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私の世界を愛するために

あれから、私はなんだか自分がいる世界を、丁寧に扱うようになった気がする。

今まで、私はどちらかといえばこころの窓を開いて、どんなひとでも一旦、どうぞ〜、と自分の世界に招待する感じで、周りのひとと接していた。
ただ、この箱は裏切られてもいいと思える相手にしか渡さない、という『話題』の箱があって、それ以外のことは、ほとんどオールオッケー! って笑って返していた。

だけど、いろいろあって、あのときから私は少しこころの窓を閉じることが増えた。コンコン、ってちゃんと私の窓を叩いてくれるひとには、窓越しにこんにちは! って笑って返していたけれど、私の部屋になにがあるかは見せないようにしていた。



多分、またおんなじように傷つくのが怖かったからだと思う。
この前、たまたま同じような状況になったときに、恐怖で息が苦しくなって、『まだ私、あのときの怖いって記憶を忘れられずにいるんだな、このままずっと怖いって気持ちが癒えなかったらどうしよう、そんな自分は嫌いだし嫌だ、はやく元の私に、前の私に戻りたい』そう思った。


とりあえず、私の世界を安定させるために、あのころと同じような状況にならないよう、調整しようと思った。
そして、その調整がなんとかうまくいって少し経った今、これを書いている。そのときはすごく複雑な気持ちだったけれど、今はあの選択をしてよかったと心から思う。私のことは、私が愛せばいいし、私が知っていればいい、そう思えたしなによりそれが居心地の良い自分の世界を作るのに必要だったから。


それから、私はひとりでいる時間が増えた。誰にもLINEしないし、誰とも電話していないし、なんなら家族以外とこの約2週間ほとんど会っていない。
小説を書き、エッセイを読み、日記を書き、家族と話して、飼っているうさぎと猫をなでなでした。
相変わらず、私は生きていること自体が嫌なのには変わりないし、希死念慮が0になることはないけれど、今の私には書きたいことがかなりあるので、それを書きたい、その気持ちだけで動いている。書きたいが死にたいを上回っていて、私は無我夢中で知識や技術を吸収しながら、Amazonプライムで映画やドラマや大好きなアニメを見る。ご飯を食べなきゃ生きられないのと同じように、私は書いたり読んだりしなければ多分死んでしまう、それくらい私は書かずにはいられない、読まずにはいられない体質だ。




今日は家族でお出かけして、車の中で星野源と藤井風を聴いた。
帰り道の車の中、日が暮れてゆくオレンジ色の街並みを見て、きれいだなあと思っていたら私は眠っていた。車にゆられるとなんであんなに眠くなるんだろう。
でも、そういう何でもない日の幸せが、今日はやけに深く感じられた。





あの日、あの瞬間、パンケーキを頬張って、勢いで日記をつけ終わった、あの日。私は新しい私になったんだと思う。今は、自分の世界を居心地のいい場所にしていくことが、私にとって何より大事で、前なら周りの人とか環境に適応しようと頑張ることを惜しまなかったけれど、今はちょっとそういうことがきついな、と思っている。



だから、しばらくはひとりの時間を大事にしようと思う。




そうしたら、前よりもずっと大事な友達や家族と一緒に過ごす時間を大切にできそうだし、なにより自分のこころが穏やかに過ごせそうだから。

そういう感じで、私は元気とまではいえないけれど、まずまずな調子で書いています。生きてます、って書くことに対しての抵抗感があるので、書いていますって書きます。それが私にとって大事なことだから。

前回までの私のnoteを読んで心配してくださった方もいたので、なんとか水澄はなんとかうまく日々を過ごしているよ〜と伝えたくてこのnoteを書きました! いつも読んでくださってありがとうございます!

それじゃあ、また次のnoteでお会いしましょう〜!

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