見出し画像

ファミレスを享受しながら考えたこと

『ファミレスを享受せよ』をクリアしました。

壊れたドリンクバーマシンよろしく思考が溢れ出て止まらないので、ネタバレ感想を書いていきます。

リーキーアテンションという言葉があります。直訳すると「漏れている注意力」という意味です。日本語には「注意力散漫」という言い方がありますが、リーキーアテンションは単に集中力がないというよりは目の前の情報をインプットしつつも別の物事に意識の何割かが向いている状態のことを指す言葉です。

学生時代、自分はゲームよりもとにかく映画や小説が好きでした。年に3ケタ単位で観たり読んだりしていた時期もあったのですが、今思うとその多くの時間を空想夢想妄想の中で過ごしていた気がします。物語世界そのものよりも、受け取ったイメージをもとに脳内でアンコントローラブルに広がる心象世界が好きだったのかもしれません。

テレビを観たり人と会話していても、ちょっとした情報の端々に意識を持っていかれて、気が付けば自分でもどういうルートでこの思考に辿り着いたのかまったくわからない情景を頭に描いていることがあります。話を聞いていないわけではなく、思考が別の出口へと向かってしまって、元の話題に即したリアクションを忘れてしまうといいますか。とにかく意識が漏れて、勝手に遠くへ流れ出てしまうことが多々あります。

『ファミレスを享受せよ』をプレイしていて感じたのは、そんな「意識の漏れ」に対する受容でした。

まず、ゲームプレイ序盤の大半を占める形而上的で薄ぼんやりとした会話群。何か強烈なワードが次々と飛び出て興味を引き付け続けるということはありません。ただ、ふっとフェードインアウトするような心地よい引力のあるやりとり。まさしく雑談と呼べる、目的を持たず結果を求めないゆるやかな交流です。

「出られない」「死ねない」「時間経過に意味がない」という、普通ならショッキングな事実が「なんかだめだったんだよね」くらいのトーンで語られるのが本当に好きです。死って疲れるんですよね。この場がドラマティックではないことに奇妙な安心感がありました。何かに追われたり悲劇を回避するために画策したりする必要もなく、ただこの会話に身を委ねていても問題ないと言ってくれているような気がしました。

その上、たとえ話半分だったとしてもこれは「どうしようもない状況」での「雑談」ですからね。ぼんやり意識を漏らすには最高のシチュエーションなわけです。

そもそも、これからプレイヤーが選ぶコマンドは「雑談」である、と先にUIで提示しているのが巧いですよね。メタを介した無言の同意になっていて、自然と気構えせずに話を聞く姿勢にさせてくれています。

セロニカにさらっと吐露させて、逆説的にプレイヤーを落ち着かせているのも尚テクいと感じました。その後の「サブドワーフ」にまつわる会話で見せる茶目っ気も含めて「そういうキャラなんだ」となるおかしみがある好きなやりとりです。

もちろんテキストに限らず、情報量の少ない色と線で描かれたビジュアルや、流れたり流れなかったりするロービットなBGMも助け(赦し)になっていたと思います。ゲームデザイン全体を通して余白を設け、その余白で好き勝手夢想するプレイヤーを受容する作りに自分はまんまと甘んじていたわけです。ひとをダメにするファミレスですね。

お蔭で、色々なことを考えながらプレイしていました。自分が同じ境遇だったら主人公に話しかけられた時に何を話しただろう、ガムシロップではなくミルクだけが無くなっている理由は何だろう、ドリンクバーのボタンの押し心地はどんな感じだろう、「なんか肉っぽい」の肉って何肉なんだろう、とか。ほかにも、「月」「青」「魚」などから連想される作品のこと、昔途中まで観たアニメのこと、タイトルも忘れてしまった読み切り漫画のこと、学生時代に使っていたノートや文具のこと、中学校の近くにあったファミレスのこと……。もっととりとめもない、言語化しようのないことも無数に考えていました。

間違い探しの時間も、実際にファミレスで空想しながら過ごす時間と同じように自分にとっては必要で必然で心地よい時間でした。主人公(ラーゼ)には好感を持ちつつも行動原理に興味がいっちゃってそこまで感情移入はできてなかったのですが、この間違い探しをしている間に限っては完全にシンクした同密度の時間だったと思います。

だからコーヒーが溢れ始めた時に、あまりにも劇的なことが起こりすぎて、このゲームはこのまま画面が真っ黒になってエンディングを迎えるんじゃないかと思いました。なんかもう、漫然と死を受け入れた時のような境地になって、直後の「助けてー!」という台詞がよく理解できない間がありました。

