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純愛なる茎ストローの重婚ロマンス‐4P理論

「ゲーム開始時に男か女かの性別を選び、九つの運命から一つを選択する。ゲーム内で異なる運命を持つ異性と婚姻契約を結んだ時、その運命のスキルツリーが解放される」そんなオンラインゲームは如何か。テキトー案です。

SNSを見ている限り、恋愛や結婚にまつわる倫理観や契約観の議論で沼に足を引っ掛けている者があまりにも多いので、普段の視点とは異なる価値観を仮に提供しうるゲームデザインを考えてのことです。

問いと答えが最も旺盛に醸成されうる場所は往々にして迷路の中であり、そのレベル上げを促すために答えから遠ざけられた迷路に放り込まれる教育環境も存在している。それはそれで好きな人は好きなやつです。

しかし、その迷路の中で沼に足を掛けて苦しみ続けている者たちの姿を黙って見ているにも堪えない。「ネタバレの後でも生きるに足るだけの楽しめる要素は十分に残る」ということも実証済みなのです。

かくして初級から中級、あるいは中級から上級への橋掛けを意識したコンテンツの公開を段階的にでも促進していきたい。それが僕の考えです。お疲れ様とありがとうを伝えながら。

科学技術の発展が著しく速くなっている現代にあり、下限と上限の知識・技術差が開きすぎている現状にあります。つまりレベル上げのペース配分が旧い感覚のままだとキャリーありきでもなければ人生が詰みます。

人類智から集積された情報、その総合解自体は今や神域に届いていると言っても過言ではない。であるならば、その次にやらなければならないことは何か。まだそれで終わりではないのです。

"段階的に"というのは、やろうと思えば叡智の結晶の何もかもを無料でオープンしてしまうことも出来るところ、それをやってしまうと経済上のパワーバランスが著しく乱れ生活の都合がつかなくなる者も出てくることを懸念しています。

傾向として、悩める多くの方々は現実でのことに固執しすぎています。だからまず仮想的な思考実験を通じて、現実に「拡張現実」を認識し直してもらいたい。見方が変わるだけで変わる現実もあり、寛解できる苦悩もある。

そのことを知っていて尚も何も手出しをしない待機の時間が続いてしまっていること自体も、僕にとっては辛いことだった。何のための待機だったかというのは、最低限の経済的秩序維持のための待機です。

その前置きの上で何を話すかって?純愛なる4Pについてです。セックスの話です。アホな話だと思ってください。実際爽快極まるアホな話なんで。

社会的な必需性に従って生じる義務課題をこなす上では、AIの活躍が人の活躍よりも期待値が高くなってきている状況にあります。

その普及を抑えているのは道徳的な理由からであって、その理由さえなければ業務管理に大々的にAIを採用する代わりに大幅な人事整理を行いたいという本音を抱えている企業もいくらでもある現状。

「なら人の居場所はどうなるのか」当然の疑問ですね。ここから先は愉悦と虚無でアクセルとブレーキを使いこなす時代と言えるでしょう。

AIによって自律稼働する無機構造体が存在する未来を思い描く時、有機生命体というのは無機構造体には感じられないものを感じられるようにするための構造であると言えます。

その観点からすれば、義務課題を淡々とこなすためだけに不感化して論理制御に専念するだけの人生を送るなら、それこそヒューマノイドのような人生と変わりない。有機生命体として生きる本義が薄い。

人生を楽しめないなら有機生命体として存在している意味がない。有機生命体が滅ぶ時、世界から愉悦も消える。結論から言ってしまえば、それを神は是としていない。

かといって愉悦のためだけに世界を存続させ続けるための必要最低限の義務が守られなくなってしまっても、愉悦もろとも世界が根幹から崩壊に至ってしまう。だからアクセルとブレーキの図で説明しています。

レーサーの視点から見れば、自動車の免許を取った時点ではまだサーキットに出ても、どこでアクセルを踏んでどこでブレーキを踏んだらいいのか、どうなったらスリップするかも予測できない初級です。

