から邦訳が出ているので、ぜひポケットに一冊忍ばせてみてほしい(注2)。

(注2)引用は全て『幸福論』アラン、神谷幹夫訳、岩波文庫、1988による(p.312, 28, 10)

さて、現在の出版物の流行に戻ろう。児童書では『ざんねんないきもの事典』(今泉忠明監修、高橋書店)や『わけあって絶滅しました。世界一おもしろい絶滅したいきもの図鑑』(今泉忠明監修、丸山貴史著、ダイヤモンド社)がベストセラーになった。続編、類書も続々と出た。『ざんねんな……』は動物の生態を人間から見て面白おかしく書いている。人間を含め多様な生き方を「ざんねん」という一言で処理するような風潮に危惧を覚えた。この本はダーウィン流の進化論が前提となっているが、本が売れたことに味を占めたのか、まさしく進化論で絶滅した動物を笑う『わけあって絶滅しました。』が続いて出版された。この本は絶滅した動物になぜ絶滅したかをキャラ化して「自ら語らせ」、こうすりゃよかったというオチがつけてある。たとえば、ステラーカイギュウというジュゴンの仲間は、ベーリング海で海藻を食べて生息し、八メートルもの巨体のため泳ぐのが遅かったそうだ。仲間が攻撃されると集まって守ろうとする習性があったため、人間に発見されてからあっという間に絶滅した。この本ではコンブばかり食べ、歯もなくなり泳ぐのも遅い愚鈍な生き物としてイラスト付きで描かれ、「やさしすぎて絶滅」「ふだんから魚を追いかけていれば、もっと速く泳げたかもね」などと書かれている。仲間を守ろうとして自分が犠牲になることを笑ったり、動物の生態を「自己責任」のようにあざ笑ったりと終始この調子で様々な生き物が描かれている。私の世代ではドードー鳥のように人間のせいでほろんだ生き物をあざ笑うなど思いもよらないことだった。ベストセラーのこの本で育った子どもたちはどう育つのだろう? この本を読んでいじめられるのも自己責任、学校の勉強という競争で敗れるのも自己責任と思ってしまうのだろうか……。やられる前にやっちまえ……? 目立つな……?
そんな風潮のいま、児童書ではたとえば、『知里幸恵とアイヌ 小学館版学習まんが人物館』をお薦めしたい。アイヌのカムイユーカラ(神謡)を大正時代に美しい日本語に訳した知里幸恵の伝記だ。本書からはアイヌの人々がいかに神・動物・自然を敬っていたかということと、同胞を慈しむアイヌの気貴い精神性が伝わってくる。ダーウィンの進化論については、自然学者の今西錦司が「種社会」や「棲み分け」の理論によって反論している。『進化とはなにか』(講談社学術文庫)や『今西錦司 生物レベルでの思考』(平凡社)などが手に取りやすい。

出版物の流行にも、ゆとりを持って人と接するための時間を奪うような傾向がある、ということが伝わっただろうか。時間のゆとりがなければ家族や知人たち、ましてや一度きりの偶然の出会いに時間をかけることはできない。冒頭で三木卓の「おもどりさん」という作品を紹介したのは、どうやったら他者とじっくり向き合い、理解し合えるかを考えてみたいからだ。いま人々に時間のゆとりがないということが、この作品のなかで流れている時間と比べると、鮮やかに浮かび上がってくる。

新刊書店で働いている時、人手が慢性的に足りていなかったため、ひっきりなしにレジにお客様が並び、問い合わせを受け電話も取り、品出しをして発注をし、煩雑なレジ操作をしていた。そんな時間に振り回される売場で、常連の方でいつも本をまとめて注文して買っていく女の方がいた。その方は細かいことを店頭や電話でいつもお尋ねになっていた。何をおいても自分の知りたいこと、好きな本を買えることに一所懸命で応対に時間がかかる方だった。色々言われると慣れないうちは頭に響いた。お会いした初めの頃は私もイライラしてしまい、つっけんどんな対応をしてしまった。しかし、自分の好きな本を買う喜びは純粋に表される方で、周りが忙しかろうとマイペースで話される。いつも変わらない方だと思えば、四六時中動き回っている忙しさから一時解放されるようでもあった。あの方に流れる時間はもっとゆっくりで、普通ならレジが並んでいれば早く買って帰ろうと思うものだが、そんな様子もなく楽しそうに話して帰っていく。その方がそれこそ空気を読まず、自分らしくマイペースでいることが、私にふと人間らしい時間を取り戻してくれていた。それは働く小さな楽しみでもあった。