すごいですよね。あれだけ甘ったるい諦念に支配されていたのに、助けを呼ぶんですよね。自分がこのとき主人公に感じたのは「ちゃんとしてるな」でした。ギャップに対するショックを通り越して、信頼感のようなものを抱いた瞬間でもありました。こんな夢うつつでファミレスを享受しているプレイヤーを、物語の先へ連れて行ってくれる存在に打ちひしがれました。

一方で、自分と同じことを考えていたガラスパンには超絶親近感を覚えました。

正直、「ファミレスを享受せよ」が彼女の台詞として用意されている時点で完全にプレイヤーからの特別扱いを誘ってますよね。ガラスパンはおもしれー女しぐさ百点のメインヒロインだと個人的に思ってます。ストアテキストのリードに引用される女。ギャルゲーだったら一番王道なルートにいるか、もしくは一番難しいルートで待ってる女。パッケージになるタイプの女。ああガラスパンのB2タペストリーが付く店舗で予約したい

どろどろになっちゃうツェネズもかわいいですよね。冷蔵庫で固まるのがゼリーみたいで興奮します。自分に自信がないツェネズですが、彼女の行動こそがこの物語のターニングポイントになります。そして自分を変えるために人の手を借りている点で、やっぱり「ちゃんとしてるな」と感じます。

王さまも同様に。信頼できる相手を見抜いて箱を託すわけですから。「もっとも素直で健全」という評がなんともファジーでこちらも信頼できます。

そんな中ラテラを引きずり続けているガラスパンよ……。一見クールで達観した物言いのガラスパンが一番繊細で臆病なんですよね。やはりメインヒロインの資質、風格

このファミレスの住人はみな何かしらの喪失を抱えているわけですが、物語がそれを解決していきします。ただしガラスパンだけは、そのものを失い続けたまま、ラーゼという何も持たず何も失わない存在によって完全な喪失を得て、そして満たされ、逆にラーゼにとってもガラスパンの存在が他の誰よりも近しいものになっていきます。はあ、もうありがとうございます。

話を戻します。というか前後してしまったのですが、中盤からは、主人公ラーゼの多動力とハイパーアテンションによって物語が進んでいきます。総当たりのシーンにいたっては、今まで透明な媒体だと思っていた主人公が実は変態的な才能の持ち主だったという、叙述トリックに近い裏切りのカタルシスがありました。

アニメ映画とかでたまにある、劇伴とシルエットだけで描く修行シーンのようなダイナミズムを感じる凄まじい描写でしたよね。安心して身を委ねられました。セロニカ考案のTRPGはかなり引かれましたけど。

ストローについても色々な考えが脳を過りました。トンネル、ワームホール、境界のメタファー、スニッファー、溺れる者が掴む藁、御釈迦様の蜘蛛の糸、aikoのストロー(君にいいことがあるように)、エナドリストロー、ストゼロストロー、紙ストローならぬ神ストロー、エトセトラエトセトラ……。

覗いた過去を告げることの選択をプレイヤーに委ねているのは、とてもゲーム的ですね。読み手が事象を確定するという行為は、ゲームにしかない残酷さだと数々の作品で学んできましたので。それでも、これまでの「雑談」で築いてきた関係性から、なんとなくこの人たちだったら良い方へと動かしてくれそうな気配がありました。そのお蔭で、決して重すぎない選択になっていたと思います。

序盤が「みんなそうだから大丈夫だよ」の受容だとしたら、中盤と終盤にあったのは「あなたがそうでも大丈夫だよ」の受容ではないでしょうか。

何せ、ぼんやりしていてもラーゼがぐいぐい動き回るし、セロニカが全部やってくれるじゃないですか。こいつらほど信頼できる雰囲気ゲークラッシャーはいません。多くを語らないことが時として美しい場合もあるのはわかりますが、意識漏れ漏れニンゲンにとっては答え合わせを描いてくれないと余計なことに集中できないんです。

というわけで、『ファミレスを享受せよ』は思う存分余計なことを考えるのを許してくれる幸せなゲームでした。みんなが感想言いたくなる理由がわかります。

幸い、インターネットには同じファミレスで過ごした人々から漏れ出た思考がたくさん溜まっているので、これから『ファミレスを享受せよ』のレビューや感想を読み漁りにいきたいと思います。読んでいただきありがとうございました。まずは飲み物をとってきます。

この記事が参加している募集

全力で推したいゲーム

心に残ったゲーム

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?