#156どうやって金を借りるのか?ー大名貸しの不思議(一)
どうやって金を借りるのか、について、最近考えています。
もちろん著者の金策の話ではありません。史料調査をしていると、各庄屋の家から領主層へお金を貸しているケースが散見されます。その場合、概ね返済はされず、苗字、帯刀などの権利が認められるという、特権、名誉を付与することで返済の代替にされることが多いように見受けられます。
ここまで見ると、領主からお金の無心をされれば、領民からすると出さざるを得ないのではないか、という反応がありそうです。確かに、領主と領民の上下関係という意味では、金策に対応せざるを得ない点もあるかも知れません。
ちなみに、苗字、帯刀についての最近の研究としては、尾脇秀和『刀の明治維新』(吉川弘文館、2018年8月)などが入手しやすいと思います。
著者が調査した地域で、幕領において、代官からの金策に応じているものもありました。まず最初に紹介するものは、幕領での例になります。
現在の大阪府の東部、河内国高安郡万願寺村という村で、京都に邸のあった小堀氏が代官をしていた時のことですが、小堀氏からの金策を受け、地域住民たちがお金を貸していました。のちに現在の甲賀市にあたる近江国の信楽の領主であった多羅尾氏が多羅尾氏へ代官の人事異動があり、自分たちの地域担当の代官ではなくなってしまうという事態が起こります。その際に地域住民たちは、この地域は幕領で代官が小堀氏であったけれども、代官が多羅尾氏に代わっても幕領であることには変わりはない、つまり、代官役所にお金を貸したのだから幕府に貸したのだ、小堀氏個人に貸したのではない、と考え、新しく赴任した代官の多羅尾氏に返済を要求するという行動に出ます。当時の地域住民たちが、代官個人にお金を貸したのではなく、領主に貸したのだ、領主は幕府なので代官が人事異動で交代しても幕府の領地あることには変わりがない、新たに赴任した代官から返してもらえばよい、という理解をしていたと言えます。当時の領主関係の本質を非常に的確にとらえていたことが、ここから読み取れます。
先の例は、自分たちの地域の領主からの金策に応じての話になりますので、領主の財政難によって領地経営が難しくなり、場合によっては年貢の増徴があり得る、という危機感が地域住民にあったかも知れず、領主からの金策を断ることは難しかったのではないか、と想像されます。もちろん、断る例もあるのですが、ここではそのような例は一旦捨象しておきます。
今回はここまでにしまして、次回には、自分たちの地域の領主ではない、他の地域の領主への金策に応じた例を見ていきたいと思います。
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