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#155相続税のことを考える

 昨年のことですが、著者を非常に可愛がってくれた伯母が亡くなりました。著者の家系は近世には地域の庄屋をつとめていた家で、著者の父が三男だったこともあり、分家しておりますが、父の兄、つまり著者の伯父が家を継いで農業を営んでいました。既に伯父は無くなっていたので、伯母が家を相続しておりましたが、今回叔母が亡くなり、著者の従兄が家を相続することになりました。
 その家は父の兄の系統なので、いわゆる「本家」となりますが、田畑をいくつか所持しており、著者は近所に住んでいたこともあり、子どものころには稲刈りなどの作業の手伝いと称して、広々とした田畑を駆けずり回って遊ばせてもらっていました。
 今回、従兄が家を相続するにあたり、相続税の支払いの対応から農地を売却することとなり、とうとう農地が無くなることになりました。どうやら宅地として開発されるようですので、特に手伝いなどもしたことがない立場ではありますが、遊んだ思い出のある農地が無くなるということで、非常に残念に思っています。

 そこでふと、相続税について考えてみました。
 相続税は日露戦争の戦費調達のための公債の償却のために設定されたものです。その公債も外国債の発行によって賄われており、主にアメリカなどで調達されました。その外国債の償却のために明治三八年(一九〇五)に設定されたのが相続税です。
 戦時増税の一環として設定された相続税ですが、いつごろに外債の償却が終了したのかは明確な資料がないそうです。日露戦後も政府の経済規模が上昇し続けたため、本来は廃止することを検討しないといけなかったのですが、廃止せずに恒久的な税として目的外利用を続けたようです。

 上記のような話は、桜井良治「日露戦争公債発行と返済のための相続税導入」(『静岡大学経済研究』二一巻一、二、号、二〇一六年一〇月)に非常にわかりやすく記載されています。PDFでも閲覧することが可能ですので、下記にURLを掲載しておきますので、ご興味のある方はご一読いただければと思います。

 また、桜井良治「日露戦争財源としての相続税導入時の国会審議過程」(『静岡大学経済研究』二一巻三号、二〇一七年一月)では、法律案作成時に戦時特別税のはずなのに時限立法として明記していないことについて、法律案作成時から既に指摘されていたことを紹介しています。こちらの論文では、貴族院での議事の中で、日露戦後に目的外に使用される懸念が当時からあったことを議事録から紹介しており、日露戦争後に改正すればいいとして、とにかく法案を通すことを第一にしていた様子がうかがえます。こちらもPDFでも閲覧することが可能ですので、下記にURLを掲載しておきます。

 このような形で誕生した相続税ですが、結果として流用される結末を考えると、何だか震災復興税のことを考えてしまいます。震災復興税は東日本大震災からの復興財源に充てるため、二〇一三から二〇三七年までの期間で、通常の所得税に二・一パーセントを上乗せして徴収される特別税になります。その震災復興税の課税を延長して、税率二・一パーセントのうち、一パーセントを防衛目的税として活用するという案を検討しているという報道がありました。

 震災復興税という名称からして、東日本大震災からの復興財源に充てるということが目的となっている訳ですが、防衛財源に充てるということそのものが目的外利用も甚だしいと言えるでしょう。
 相続税も日露戦争の戦費調達のための目的税であったはずですが、その後の財政補填に充てられてしまいます。震災復興税もこのままいくと同じ道をたどるような気配です。目的税も、取ってしまえば自在に使える、となってしまえば、何のための議会での議論なのか、と考えさせられてしまいます。

いただいたサポートは、史料調査、資料の収集に充てて、論文執筆などの形で出来るだけ皆さんへ還元していきたいと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。