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『無職本』:「浮草稼業」全文公開

弊社が2020年7月に刊行した『無職本』の収録作の一作「浮草稼業」(著:茶田記麦)の全文を公開致します。普段は都内の会社員として働く茶田記さんの独特な視点から抜き取った景色、絶妙なセンスで紡がれる文章には、無職の悲壮感が感じられず茶田記さんにとって素敵な充実した日々だったのだというイメージが伝わります。


浮草稼業

                              茶田記麦


三月
〈観客〉

JR浜松町駅の線路をまたぐ、跨線橋の姿。ブロンズ色のソリッドな軀体。いつものようにホームに吐き出された人々の群れを静かに見下ろしている。その中のひとりが私だ。その姿を初めて見たときひと目でしびれてしまった。
あ。豊海橋と同じ。
フィーレンディールだ。

豊海橋は日本橋川にかかる可憐な橋で、私が最も好きな橋の一つだった。そのトラスとも違う連なる窓のような独特な形状は、調べたところによれば、フィーレンディールというのらしかった。跨線橋を知るまで他にフィーレンディール橋を知らず、だから呟くこともなかった。気づいた瞬間、友達に「私の好きな、フィーレンディール橋の話聞く? 二つあるんだけど」とメッセージを送ったものだ。
浜松町駅から東京モノレールに乗って湾岸に行くときは跨線橋を上から眺めることができるのも楽しみだった。もれなくややこしい仕事が付随してくるのだったが、始点と終点で二度も見せ場が約束されている仕事先はなかなかない。ときにはトラブルで日に二往復したりして、見せ場が倍に跳ね上がった。

跨線橋には豊海橋のように窓の向こうに日本橋川の流れを眺める風流さはないが、中に廊下をまるごと包み込んでいるという仕様が可笑しさと哀しみと格好良さを生んでいる。その上、フィーレンディール式窓の中には廊下に作り付けられたガラス窓が一つ一つぴったりと顔を出しているのだ。
窓の中の窓について、何かうまいことを言えそうなのでしかつめらしく考えるふりをするが、うまいことの類は大概するりと逃げていく。そこでいつも抜群に格好良くて可笑しいその姿をただじっくり目に焼き付ける。
朝の洗練された趣を隠さずに堂々とまたぐ姿ももちろん良いのだが、夜に忍ぶ姿も格別だと何度目か数えられないほど感じてきた思いで振り返ってから、階段を下りる。東京タワーを正面に確認したのも束の間、地下鉄の駅に下りるとセブンティーンアイスを食べる中年の男性が、今日もホームに息づいている。私の調べによれば、彼らに人気があるのはクッキー&クリームもしくはチョコチップ。パッとしない一日の終わりに、ささやかなご褒美を。その考えには私も賛成だ。私に跨線橋がなければ、と思う。彼らと同じように自動販売機に小銭を投入して、チョコミントのボタンを押していたはずだ。
駅員がやってきて、ホームドアの上部をぱかっと開けて、中のマニピュレーターのようなボタンが沢山ついた装置を操作する。そのためかわからないが、ややあって、電車が到着する。私も彼らも到着した電車に乗り込み、一駅、また一駅とそれぞれの家の方へ向かい、もう一時間も経たないうちに三月が終わる。

四月
〈変質者〉

目が覚めると世界は四月で、私は無職となった。生き物が目覚め、風が吹き、あらゆるものが飛ぶ四月。昔同じ職場で働いていた、来る日も来る日もアーミッシュ風ファッションに身を包んだ女性は言った。「一年に一度、キェーと叫びながらアスレチックのロープウェイを乗り回したくなる季節」だと。周囲の変質者を見る目に反して、私はおおいに賛同し、彼女と二人きりになった休憩室で「私も」と打ち明けすらした。
春の風とともに私は、玉結びにしたロープの先をまたいで編み上げブーツを履いた足を組み、エプロン風ドレスの裾と一つに編んだ長い髪をひるがえし斜面を滑り降りてくる彼女の姿を思い出す。

