blossom【創作小説】【Can You Hold Me?】

サクラー。たまにそう呼ぶと、あいつはわかりやすく嫌な顔をする。いつも寄せている眉間の皺はより深く、元から悪い目つきは更に鋭く、眼には光を持つ。シャープな目と高い鼻と大きな口。それらは無表情だとまるで愛想のない顔で、はっきり言って怖い。今みたいに露骨に嫌な顔をした時なんかは俺だって少し怖いと思う。しかし、笑うと顔のパーツの全てがくしゃりとなって、それは可愛くてしょうがない。俺を怒らせて機嫌を取ってくる時の困り眉も、威勢を張るように尖った耳も、全部が可愛い。

「おうや、」

その丸み帯びた名前をなぞるように柔らかく口に出す。舌が口の中ではねる。呼ぶたびにその名前を好きになる。似つかわしくない、そう笑っていたのはいつまでだろう。いま、俺はこいつよりもその名前を気に入っていると思う。甘酸っぱい恋心が透かしてみえるような甘い声を絡めとるようなキスー。それも、すごく気に入っている。少しだけ舌が触れ合って、すぐに離れた。夜はまだ、はじまったばかりだ。
俺達は、そんな明るい夜の下を隣り合って歩いている。桜を見たいと言い出したのは俺が先だったけど、ここの桜を見に行こうと誘ったのは、おうやだった。大々的にライトアップされた有名な桜並木は魅力的だが、そこではおうやとくっついて歩くことも唐突にキスやハグを乞うことも出来ない。それは多分おうやも一緒で、ここはあまりに静かだったし、俺達は堂々と恋人をしていた。控えめで上品な灯りが桜を煌々と浮かび上がらせている。


「写真、撮らなくていいの?」

「今日は大丈夫だ。手、離したくないしな」


そう言って繋いでいた手と、口角を少し上げた。こいつはこういう男だ。衝動のままに攻め立て、喰らい付くように俺を撮ったかと思えば、カメラを一日も持たずにじっとこちらを見つめているときもある。そのどれもが、視線がー。
情熱的で、胸焼けしそうなほど甘ったるい。


「そうだしおん、実は来週から撮影でフランスに行くことになった」


ああ、どうしてそれをここで言ってしまうんだろう。こいつは本当にタイミングが悪い。夜は始まったばかりで、愛を囁くにはまだ明るいというのに。咲き誇っている花よりも、散り行く花に目がいく。もう、ここにはいられない。

「そんな顔するな。すぐに帰ってくる」
「どれくらい?」
「2週間くらいかな」
「俺にとっては全然すぐじゃない」

なあ、お前にとっては違うの?
桜が風になびいて勢いよく散る。おうやが帰ってくる頃、こいつらはどれくらい生き残っているだろう。その刹那を俺達に重ねる。少しでも一緒にいたい、隙間なくふれあっていたい。暫く会えなくなる前の夜はとくに。

「俺だって、さみしいよ」

だから今日、しおんのこと誘ったんだ。
花弁がおうやの頭の上にそっと乗っかる。いいな、そんなに軽やかに飛べたならどこまでも一緒に行けるのに。フランスでおうやが撮る写真の数々に桜も写るのだろうか。それが今夜の桜よりも綺麗じゃないといいな、と思う。切に願う。

"一緒にいたい"
それが俺達をいつも不器用にする。


「ごめんおうや、誘ってくれてありがとう。桜、一緒に見れて嬉しかった」

繋いでいた手の甲を唇に持っていって軽く触れるようにキスをする。伝われば良い、ごめんねもさみしいも。全部熱になって溶ければいい。隣を見れば、恋に濡れた視線がこちらを射抜いていた。溶けるどころか交わって、集中するように焦がれている。愛おしい。そしてもう既に、恋しい。俺はその視線に気づかないふりして言う。

なあ、俺のこと撮ってよ。

パーカーの右ポケットから自分のスマホを取り出して渡す。こいつがカメラを持ってきていないことは知っていた。
おうやを見つめる瞳を、残したい。おうやの瞳の熱を、感じたい。
スマホを受け取ったのを確認して手を離す。温もりが解けて、春のさらっとした夜風に触れる。桜並木と言えるかは分からないが、ここは確かに穴場だと思う。人通りはほとんどなく、その割にはライトアップにもこだわっているように見える。俺は木々の真ん中に立ち、少し身体をふったり、見上げてみたりする。ふと、おうやがスマホから目線を上げて俺を見た。

見つめていて、逸らさないで。
自分が今、どんな表情をしているか。そんなの分かりきっていた。照れくさくて逸らしたいのに、それでもさらけ出したいと思う。おうやにだけは、この愛を、恋故の苦しみを汲み取ってほしい。

「しおん、お前とじゃなきゃ意味ないよ」
「どういうこと?」
「しおんが隣にいないなら、全然意味ない」

そう言ったおうやの瞳は、闇の中にあるひとつの希望みたいに輝いているのに、どうしたってかなしい気持ちになるものだった。

「お前に名前を呼ばれるのがすきだ。この名前に生まれて良かったって思える。お前が俺に甘えるのが好きだ。生きる意味みたいなものを感じる。桜だって、お前が隣に居ないならただそこにある花ってだけなんだよ。お前だけが、俺のすべてに色をつけられる」

俺達を隔てるのは、触れられそうに触れられないもどかしい距離。そして、あふれそうな互いへの恋心。すぐそこにあるから、躊躇してしまう。そっと歩み寄る。それは磁石のように引き合うと決まっているような、引力に近いなにか。俺はそれを運命だとおもう。

「なあ、もう桜はいいかも。早く連れて帰って」

「ああ、はやく帰ろう」


夜風で冷たくなった手は、おうやの体温ですぐに温かくなる。夜はもう、十分に深まった。俺たちはこの後、愛を囁き合うだろう。顔や身体をさくら色に染め上げ、隙間なく抱きしめ合うだろう。そんな夜を超えて、もっと、限りなく、その愛を確かにする。

おうやの横顔にそっとスマホを向ける。移ろう桜のあいだを愉しげに歩く表情。まだ、感傷的になるには早すぎる。夜は、ずっと長いのだから。


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