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#098明治期の地方名望家層と"noblesse oblige"(1)

"noblesse oblige"、日本語では「位高ければ、徳高きを要す」と訳されます。高貴な身分の者には、それ相応の社会的使命の遂行が義務付けられるといったところでしょうか。

 今回は大阪府から明治23年に選出された貴族院多額納税者議員のお話を紹介したいと思います。これまで著者がいくつか表してきたものに登場する人物で大阪府初の貴族院多額納税者議員の久保田真吾という人物。彼は江戸時代以来の庄屋の家柄で、大和川の水利組合・築留組の頭取の一人を務め、明治以降には戸長や府会議員を務める、いわゆる地方名望家層と言われる階層の人物でした。道路の拡幅や河川改修などを行うことで地域の発展に貢献した人物ですが、忘れられた郷土の人物ともいえる、現在では忘れられた人物でした。筆者の論考や展示施設での展示などの効果もあり、近年では『物語八尾の歴史―2万年のストーリー―』(八尾市教育委員会生涯学習部文化財課市史編纂室、2015年3月)で「33.大阪府初の貴族院議員は八尾から選ばれた」という項目で初めて広く取り上げられるなど、少しづつ知られるようになっています。

 著者はこの久保田真吾について、以前にご子孫に聞取りを行っており、家に伝わる面白い話などをうかがうことが出来ました。「」において、勝海舟とのつながりについて紹介しました。何時頃から交流が始まったのかは詳らかではありませんが、ご子孫の話によると、ある時に鉄道に乗った際に勝海舟と一緒に乗り合わせて話す機会があったそうです。その際に当時懸案としていた土地の購入について話題にし、梅田村(大大阪市梅田、現在のJR大阪駅付近)と北河内郡点野(寝屋川市)のどちらを購入しようかと思案していた際に勝海舟に相談し、点野は淀川左岸で水害の多い地域であるため水害で困っている地域に貢献してはどうか、と勧められ、点野の土地を購入することを決断するに至った、という逸話があるとのことでした。勝海舟との交友については下記URLの「有名人にアタックせよ?!―論文執筆、落穂ひろい」からも確認できます。

 これによって点野の不在地主(現地に住んでいない土地所有者)となり、小作地の経営を行うことになるのですが、これまで著者は普通に田で稲作をしていたと思っていたのですが、最近見た史料に面白いことが書かれていました。
 点野の土地の直接運営していたのは久保田真吾の息子たちだったようなのですが、彼らはどのような作物を植えるのが適しているのかをいろいろ模索している様子が現れている史料を初めて目にしました。そこでは点野に梨を植えることを計画し、苗を入手する様子が記されていました。現在、点野では梨は植えられていないようで、「農業センサス2020」を確認しても出てきません。参考に下記URLに農業センサスの販売用果樹の作付け、収穫の一覧を掲げます。こちらには点野村を含む現在の寝屋川市域での梨の収穫がないことが確認出来ます。

「点野梨樹も新植已に終了」の文言が見える。

 色々と努力した結果として、点野での梨の作付はどうやら失敗したようですが、小作地の経営者として、自らの収益は勿論ながら、現地の小作人にとってどのように対応するのかを模索する経営者としての面が見て取れる、面白い事実が新たに明らかになったと思います。持てる者がその責任から地域に発展に貢献しようとする、いわゆる「ノブレス・オブリージュ」にあたるものがあったと言えるでしょう。


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