カーテンを開けると、なみなみと流れる深い緑色の川面。護岸に一羽の真っ白なコサギを見る。殆どの場合、護岸で目にするサギ状の塊がコサギやアオサギと見せかけた膨らんだビニール袋であることを考えると幸運だ。
嬉しくなってそのへんに掛かっていたワンピースを頭からかぶって、外に出てみる。四六時中風に吹かれている川べりの柳は、このときばかりはとっておきの若芽をなびかせ、一年で一番美しいその姿を奔放に披露している。それに加えて足元のこの草たち、だ。地面を這うつぶらなブルー、規則正しく並んだ葉と巻きひげを従えた桃色の舌、群生する黄色の手毬、フライト待つ綿毛。この形状と色彩の天才的な配置はどうだ。鼻息を荒くしながら忘れていたことを思い出す。私がこれらの味方だったということを。誰にも雑草などと呼ばせない。
唐突に使命感が体中をみなぎり、太陽光線をざんざんと全身に受けながら肩をいからせ、通りの真ん中を歩いて行く。区役所へと続くこの道も、折れて川に沿って進むあの道も、桜に囲われているということに変わりはない。日本中どこであろうと袋の鼠だ。花びらが道順を示すように白線を引いているのを目で追いながらポケットの中を探り、使用済みのティッシュペーパーに紛れた蠟引きの紙の感触をしばらく味わう。これはいつか舐めた飴の包み紙に違いない。手にとって見てみると、白いうさぎの絵と共に“WHITE RABBIT大白兎奶糖 牛乳飴”と記してある。母がこっそり大切に舐めていた美味しい飴の記憶を思い出して味わう。

区役所に一番近い証明写真機は、ずっと前に利用した当時と同じ場所にあった。顔の位置を示す楕円形、くるくる回して高さを合わせる椅子、見本の写真の中の女性。何もかも、前に求職活動をしていたときと代わり映えしていない。求職者が進化を求められ続ける時代の一方でこれは一体……抱きかけた殺意を即座に嚙み殺し、用意してきた真っ白いハンカチを膝の上に広げる。どのカットがいいのか、制限時間付きで問われるが、右脳・左脳どちらで判断するかによって選別のポイントは変わるのでなかなか選べない。右目で見たり左目で見たりしているうちに時間がおしまいになる。

ラジオをつけてかつて仕事中に聴いていた局にチャンネルを合わせると、初耳のジングルに合わせて全然知らない番組名が告げられ、馴染みのないパーソナリティーが喋りだす。急に心細くなる。

五月
〈無職〉

私の無職の記念に旅に出ようと誘ったら四人の友達が同意してくれた。Jちゃん、Sさん、Iティー、Gの四人だ。私の一存で、千葉の館山に行く。日本の古典文学で馴染み深い『方違え』と同じ理論で吉方位に行って帰ってくるアクティビティーだ。私を含めた五名の『まあまあいい~とてもいい』方角が一致したことは旅に出るのに十分な理由だった。それでなくても房総半島が好きなので、吉方位であろうがなかろうが外房線と内房線を乗り継いで東京にとんぼ帰りしたり、一度久里浜に行ってからフェリーで浜金谷に上陸したりと様々な方法で千葉県へと足を運んでいる。千葉県のマスコットキャラクター・チーバくんの赤い靴下を履いて行くのは六年ぶり二度目。前に履いたときより少しきつくなっている。

〈リスクマネージャー〉
館山の地図を眺めるとチーバくんの足の甲あたりに不自然に突き出した部分がある。ずっと前に私に千葉の魅力を教えてくれた人から聞いた、「主婦が夕飯のカツオをバンバン釣っている」という自衛隊堤防だ。そこから鼻提灯のように吹き出た、島という名のわりに地続きになっている、沖ノ島に行ってみたい。館山夕日桟橋から出る、海中観光船にも乗ってみたい。
いくつか要望を伝えると、Jちゃんが電車の到着時間、道順、アクティビティーにベストな時間などの観点から、旅程に落とし込んでくれる。彼女が私たちの旅のしおりだ。おかげで美味しい鮨屋や目の前に海が広がるイタリアン、落花生専門店、フラワーパーク、道の駅などを盛り込んだプレイフルな旅程が完成する。しかも残り時間や体力に応じて選択できるBパターンが必ず用意されている。途中で疲れるのも悪くない。