前職ではなるべく残業はせずに定時内で仕事の成果を上げ、家族と過ごす時間を大切にしようと思っていた。家事は少なくとも自分のことは自分でし、妻の負担が少なくなるようできるだけ心を配った。家ではテレビがないのでぼーっと受け身で過ごす時間はないのだが、出勤日は大抵時間に追いたてられている感じがした。
サラリーマン時代は家のことをするといっても、勤務時間は必ず会社にいなければならない。時間がないので必要なものやサービスはお金を払って済まそうと考えていた。
働いている時から思想家・歴史家のイバン・イリイチ(一九二六―二〇〇二)の本を読んできた。イリイチはオーストリアで生まれ、ローマのグレゴリアン大学で哲学と神学を学び、次いでザルツブルク大学で歴史を研究し学位を取得。一九五〇年代初頭、司祭としてニューヨークに赴任し、その後プエルトリコ、メキシコで第二次大戦後の世界規模の開発、経済成長論に対し激しく異を唱えた。一九六九年にはローマ・カトリック教会との軋轢により司祭の資格を放棄する。初期の『脱学校の社会』(一九七一)『脱病院化社会』(一九七五)などが世界的に知られ、八〇年以降はドイツやアメリカの大学で教える。『シャドウ・ワーク』『ジェンダー』『テクストのぶどう畑で』などの歴史学・経済学をもとにした著作や、西洋文明と教会、福祉、テクノロジーなどについて語った最晩年のインタビューも邦訳が刊行されている。
イリイチは私たちがどっぷり浸かっているこの産業社会において、言葉にするのが非常に難しい様々な問題について述べている。そしてその批判は滋味溢れるとでも言いたくなる文章で磨き上げられている。
無職中に『シャドウ・ワーク』(玉野井芳郎・栗原彬訳)を読み直した。「シャドウ・ワーク」とは家事や通勤のための長距離移動など、経済及び産業社会を成り立たせるための賃金の支払われない「影法師」の仕事。それは男は賃金労働へ、女は家庭へと男女ともに生活の自立と自存を奪われた性差別的経済体制である。他方で、家・家族のこと、衣食住を男も女も自分たちの手でまかない、賃金労働が稀であった世界がある。たとえば中世ヨーロッパ、「低開発国」と呼ばれたアフリカ、中南米など。ヨーロッパでは一八世紀頃まで民衆は男女ともに自立した生活を営み、公権力からも身を守っていた。その後、ブルジョワの戦略により女は家を守り子どもを育てるのがふさわしいとする「囲い込み」に見舞われる。そのことで初めて男は賃金労働へ、女は家庭へという歴史上かつてない分離が成功することになった。そしてそれは「清潔な生活をいとなむ労働者階級へと変化したときにはじめて、大衆の支持をかちとることができた」(注3)。

(注3)『シャドウ・ワーク』同時代ライブラリー(岩波書店)、1990、p. 220 (Ivan Illich, Shadow Work, Marion Boyars, 1981)