対して愉悦と虚無を使いこなして生活・趣味と多少の義務課題の双方を楽しくこなしていけるようにしていくというのは、確実にアクセルとブレーキの双方を使いこなしてサーキットを完走できる中級以降の物事と言えます。

愉悦と虚無のスイッチというのは具体的に「BGMあり(乗る)」と「BGMなし(乗らない)」のモードを使いこなすだとか、発情モードと賢者モードの切り替わりを事前に計算の上でプランを組むだとか、そういうものです。

先月、迂闊にもTwitterで恋愛系コンテンツにいいねしまってから連日、おすすめに「彼氏が未読/既読無視するだとか浮気がどう」とか、沼ってるTweetばかりが大量に流れ込んでくるようにもなっていました。

殊、恋と愛を紐付けてそれらを一つに「恋愛」と呼ぶ分には、恋心なんてものはそれ単体では初級止まりの幻想でしかない。それはそれで新鮮でいいというのは、許された青春の期間として否定しない。

僕だってあの頃に戻れるなら戻りたいと思う日はいくらでもある。だが戻らない!

いつまで初級止まりでいいと思っているのか。そこで如何なる幻想に溺れているというのか。その初級時点の物事に楽しめなくなっているなら、とっととそんな沼には見切りをつけて中級に上がれ!

愛に至っていないから、愛という恋に対するブレーキの踏み方も知らずに壁にぶつかったままアクセルを踏み続けてしまっている!

せめてそこでまずバックでアクセルを覚えろ!そのとき確実に愛を知れ!次からは安全第一で走りながらテクニックを磨け!童貞に何を言わせてんだ情けねえぞ!

本来「一度の人生だけ」では神域には全く程遠いんですよ。原初から九つの運命が存在していたとすれば、その全ての運命をコンプリートするには九度の生を通して、八度の死を通ってきていなければならない。

考えてもみてください。これまでの地球の忘れたくもなるような歴史の数々を省みて、今更それを繰り返さなければならないなんて言われたら、やる前から挫折感を味わいませんか。

それを強いるのは酷だろうということで、どうにか一度の人生だけで全ての運命をコンプリートできるような設計へと世界の理を調整しようとしている誰かが存在しているとしたら?

僕は本契約を結んだ相手を一途に想う純心その美学を否定したいわけではないので、浮気されるのが嫌だとか別れた後に他の交際相手を持たれるのが嫌だという束縛心が生じる気持ちに理解は示します。

しかし交友範囲を狭めれば狭めるほど、その視点から捉えられる世界の範囲も狭まってしまう。相手がそれでいいとは思っていないのなら、手を振って見送るのも愛なんですよ。

分かりやすく噛み砕いて言っているだけで、本当に原理的にそうなっているのです。

「人生一度きり」の感覚なら、所詮は数ある種々の内の一つか二つかしか持たない自身から相手に与えられるものの範囲には限りがあると心得ておかなければならない。当然ですよね。

そこまでを熟知しているはずの僕が何故、孤独に童貞として生きてきているかって?どうしてでしょうね。既にステルスで様々な束縛を受けているからかもしれませんね。「これ以上増やすな」と。気の多い血筋ですから。