〈技術者〉
館山駅からはIティーがレンタカーを運転する。技術的なことは彼女に任せようというのが全員の意見だ。運転席だけは彼女の指定席。他の者たちは誰がどこに座ろうと旅の質には関係がない。じゃんけんでもして決めればよい。

私たちは、彼女なくしては江戸川の土手で凧を揚げることもできなかった。手作りの凧揚げに執着していた時分、Jちゃんの幼馴染であり強力な助っ人として紹介されたのがIティーだ。彼女以外の誰も、凧に必要な様々な紐の結び方を読み解き、実際の紐の位置関係を図の通りに仕上げることはできない。旅行においても同様で、運転はもちろん、ややこしい地図、施設の複雑なルール、係員の冗長的な説明など、とまどうときにはみんなが彼女の出す答えを待っている。

〈ソフトクリーム食べ人〉 
「Sさんはこの旅行中に何個ソフトクリームを食べるかな」
尋ねると、皆の予想は「二つ以上」で一致し、〇~一個である可能性は捨てられた。Sさんは旅先でソフトクリームの看板を見るたびに注文することができる。そしてあっという間にふわふわと食べてしまう。私がまだ先端と格闘しているとき、彼女はいつも、コーンの中腹に達している。彼女はお腹が弱くてアイスクリームを食べることができない。アイスクリームより、ソフトクリームの方が温かいと言う。そんな馬鹿なと調べたところ、事実はSさんが自らの舌で感じ取り、輝かしい記録をもって証明していたとおりだった。

彼女と共に私たちは色々なソフトクリームを食べてきたし、これからも共に未知のソフトクリームを食べることができる。中野ブロードウェイの地下の店『デイリーチコ』の10段ソフトクリームは彼女が食べるのを見守るだけだったが。

〈お茶目〉
記念旅行が決まると、「夜ふかししてとことん語り合おう」そのような意味を込めて、Gは森高千里の『気分爽快』を口ずさみ本番前の軽い喉慣らしをする。行きの列車の中でもサビだけを聴かせてくれたが、まだそのときは早いとばかりにみなまでは歌わない。Gも他の者達もその日の夜本番が来るのを待つ。
宿に着くと足湯に浸かりながら館山湾に沈む夕日を眺め、ホウボウやトビウオ、伊勢海老が盛り込まれた豪華デラックス舟盛り、焼き鰈、伊勢海老とチーズのオーブン焼き、蟹の爪入湯豆腐、茶碗蒸し、酢ダコ、ゆで落花生などに舌鼓を打ち、人魚の湯を楽しみ、卓球に興じ、一同にとってお楽しみな夜本番がいよいよ幕を開けようとしている気配を感じながら部屋に戻るが、敷き詰められた布団を見た瞬間近場の布団から一人ずつ倒れ込み、せっかくなので少しだけ目を閉じてみる。Gが最近ハマっている『寝る前に聴くヨガの音楽』をかけてみる。おすすめの死体のポーズで房総半島に体を預けてみる。目が覚めると朝日が降り注ぐ部屋で、逆光でシルエットだけになったGが『気分爽快』を歌い踊っている。期待に応える、それがGである。

