最大公約数

それはずっと思っていたことで、でも言葉にしたらずいぶんといろんなことを台無しにしてしまう気がして、というか、なんとなく台無しになっている瞬間をこれまで見たことがあって、ずっと口にするのも、言葉、にするのも憚られていたのだけれど、やっぱり嘘はつきたくないので正直に書こうと思う



区別すること、名前をつけることは、整理して戸棚にしまうことである。

整理して、区別をしてしまえば、それは他に代わりがいるということになる。
照明デザイナー、のけいさん、であれば、照明デザインができる他の誰かでも別に良いのではないかって、ずっと思っている。
もちろん、実際そういうわけじゃないのはわかっているし、いろんな理由が絡まっているのはわかっているのだけど。でも例えば、仲が良くて、演出の意図を完璧に汲み取る人が良くて、それがわたしだったなら、仲が良くて、演出の意図を完璧に汲み取れる他の人でもいいんだと思う。



でもきっと世界はそんなに綺麗に論理だってなくて、仲が良くて、演出の意図を完璧に汲み取れて、他にあらゆる何百、何千何万という条件が当てはまっていたとして、でも、これがいいって、あなたがいいって、なることはきっと日常によくあると思う。


わたしがその、これがいいあなたがいいに当てはまっていたことがこれまで生きていたことの中で何回あったか、多分なかったけど、そういうことはさておき、私自身が何かに対して、言葉にできないけれどこれ、あなた、がいいって思うことはしょっちゅうあって
これ、あなたがいいって、根拠も具体性もかけらもないその言葉が、どんな理論よりも説得力がある気がしている。

 たとえば、恋人のすきなところをあげようと思った時に、たくさんすきなところが出てくるけれど、別にそんなことはどうでもよくて、どこが好きなの?って友達に聞かれた時には悩んでしまうくらいだ。

嫌いなわけじゃない。だいすきだし、愛しているけれど、例えばかっこいいところとか、優しいところとか、恋人に対しての「すき」はそういうものでは語れない気がしている。いつも好きなところを聞かれたら、一番初めに素敵だなと、恋愛的に見るようになったきっかけのところを上げるようにしている。

 かっこいいところが好きなら、かっこいい他の人でいいと思う。恋人にしかり、友達にしかり、とにかく周りにいるすべての好きな人に言えること。もちろん、何百何千何万と好きなところがあって、かつその条件を持った人と何億年と続いている宇宙で出会う確率、を考えて、だから好き、っていうのが素敵だとも思う。し、これは誤解を生みかねないので何度でも言いたいのだけど、好きなところはあって当然だし、言語化できるに越したことはないし、好きなところをちゃんと答えられる人は素敵だし、絶対的に何が良いとか、そんな恋人には言語化できない「あなただから好き」が必要である!!だなんて、微塵も思っていない。だからもしこれをわたしの好きな人、恋人とか、友達とか、とにかく私の周りにいる人がこの文章を読んでも、どうか卑屈にならないでほしい。

名前って素敵だと思う。その人にだけつけられた名前だから。同じ名前でも、全然違うから。
だからついつい人のことは名前で読んでしまう。苗字とかニックネームが定着している人のことを名前で呼ぶと、どういう関係なんだと周囲がざわつくことがあるけれど、きっと私がこんなにいろんなことを考えて名前を呼んでいるなんて誰も知る由はないだろう。

 あなたがいいんだよね、だから。演劇や映画のフライヤーを描くときに、部署名の後に名前を書くことをいつも憚ってしまう。フライヤーで、名前が部署名より先に書いてあるものは見たことがないし、多分それだとエンドロールもフライヤーもパンフレットも、世の中のそういった媒体がすごく長くなったり大きくなったりして、とにかく色々大変だと思う。でも私は纏めたくない。諦めたくない。

でも、こんな話をある人にしたら、例えば照明デザイナー、とか唯一無二だし、そういう人に部署名をつけない、つまり区切らない、となると今度はそれが失礼に思えてしまう、という話を聞いて、なるほどなと思った。
確かにわたしも名前をつけてもらうのは嬉しい。好きなところとして、何か一つ挙げてもらえたら嬉しいし、そんな他の誰かにもあるじゃん他の代わりがあるじゃんなんて思わない。
でもそれって選ばれた明確な理由、きちんと成った論理の他に、言葉には言い表せないような「なんか」が、わたしたち人間にはある気がしている。少なくともわたしはそんな気がしている。

その一方で、確かに宙ぶらりんにされるよりも、しっかりと誇りを持てるような素敵な戸棚に収まった方が、本人への敬意になるかもしれない。(ほらこれくらい他人の意見にも納得して素敵だと思えるくらいには私には余裕があるし、人のことが好きだし、案外意思とか考えが変わる人間だから許してほしい。)


好きという言葉も同じだと思う。好きだとどれだけ書けど、その尺度も方向も人それぞれで、言葉という柵で囲ってしまえばそれだけになる気もしている。一方で、何かを仕切ることもできれば、可能性を広げることだってできると思う。いろんなすきを並べたらそれだけでどこまででもいけそうな気がする。


わたしのすきな演劇の戯曲の終盤に、こんな姉妹のやりとりがある。

「(私のこと)好き?嫌い?」
「好きも嫌いもないでしょ、家族なんだから」

家族が最強!!っていうんじゃなくて、これってすごく脅威だなと思う。

好きも嫌いもない、家族。姉妹という言葉に縛られている人間2人とも言えるし、唯一無二とも言える。難しい。

だからわたしはそのひとだけにつけられた名前がすきなんだと思う。あなたがあなたであること。それが、わたしがおもう、あなたのすきなところだなっていつも思っている。

こんなに色々あったいたけれど、多分言語化できないって愛が薄いなとか、好きじゃないのかなって思われるかもしれないし、すきなところをきかれて、なんか好きなんだよねってなかなか通じない気がしている。だけどわたしはうまく言葉にできないし、したくない時もしたいときもあるし、(もしするならたくさんすきなところを列挙する時間がほしいしどちらにせよちゃんと行動にはしたいし、)、多分わたしが本気で探したところでみつからない。

あなたがすきってそれだけで、ぜんぶじゅうぶんにつたわってほしい。


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