黒になりきれない青



浅い眠りの中で硬直した身体の中心が必死に求めていたのは快感だった。押し寄せる波を必死に押し留めて何度もその感覚を手繰り寄せた。
その度に私は何もかもどうでも良くなってこの身を捧げた。
大きな力が私を支配しようとしている。圧倒的に、それでいて軽やかに。深い眠りに入る前に思った「もっと」は切実だった。この世の誕生と滅びがそんな願いの狭間から来るものならば仕方のない事だと思える。そんな一瞬だった。



「黒になりきれない青」

自己愛に限界があると知るのはいつだって安っぽい電飾に囲まれた都会の夜だ。嘘の中に本当を混ぜて息を吐く快感と現実を突きつける複雑な色々が私の視界をぼやかせる。あんなにハッキリと見えすぎていた全て曖昧になる。電灯の灯りと黒になりきれない青が混じり合ってその境目をぼやかす。そこに手を伸ばして線を引きたい。そしたら私は、ここにある全てを投げ出して大きな声で泣き叫ぶんだ。
こんなはずじゃなかった!!!!!!!
自分良がりな歌を聴きながら私は心で叫んでいた。それは声にするよりもずっと私の心に切実に響いていたと思う。これは無だ。そう、今起きてる事全てが無。知らないお前が、知らない私をズタボロになるまで罵ったり蹴り倒したりして、明日地面に転がっていようと、それは無。流れた血は過去になるし、お前は既に無だ。
えーめっちゃ歌上手いね、全然だよ、えーやっぱり歌上手い人ってかっこいいなー、そう?モテるでしょ、モテないよ、彼女は?いないけど、えーそうなんだー、まあ今はそういうのいいかなって、わかるーわたしもー、
このテンプレの行先は決まりきっている。つまらない。つまらなすぎてさっき飲んだ缶チューハイの甘ったるさが胃液と共に迫り上がってくるのを感じた。



利用して、利用されて、本当は叫びたくなるくらい怒っていて、言葉にするには切ない音を響かせていた。君を求めたいのに求められない私は、君があいつのものになっていく様を黙って見ていた。
自己愛が尽きようとした時、誰かが私の名前を呼んだ時、愛してるといえないのはどうして?
結局アンタは自分の事がいちばんすきなのよ


君にはすべて見透かされてしまう。



【Can You Hold Me?】

広い肩幅から伸びる筋肉質な腕。ピタリとした黒いTシャツが、所々汗で滲んでいるのが分かる。髪の毛を何度か掻き上げる仕草を見て、美容院に行けていないと嘆いていたことを思い出した。それにしても抱きつきたくなる背中だなとその男らしい後ろ姿を見て思う。あいつは俺に一向に気づくことなく、目の前の女に視線を送り続けている。その目と自慢の愛機で。
託しあげられた袖からは、鋭い傷が見え隠れしている。壮絶な過去の証。
あいつが女に掛ける何気ない一言がいちいち優しくて腹立たしい。この瞬間、二人の視線が何の意図もなく通じていると分かっていても、自分勝手にあいつを困らせたくなってしまう。
撮影が終わると、女は感謝の言葉を述べながらあいつに近づいていく。ほら、やっぱり。その表情に滲む好意が恋心に変わるかは本人次第だが、その恋心はどうせ成仏できずに彷徨うだけだ。
女は上目遣いやらボディタッチやらを駆使して、語尾に甘ったるい余韻を残しながら、あいつの気を引こうと必死になっている。あまりに滑稽で笑えてくる。いや、全然笑えない。
女は満足したのかぎらついた視線をそっと逸らし、その場を立ち去った。
疲労がこちらまで伝わってくるようなため息を吐くと、その大きな身体が一回り小さく見える。


「なあ、お前は俺のこといつまで放っておくの?」


自分の声に滲む恋心と甘ったるさに胸がキュッと音を立てて軋む。ああ、俺だって必死だ。必死に恋をしている。少しの距離がもどかしくて手繰り寄せたくなってしまう。俺たちの間にあるのは積み重ねた経験と信頼、そして貪欲に求めても枯渇している互いの存在。毎日見ているその姿も、少し離れていただけで初めて会ったあの時のように動揺し、その度に恋心を嫌というほど実感する。

「拗ねてる」 
「拗ねてない」
「拗ねてるだろ」
「拗ねてない!」

ニヤニヤしながらこちらに近づいてくるものだから、なんだか本当に嫌な気持ちになって涙が滲みそうになる。堪らなく好きな顔面と肉体を持ったこいつは俺だけのものなのに、どうしたって他人の目にも同じように映ってしまう。今までに感じたことのない不安が胸の奥まで入り込んで、記憶と感情が上手く結び付こうとしている。

困った。早く抱きしめて欲しい。

そんなことを思っていたら、あいつの足取りが軽くなった。こちらに向ける視線が好奇なものではなく、心配に変わっている。目の前に来て、俺の座っている足元にしゃがみ込むと、大きな手で輪郭に手を添え、長い指で頬を撫でた。
その目に浮かぶ恋心を確認して少し安心する。


「なにもないよ」
「わかってる」
「本当に?」
「そういう聞き方やめろ」


このむず痒い感覚に伴う欲望が見透かされているような気がして、合わせていた目を逸らす。身体から立ち昇った熱と汗の匂いを感じて、いつかの情事がフラッシュバックした。もう俺のことは射止めたのだから、その色気を制御して欲しい。無自覚な色気ほどタチの悪いものはないのだ。
ごく自然なことのように俺を抱きしめて、首と肩の間のなだらかな部分に顔を埋めてくる。匂いを吸い込んだり擦り寄っている姿はまるで大型犬みたいだ。


「だってお前泣きそうだったから」
「でも泣いてない」
「泣きそうだったのは認めるんだな」


首元で笑うから、吐いた息がくすぐったい。甘えさせているようで、存分に甘やかされるのが好きだということを、こいつはとっくに知っている。周りに誰がいたって関係ない。この男のそういう所が堪らなく好きだ。

なあ、もっと、苦しくなるくらい強く抱きしめて。

俺はお前に愛されていたくて必死だよ。その為なら、多少誰かを傷つけるくらい別にいいと思ってる。


「勘弁してくれ…」

毒々しくも赤み帯びた姿を見て、我慢できるはずがない俺の恋人は、更に身体を密着させる。
いいから早く喰らいつけ。
地肌の一点に熱が集中しているのが分かって思わず息が漏れた。予感に怯えながらも、こいつによって与えられる甘美を、これでもかと期待している。

なあ、早く。俺はお前のものだよ。 
 


動けなくなる魔法にかけられたみたいに硬直している目の前の女は、こちらを見て怪訝そうな顔をしている。先程まで熱心に自分を見つめていた男が、恋人の首元に擦り寄るように顔を埋めているのだから無理はない。
肌に唇が触れる、痛みはない
この男は知る由もないだろう。俺が背中越しで恋人さえも欺いて、誰かの恋心を踏み躙っているなんて。
俺はお前のものでいたいけど、それだけじゃ全然足りないんだよ。囲われているだけの恋なんて、全然俺らしくない。それでもお前の手の内にいたいと望むのは、俺の全部をお前に捧げているから。身も心もお前のものでありたい。
だからさ、今日みたいに嫉妬で狂いそうな日には俺のものでいて。俺の手の内で踊らされていてよ。

そしたら、黙って抱かれているから



「The boy is mine」












































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