その五人で出かけた無職の記念旅行で何が起こるのか。それは以下に続く。沖ノ島では砂浜と森林と岩場が楽しめると知ること。海から続く階段をのぼり大きなタブノキとしろへびを祀った神社を見ること。岩場には卵色の中華麺状のかたまりがそこここに落ちていてGが「みんなこんなところに食べきれなかったラーメンを捨ててる!」と笑うこと、それがアメフラシの卵であることは黙っていること。海中観光船・サブマリーンたてやま号の船体にはピンクのくじらが描かれていること。観測ポイントに到着すると運転士のおじいちゃんが加山雄三の『海その愛』を大音量でかけて、私たちも一緒に歌うこと。観光船の海中展望室はモニタが沢山並んだハッカーの部屋のようなこと。海辺のテラスで美味しい魚介のパスタを食べること。思うようにソフトクリームが売っていなくて結局Sさんが(私たちも)食べるのは落花生専門店のピーナッツソフトクリーム一つだけであること。つまり予想をはずしたこと。鮨屋の大将にイカの握りの上に乗っていた肝のソースの作り方を教えてもらうこと。崖の上にへばりつくように建てられた寺を見ること。崖に彫られた観音像までは見えないこと。白い鳥居の安房神社にお参りすること。ツタンカーメンの格好をした人が道の駅にいること。お土産に金目鯛と、動物に見立てペイントした石を売っているおじさんからくじらを二つ買うこと。フラワーパークで普段その繁殖力をくさしていたポピーを摘むこと。グロテスクなつぼみから畳んでおいた花紙のような色とりどりの花が広がり出て綺麗なこと。

六月
〈トレイニー〉

身体の調子を整えるために、フィットネスジムの契約をする。マシンだけのコンパクトなジムだ。契約のときに入会のモチベーションを聞かれ、「仕事を辞めて暇なので」と伝える。体重が増した理由を聞かれ「仕事が忙しかったから」と答える。仕事が忙しいと自動的に夕飯を食べるのが寝る直前になる。そう、これはまごうかたなき言い訳だ。0・5秒で見破られたのがわかる。話を切り上げるようにしてパーソナルトレーニングの四回分のチケットを購入する。これでメニューを作ってもらった後はその軌道に乗るだけで、美容と健康が自動的に目の前に開けてくるであろう。わかりやすいことはとりかかりやすい。

パーソナルトレーナーはボディービルダーで、大ぶりの身体で負荷のことはもちろん、十分な量のタンパク質摂取のために鶏のささ身を何本食べれば良いかとか、炭水化物として林檎を四分の一食べても良いとか、何より大切な栄養素はビタミンCであることだとかを事細かに教えてくれる。デザインされた強い肉体は入念な下調べと緻密な計画、忠実な生活によって作られている。その事実に気づかされ、俄に意識を高めてまずは形から入る。得意分野だ。
はじめに、水を入れる入れ物だ。数十に上る水を入れる容器を、素材、デザイン、洗いやすさ、飲み口の形状、携帯性などからインターネットで吟味する。『ナルゲンOTF』が最終候補に残った。それから『ベジッティ』だ。ベジッティは胡瓜や人参など棒状の野菜を突っ込んでハンドルを回すとパスタ状に薄くカットされて出てくる優れものの調理器具だ。パスタと同じようにシーズニングすれば、炭水化物の如き満足感を得ることができる。たかが野菜の形状の違いでQOLが劇的に上がるとでも言うのだろうか? 自問する。答えはYESだ。私がトレーナーから学んだことだ。ただしこれらを買うのは職についてからだ。

トレーナーはトレーニングの最中、セットとセットの間のインターバルに、昨日何を食べたのか、今体重は何キロなのか質問する。私が意図して小さく発した回答を拡大して繰り返すため、答えはジム中の人が知るところになる。最初こそ心の中で四文字ワードを吐いていたが、これはそういった小さなことを気にしない訓練も兼ねているのだとすぐに思い至る。動かしている筋肉だけに集中することが肝要だ。
面接で、いいか路上で会ったらぶっ飛ばす、そのような想いを抱いたときは、無酸素運動や有酸素運動の出番だ。心頭を滅却してただ身体を動かす行為に没頭すれば、それはただただ塵と帰す。イマジナリー面接官ではなく、黒い想いそのものを葬り去ることがポイントだ。
内定先の会社の組織変更の都合で入社日が八月一日に指定される。これから先はイマジナリー企業を相手取ったシャドウボクシングに備える必要もない。ということは、通えば通うほどあとは心身ともにホワイトになっていく計算だ。

