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座右の銘、のようなもの

皆さん、座右の銘はお持ちですか?

人生において、長いこと自分の信条としている言葉が3つ、そしてその3つを束ねたような言葉が、ワタシにはあったりします。

自分の信条とする言葉というのは、座右の銘とも呼ばれ一般的なものですと「失敗は成功の母」とか「石の上にも3年」といったものです。しかし、ワタシのソレは偉人の言葉でもよく聞く慣用句でもないので、「座右の銘、のようなもの」として自分の中で扱っています。

その「座右の銘、のようなもの」がどんなものかそのルーツも踏まえて紹介していきます。

座右の銘、のようなもの1
「遠慮はしないぞ、さあ食べよう」
何とも図々しい言葉です。この言葉は絵本「ばばばあちゃんシリーズ」のかるたで書かれた一文です。

え:遠慮はしないぞさあ食べよう の札にはおばあちゃんと動物たちが食べ物を一斉に取りに行く姿が描かれています。

それまでは引っ込み思案だった小学4年生のワタシに遠慮はしていては欲しいものは手に入らない、ということを教えてくれたかるたのは、そのかるたの読み札に描かれていた言葉。これがワタシの価値観を変えてくれました。

これは何もテーブルに残った最後の唐揚げ、だけでなく、仕事で巡ってきたチャンス、草野球の打順、何においても常に行動を後押ししてくれる言葉になっています。

座右の銘、のようなもの2
「振りかかる火の粉は自分で払えるものしか飛んでこない」
「降り懸かる火の粉は拂はねばならぬ」という言葉は戦前日本のカメラのライカとコンタックスどっちが優れているかで大炎上した「ライカ・コンタックス論争」の中でコンタックス派のシュミット商会がライカ批判を目的に発行した小冊子のタイトルですが、ここでは全く関係ありません。
「振りかかる火の粉は自分で払えるものしか飛んでこない」この言葉が出てきたのは1980年後半に週刊少年ジャンプで2年ほど連載されていたにわのまことのマンガ「THE MOMOTAROH」です。
どんな苦難であっても自分のキャパシティで乗り越えられるものでしか自分には振りかからないのだから乗り越えられる、ということを端的に述べた主人公の言葉です。
同じ覆面レスラーギャグバトル漫画の「屁のツッパリはいらんですよ」と比べると具体的でかつ、言葉の意味がよくわかるフレーズになっています。
この言葉もまた小学4年生のときに単行本で後追いでこの漫画を読んだときに触れた言葉で、部活の対戦相手がどんなに強そうに見えても同じ小学生、同じ規模の大会に出場するチームだから勝てる相手である、とその当時の自分を奮い立たせてくれていました。
そして今においても、任されたプロジェクトの規模、起こってしまったトラブル、これも自分で振り払える火の粉と思えば、前向きに取り組むことができたりします。

座右の銘、のようなもの3
「料理は愛情より努力」
誰が言ったんだこの言葉、と思う方ばかりだと思います。ワタシもわかりません。この言葉が書かれていたのは、またしても小学4年生のときに読んだ給食の献立表に描かれていたコラム。

正直スマンが、だれが献立表のコラムなど読もうものか(いや読まない 反語)。給食の献立表なんていうのは、豚カツは今月あるか、ソフト麺はイヤだ、などといった給食の予定を見るものです。調理師のコラムなど食いしん坊小学生が読むはずない、のが普通です。しかしその当時のワタシは、さくらももこの「ももの缶詰」をきっかけにエッセイ・コラム中毒になっていたこともあり、何でもかんでも、そのようなものを読み漁っており、それに目がとまってしまいました。

目に飛び込んできた「料理は愛情より努力」というタイトルのコラム。料理は愛情を注いで美味しくなるわけではない。確実な調理をし、日々勉強し新たな料理に取り組まなければ、美味しいものは作れないという主旨ながら、著者の思いとある意味での怒りも込められた檄文に心打たれ、この言葉が脳裏に焼き付いたのです。

小学4年生当時の私はサッカー、バスケ、水泳、算盤とわけのわからないくらい習い事などをしていましたが、やる気だけではダメ。練習を積み重ねる努力が大事。料理と同じく基本としてやるべきことは確実にやる、一方で他の人が取り入れていることは参考にし学び取り入れる。これを繰り返していました。

スラムダンクは楽しく読むだけでなく、バスケの基礎のお手本として、リバウンドにおけるスクリーンアウトの実践、左手は添えるだけという意識を持ったシュートなど練習をしていました。一方でサッカーはバズーカチャンネルや雷獣シュートを撃とうとしてエラいことになりましたね、はい。

ということで「遠慮はしないぞさあ食べよう」「振りかかる火の粉は自分で払えるものしか飛んでこない」そして「料理は愛情より努力」という私の「座右の銘、のようなもの」3つ紹介しましたが、振り返るといずれも小学4年生のときに触れたものでした、小4である程度人格形成されたかも、などと思ったりもします。

そしてこの3つを束ねる言葉として「元気があれば何でもできる」があり、ワタシの座右の銘としています。コレを言うと「アントニオ猪木ですね」と言われます。まさにその通り、なのですが、猪木が好きだから、プロレスが好きだから、というだけでこの言葉をワタシの座右の銘としているわけではありません。

先の「座右の銘、のようなもの」3つとこの言葉はつながっています。目の前のチャンスは逃さずチャレンジ、起こりうるピンチは乗り越えられるものと捉え、自らの成長のため考えて努力する、そのために必要なのは元気です。

元気とは「行動の源泉となる活力」だけを意味するものではないと考えています。時には必要な「資金力」、ゆとりとも言い換えられる「時間的余力」これも含め「元気」とワタシは捉えています。

今後様々な場面でプロフィール欄に座右の銘を書く必要があるかもしれませんが、その時は恥ずかしがることなく「元気があれば何でもできる」と書いていきます。そのときには、それを支えているのは「遠慮はしないぞさあ食べよう」「振りかかる火の粉は自分で払えるものしか飛んでこない」「料理は愛情より努力」という三本柱、いや三銃士がいるんだぞ、という思いを込めながら書いていきます。

ここまでの思いや背景が伝わらなくても、この座右の銘で、プロレスお好きなんですか?という雑談アイスブレイクのきっかけにもなるし、勝手良いですよね。

とってつけたような座右の銘よりも、自分の信条や人生経験から吐き出された言葉こそが、座右の銘。

皆さん座右の銘、持ってますか?!

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