そして冷蔵庫、洗濯機などの製品、買い物のための自動車などの出現によって産業社会を成立させるための必須の無給の仕事としての家事が生まれる。
今回読んで特に目を開かされたのは、女は家庭へ男は賃金労働へと経済的に分けられることで、かつてあった人間の自立と自存のためのその土地特有の暮らし方が奪われたという指摘だ。そして、それは一度奪われると思い出すことが難しく、取り戻すのに非常な努力を必要とするということ。
私は男は外で働き、女は家を守るというのは古い考え方だと思っていた。今の日本の経済状況では男の収入だけで家庭を維持する世帯の方が少ない。むしろ共働きだが、古い考え方だけが人々の意識になお残り、女を仕事と家庭との二重の負担へと強いている。私は男は仕事、女は家庭というのが一番よい夫婦のあり方だとは思っていなかったが、その形で生活が安定していればそれはそれでよいのではないかと思っていた。子どもが家に帰った時は誰かいた方がいいという思いもあった。
しかし無職中に一人で家で過ごす時間が増えると、かつて男も女も家のことを切り盛りするために互いに補い合いながら生き生きしていたとしたら、ただ家事をするということがとても寂しいことのように感じてきた。それはサラリーマンとして収入が満足にあろうと同じことで、給与のために家から離れて働くということがひとつの障害となっているのだ。
とはいえ、私も含め全く給与がなければほとんどの人は家計が維持できない。給与が必要なので男も女も外で仕事をするが、子どもを産み育てるにはどうしても女の力がいる。それがまた女の家庭への囲い込みという形になってしまい、性差別的な経済体制にどうしても夫婦は飲み込まれてしまう。
それでも、人が生きるための生活の営みが男女一緒になってもっと生き生きと輝くものであったなら。そんな生活が産業化社会以前にあったとしたら、まず思い出すことから始めよう。それを完璧な理想と決めつけたり、知る前に拒絶することなく。思い出すことが難しくとも、私たちにはたとえば石牟礼道子の著作、特に『椿の海の記』『食べごしらえ おままごと』『春の城』といった作品が残されている。そして宮本常一の『忘れられた日本人』のような民俗学がある。岩波文庫の解説で網野善彦は「『忘れられた日本人』『忘れられた人間』は現代の真只中にも、また歴史の中にも、なおきわめて多いのである。宮本氏以上の力をもって、われわれはその『伝承者』となり、その存在を世に問いつづけていかなくてはなるまい」と私たちに呼びかけている。「宮本氏以上」とは強烈で忘れ難い言葉だ。だが、一人一人にできることがあるはずだ。「伝承者」の目は外に向けられると同時に、自らの内にも向けることができる。たとえば、インターネット、スマートフォンが普及する前に物心ついた大人は自らの過去を振り返ってどう生きていたか、子どもはどう育っていたかを思い出すこと。そして時間はどう流れていたか。それを思い出し、生活の場で意識していくだけでも、私たちのなかの「忘れられた日本人」を今に活かすことができるはずだ。

本を読むこと、特に文学を読むことはすぐに何かが分かることではなく、時にこれから物語はどうなるのだろうか、この言葉や描写は何のことだろうと不思議な思いに捉われる体験だ。本を読んでいる現実の時間と、言葉でできた文学のなかで過ごす時間がある。そして読後に心のなかで本のことを思い出す日常の時間。さらに人との出会いのなかで生き生きとよみがえるその本との時間。
たとえば私にとって忘れ難い経験は、詩人の高橋睦郎の詩集を読んだ時のことだ。彼の詩を初めて読んだのは、様々な詩人のアンソロジー『ポケット詩集』(童話屋)のなかの一篇だった。そこには「鳩」という詩が収録されていた。「その鳩をくれないか と あのひとが言った/あげてもいいわ と あたしが答えた」と始まる、貧しい男女の恋の一幕を描いた詩だ。ピカソの版画からインスピレーションを得て書いたと彼は述懐しているが、まさに輝く空に舞う鳩のような純粋さを持った詩だった。もっとこの人の詩を読んでみたいと思い、現代詩文庫の『高橋睦郎詩集』(思潮社)を手に取った。収録された初期の詩集『薔薇の木・にせの恋人たち』を読むうちに、これは何だろう? と思った。「きみのからだは 百合と性からできている」「少しあおざめた、性のにおい高い薔薇」「どろぼうたちのキリスト」といった言葉が押し寄せてくる。意味はよく分からないながらも、恋人を讃えるための詩句として玲瓏と感じられた。高校生だった私は、これは「鳩」のように男から女への愛の詩なのだろうと何となく思い読み進め、収められたその他の詩集にも大いに魅かれた。その後、彼の本を色々と読むうちに、あれは男と男の愛を謳った詩なのだと気がついた。大学生になっていた頃だった。それを知っても、私は高橋睦郎の詩は「人を愛するこころ」を教えてくれたと感じていた。高橋は後年『薔薇の木・にせの恋人たち』について、ある詩人が「ホモセクシュアルの美学で時流に投じた高橋睦郎」と評したことに激しく反論している。「ぼくにまえもって『ホモセクシュアルの美学』などというものがあったわけではないし、ましていわんやその『美学』とやらで『時流に投じた』わけでもない」と(注4)。