七月
〈ベビーシッター〉

二歳の甥と手をつないで横断歩道を渡っていたら、どこからともなく私の名前を呼ぶ声がする。二回きっかり、呼び捨てだ。キョロキョロとあたりを見回すが知った顔はない。横断歩道を渡り終えたとき、ちょうど道を挟んだ向こう側の横断歩道を渡り終えた少女が私に手を振っているのが見える。あれは姪の同級生だ。
毎日夕方に小学校と保育園にそれぞれを迎えに行く。学童保育でも保育園でも子供たちが集まってきて、
「誰?」
と口々に尋ねる。堅気の保護者でないことはわかるらしい。曖昧な微笑みを浮かべていると、姪の場合は彼女が作った工作の品を、甥の場合は使用済みのおむつを渡される。前者は大体の場合軽く、後者はずっしり重い。
姪の小学校の校庭の柑橘の木の前を通るときに私がもぎって食べるふりをすること、カフェの前に置かれたハンバーガーの模型のトマトを甥が引っ張り出そうと試し、姪が「トマトだけとれないのよ」とたしなめることはお約束である。
時々は公園を通り抜ける。丸太橋を渡ったり、他の子供たちと共にいかだに乗ったりして汗をかく。疲れたら石に座って休み、一本の綿毛を三人で飛ばす。そうやって時間をかけて帰宅し、夕食までは、姪のお気に入りのテレビドラマを見る。

ジェシーは女優を目指してテキサスからニューヨークに出てきた少女で、高級アパートのペントハウスに住む一家のベビーシッターとなって、四人の個性的な子どもたちの世話をしている。口が達者な七歳の末っ子ズーリは姪そっくり、私はミセス・キプリングというオオトカゲを飼っている少年ラビに自身を投影して応援している。このままずっとズーリとラビでいられたら良いのだが、そういうわけにはいかないだろう。数年前、私と姪はトムとジェリーだった。姪曰く、私がトムで、姪がジェリーである由。
姪に、横断歩道で名前を呼ばれたことを話す。友達が私の名前をどうして知っていたのかと尋ねると、
「しょうかいしたからベビーシッターだって」
と言う。自分ではラビのつもりが、ジェシーであったことにたじろぐ。それに姪はズーリではなく、ちょっとおバカでいつもお洒落な長女のエマであった由。

立ち寄ったショッピングセンターに笹を見つけ、ひとしきり他人の願いに泣いたり笑ったりした後、私たちも願いをしたためることとする。ベビーシッターはこれといった願いを思いつかず目下の関心事であり、誰の目に触れても泣けも笑えもしない願い事を書く。『転職が成功しますように』。
姪が書いた短冊はこんなふう。
『いつもみんなをえがおにし
みなさんをはっぴーにしたいです』
『おとおとが 
ゆうきとげんきにかこまれますように』(代筆)

七月の最後の日、葛西臨海水族園にて、姪が随分長い間釘付けになっている水槽に近づいて行き上から覗き見ると、チゴガニがねじ巻き式のおもちゃのように、ハサミを振り上げては下げるバンザイの動きを繰り返している。見ているうちに、私も姪も水戸黄門のような笑いがこみ上げてくる。
「は、は、は、は、は、は、は、は、は、は」
何もかも忘れるほど愉快な気持ちがあとからあとから湧き出してくる。二人とも水戸黄門のまま手をつないでペンギンを見に行く。明日からは無職ではない。