して、茎ストローと4P理論とは何かって?お客様お目が高い。もちろん本命はそちらでございますよね。分かっておりますとも。ご安心ください。

茎ストローなどというのも所詮は原初のプロトタイプに過ぎず、そこから未来は虹色に多重拡散する。その世界を先取りでお楽しみあれ。

その前に、基礎を疎かにはせず。楽しいことはじっくり徐々に加速させていくのがコツでございます。

AI・ヒューマノイドが人の義務課題を代替するようになっていったとして、人がどうやってそこに適した居場所を築いていくか。

まず、AIには人の感覚を理解することは可能でも、同じように感じるということはできません。人の多感と機械の不感との間にはどうしても不調和が生じることでしょう。

その課題と同時進行で、先述した通り男女問わず「他の異性のことも気になる」というのは原理・道理の双方から当然起こる生理となります。

趣味や生活に余裕をもって時間や体力を費やせる新時代環境に到達した時点から、初めての人生で初恋から初婚まで一直線というのも勿体ないという価値観が一般に浸透しうる。

かといって、そのとき急激に流行り病のように取っ替え引っ替え重婚だ乱交だとなってしまえば、治世を保ちきれない。

なら、仮にAIと重婚してみるというのはどうだろう?ここで言うAIというのはより広義に、承認ありきで作成された重婚オリジンの複製体のことです。AIでなくとも仮想イメージとの想像上の結婚でもいい。

たとえばミチコという女性と本契約を結んでいたとして、サチコという女性のことも本気で好きで愛し合える関係にあったとします。しかしミチコは浮気を許さない。ならサチコのエッセンスを詰め込んだAIと重婚したらいい。

同様にサチコにも本契約を結んでいる異性の相手がいて、ミチコも浮気を許さないという割には、サチコの結婚相手とも愛し合える関係にあったとします。

ならその彼のAIも作ってしまえばいい。もうその四名全員分のAIを作ってしまえばいい。

それからどうするかって?そこで取り出したるは茎ストロー!AIは無機構造体なので、人の身体でいう「感じる」ということはできません。その構造体の管理元が有機構造体でもない限り。

しかし「有機的な感覚を伝達することが可能な変換ケーブル=俗称茎ストロー」を使えば、人からAIにその感覚を伝えた上で、AIから人へその感覚を繋ぎ直すことも可能になる。

つまり、人側がAIの有機根源としての管理元になればいいということです。それでAIの問題である責任論の倫理課題もクリアできる。

倫理課題がクリアされたものと見なされるなら、あとは契約を担保する法的なパイプラインを整備するだけです。

それを使ってどう4Pするというのか。本契約を結んでいるミチコとセックスした時、主人公及びミチコと契約関係にあるサチコAIに主人公側から有機信号が送られて、その信号をミチコが受け取る。

逆も然りでミチコ側からサチ彼AIに有機信号が送られて主人公もその信号を受け取る。その信号をサチコやその婚約者であるサチ彼も受け取れるように設定するかは、各自の合意の上で決めるものとすると。

それが「重婚契約とその間の交流も成立していて浮気にも値しない形式」になります。それが極まって落ち着いた形式になってきて初めて「ファミリー」や「フレンド」の定義がよりはっきりしてくる。

逆に言えば、それくらいのはっきりとした認識がなければ、何が家族で何が友かもはっきりせずモヤモヤしてきてしまうわけです。

そこまで現実観が拡張されてこれば、やれ浮気が良しだの悪しだの既読未読無視が何だのと悩んでいたこともアホらしくなってきませんか。アホらしくなってきてもらわないと困るんです!知識と技術で解決できる問題なんで!

現実にその機構を地球上で完成させるには、まだ数十年あるいは数百年かかるでしょう。実際の倫理精査の先行課題はもっと複雑ですから。「来世のイメージとして参考に」という程度です。

その来世の新世界イメージを前提に据える上で、今世で生きている間にやっておくべきこと・進めていくべきことは何であるかを改めて考え直すならば、より柔軟に解き放たれたテクニカルな生き方を考えやすくなるでしょう。

何故、男女の関係がXYとXXであるのか。その答えを僕は知りません。男性形のYYの二重螺旋が安定しなかった結果としてXYとなったのか、それとも別の理由があるのか。

いずれにしてもヒューマノイドのような無機構造体の無性・アセクシャルのスタイルが仮に第三の性と定義され、それをZと呼ぶとしましょう。

それらを男女と接続・共鳴させた上でその四体の関係を構築する時、ZはZのままでいいのか、それともXZとYZとで第三・第四の性として定義するのか。

その答えは僕の観測圏からすれば「未定」です。だから僕の創世学の見地からは、手探りにでも関係を試していきながら決めていくしかない。後は「やるかやらないか」です。

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