(注4)『友達の作り方』高橋睦郎、マガジンハウス、1993 、p. 361

彼の詩は翻訳も含めこれまでに書かれた愛・恋の文学作品、そして聖書を貪欲に吸収し作りあげられている。それらの文学作品は異性愛を謳ったものの方が多いであろう。だがそれらを彼は見事に自分の詩としている。だから「ホモセクシュアルの美学」など初めからなく、彼は手持ちの言葉で、いかに人は人を愛するかを詩にしたのだ。
人口の多くはない地方都市で、インターネットも大型書店もなかった時代の私の読書体験だ。そして当時は、文学や本について語り合う友達もいなかった。高校の同級生たちと馴染めず、人を好きになる自分の感情も上手く言い表すことができないでいた私が、本を読んで少しずつ生命力を取り戻しつつあった頃だと思う。友達と本や文学について語り合うことがなかったのは寂しいことだし、読む本にも偏りがあったことは残念なことだった。しかし本を読むことの貴重な経験もできた。もし高橋睦郎についてその詩の魅力も理解せず、ただ「ホモセクシャルの詩人」などと友人やインターネットを通じて見聞きしていたら、その詩を読まずに終わっていたかもしれない。「言葉」によってそれまでは未知だった、触れることのなかったことを不意に血の通った体験として詩は教えてくれた。その作品があくまで明澄だったことは詩の先にいる詩人に対しての信頼や敬意を生むものだった。文学作品にとって作者の人柄というものは大いに大切で、読者はなるべく予断なく作品を読むことでそれを見きわめるすべを身につけてほしい。これは全ての文学作品、文章(そして今はフェイクニュース、SNSの問題がある)が善意で書かれている訳ではないということとも関係している。
本を読むということは他者の声に耳をすますという姿勢を私に教えてくれた。本を読み考え、人との出会いがより時間をかけた粘り強いものとなる、そんな経験が多くの人に訪れてほしい。大学でも産業界でも、AIやテクノロジーの開発に血道をあげる時代だ。特に若い人たちには、科学や技術で問題を解決するだけでなく、手を差し伸べて他者に触れるだけで変わることがある、そう考えの方向を向けてほしい。「産業社会とはその犠牲者なしには済まされない社会である」(イリイチ)そんな今、本と人、人と人との出会いの力になりたい(注5)。