                               〈了〉


202005_無職本_H1

内容
どこにでもいる普遍的な人々が「無職」という肩書がついたときに考えていたこと、感じたことを、それぞれの表現方法で自由に書いてもらいました。
目次
無職ってなに?/松尾よういちろう
職業:無職/幸田夢波
無色透明/太田靖久
平日/スズキスズヒロ
底辺と無職/銀歯
僕、映画監督です!/竹馬靖具
浮草稼業/茶田記麦
本のなかを流れる時間、心のなかを流れる時間/小野太郎
著者プロフィール
松尾 よういちろう (マツオ ヨウイチロウ) (著/文)
1981年4月8日 愛知県名古屋市生まれ。
2008年~2020年3月までフォークロックバンド「井乃頭蓄音団」のオリジナルメンバーとしてボーカルを担当、フルアルバム6枚を発表。現在はソロで活動中。日本のフォークソングに傾倒しており、中でも高田渡、さだまさしに影響を受ける。家族や故郷を題材にした歌が多く、日常の些細な出来事を切り取り、優しく温かくユーモラスに描く。
フジテレビの音楽番組「お台場フォーク村デラックス」に出演して以来、THE ALFEEの坂崎幸之助氏から恩顧を受ける。FUJI ROCK FESTIVAL 2015(木道亭/Gypsy Avalon)&2016(苗場食堂)と、異例の2年連続出演を果たす。2016年出演の際は、鈴木慶一氏(はちみつぱい/ムーンライダーズ)と共演。ARABAKI ROCK FEST.2018ではフラワーカンパニーズ、あがた森魚氏、曽我部恵一氏他と一夜限りのユニットとして出演。鈴木茂氏(はっぴいえんど)、暴動(グループ魂)、樋口了一氏などとも共演。
松尾よういちろうHP: http://ma-yo.info
幸田 夢波 (コウダ ユメハ) (著/文)
声優ブロガー。オンラインサロン『夢波サロン』オーナー。高校生で声優デビューし大学在学中にアーティストデビュー。約8年間の声優事務所所属ののち、フリーランスとなりブロガーになる。ブログでは声優業界のあまり知られていない裏側の話やフリーランスとして働く上で必要な知識などの記事を公開中。
ブログ:幸田夢波のブログ(https://yumemon.com/)
Twitter:@dreaming_wave
太田 靖久 (オオタ ヤスヒサ) (著/文)
1975年生。神奈川県出身。2010年『ののの』で第42回新潮新人賞。2019年に電子書籍『サマートリップ 他二編』(集英社)刊行。フィルムアート社ウェブマガジン「かみのたね」にて『犬たちの状態 犬を通して世界を認識するための連作』(共作/写真家・金川晋吾)を連載。その他、インディペンデント文芸ZINE『ODD ZINE』を企画編集している。
スズキ スズヒロ (スズキ スズヒロ) (著/文)
1992年宮城県仙台市生まれで在住。小学3年生の時、「石ノ森章太郎のマンガ家入門」を読んでマンガを描き始める。著書に『空飛ぶくじら スズキスズヒロ作品集』(イースト・プレス)がある。第2種電気工事士、危険物取扱者などの資格を保有している。
銀歯 (ギンバ) (著/文)
名前 銀歯
年齢 39歳
住処 不詳
職業 底辺労働者
田舎で生まれ育ち、底辺労働を続ける傍らで、クルマで山道をドライブしながらYouTubeにて底辺労働者の日常や仕事のこと、自己哲学を延々と垂れ流すラジオ動画を投稿し続けている。期間工、ブラック企業、工場労働、零細企業で主に働く。
竹馬 靖具 (チクマ ヤストモ) (著/文)
1983年生まれ。2009年に監督、脚本、主演を務めた「今、僕は」を全国公開。2011年に真利子哲也の映画「NINIFUNI」の脚本を執筆。2015年、監督、脚本、製作をした「蜃気楼の舟」が世界七大映画祭に数えられるカルロヴィ・ヴァリ国際映画祭のフォーラム・オブ・インディペンデントコンペティションに正式出品され、2016年1月より、アップリンク配給により全国公開。2020年、夏より映画「ふたつのシルエット」がアップリンク吉祥寺ほか全国公開。
茶田記 麦 (チャタキ ムギ) (著/文)
1981年7月、水面と同じ高さの東京下町で生まれ、川を越え坂を上り山の手の学校に通ったため、どこ育ちと地名とともにアイデンティティを語ることが難しい。小中高をエスカレーター式の女子校で過ごし、早稲田大学第一文学部を卒業。現在は千代田区にて労働する会社員です。
小野 太郎 (オノ タロウ) (著/文)
1984年山口県生まれ。これまで東京堂書店神田神保町店、文榮堂山口大学前店、ブックセンタークエスト黒崎店で働いた。2019年秋、退職。現在、福岡県北九州市で妻とルリユール書店を営む。
HP http://reliureshoten.com



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