(注5)『シャドウ・ワーク』前掲邦訳書、p.236

                               〈了〉

202005_無職本_H1

内容
どこにでもいる普遍的な人々が「無職」という肩書がついたときに考えていたこと、感じたことを、それぞれの表現方法で自由に書いてもらいました。
目次
無職ってなに?/松尾よういちろう
職業:無職/幸田夢波
無色透明/太田靖久
平日/スズキスズヒロ
底辺と無職/銀歯
僕、映画監督です!/竹馬靖具
浮草稼業/茶田記麦
本のなかを流れる時間、心のなかを流れる時間/小野太郎
著者プロフィール
松尾 よういちろう (マツオ ヨウイチロウ) (著/文)
1981年4月8日 愛知県名古屋市生まれ。
2008年~2020年3月までフォークロックバンド「井乃頭蓄音団」のオリジナルメンバーとしてボーカルを担当、フルアルバム6枚を発表。現在はソロで活動中。日本のフォークソングに傾倒しており、中でも高田渡、さだまさしに影響を受ける。家族や故郷を題材にした歌が多く、日常の些細な出来事を切り取り、優しく温かくユーモラスに描く。
フジテレビの音楽番組「お台場フォーク村デラックス」に出演して以来、THE ALFEEの坂崎幸之助氏から恩顧を受ける。FUJI ROCK FESTIVAL 2015(木道亭/Gypsy Avalon)&2016(苗場食堂)と、異例の2年連続出演を果たす。2016年出演の際は、鈴木慶一氏(はちみつぱい/ムーンライダーズ)と共演。ARABAKI ROCK FEST.2018ではフラワーカンパニーズ、あがた森魚氏、曽我部恵一氏他と一夜限りのユニットとして出演。鈴木茂氏(はっぴいえんど)、暴動(グループ魂)、樋口了一氏などとも共演。
松尾よういちろうHP: http://ma-yo.info
幸田 夢波 (コウダ ユメハ) (著/文)
声優ブロガー。オンラインサロン『夢波サロン』オーナー。高校生で声優デビューし大学在学中にアーティストデビュー。約8年間の声優事務所所属ののち、フリーランスとなりブロガーになる。ブログでは声優業界のあまり知られていない裏側の話やフリーランスとして働く上で必要な知識などの記事を公開中。
ブログ:幸田夢波のブログ(https://yumemon.com/)
Twitter:@dreaming_wave
太田 靖久 (オオタ ヤスヒサ) (著/文)
1975年生。神奈川県出身。2010年『ののの』で第42回新潮新人賞。2019年に電子書籍『サマートリップ 他二編』(集英社)刊行。フィルムアート社ウェブマガジン「かみのたね」にて『犬たちの状態 犬を通して世界を認識するための連作』(共作/写真家・金川晋吾)を連載。その他、インディペンデント文芸ZINE『ODD ZINE』を企画編集している。
スズキ スズヒロ (スズキ スズヒロ) (著/文)
1992年宮城県仙台市生まれで在住。小学3年生の時、「石ノ森章太郎のマンガ家入門」を読んでマンガを描き始める。著書に『空飛ぶくじら スズキスズヒロ作品集』(イースト・プレス)がある。第2種電気工事士、危険物取扱者などの資格を保有している。
銀歯 (ギンバ) (著/文)
名前 銀歯
年齢 39歳
住処 不詳
職業 底辺労働者
田舎で生まれ育ち、底辺労働を続ける傍らで、クルマで山道をドライブしながらYouTubeにて底辺労働者の日常や仕事のこと、自己哲学を延々と垂れ流すラジオ動画を投稿し続けている。期間工、ブラック企業、工場労働、零細企業で主に働く。
竹馬 靖具 (チクマ ヤストモ) (著/文)
1983年生まれ。2009年に監督、脚本、主演を務めた「今、僕は」を全国公開。2011年に真利子哲也の映画「NINIFUNI」の脚本を執筆。2015年、監督、脚本、製作をした「蜃気楼の舟」が世界七大映画祭に数えられるカルロヴィ・ヴァリ国際映画祭のフォーラム・オブ・インディペンデントコンペティションに正式出品され、2016年1月より、アップリンク配給により全国公開。2020年、夏より映画「ふたつのシルエット」がアップリンク吉祥寺ほか全国公開。
茶田記 麦 (チャタキ ムギ) (著/文)
1981年7月、水面と同じ高さの東京下町で生まれ、川を越え坂を上り山の手の学校に通ったため、どこ育ちと地名とともにアイデンティティを語ることが難しい。小中高をエスカレーター式の女子校で過ごし、早稲田大学第一文学部を卒業。現在は千代田区にて労働する会社員です。
小野 太郎 (オノ タロウ) (著/文)
1984年山口県生まれ。これまで東京堂書店神田神保町店、文榮堂山口大学前店、ブックセンタークエスト黒崎店で働いた。2019年秋、退職。現在、福岡県北九州市で妻とルリユール書店を営む。
HP http://reliureshoten.com



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?