自分自身とこの青について④【創作小説】【創作大賞2024応募作】
溢れ出ることのない海を、溢れ出そうとする気持ちに気づかないふりしながら、じっと見ていた。静かでひんやりとしたジュンさんの家は、雨の音をより一層悲しいものにする。慣れ親しんだあの青い海が、ずっと遠くに感じる。あの日は確かに、今日のような雨だった。古傷がズキズキと痛む。
ジュンさんは日が昇るのと同じくらいに家を出た。「今日は雨だからお客さんは入らないだろうなー」と眠そうな顔で嘆いて。
ジュンさんはサーフボードを主に取り扱うお店を経営している。私がここにきてからはお店を閉めていたらしい。
「カオルちゃん、なんか危なっかしくて心配だったんだよ」
昨日の夜、風のない湿った夜を一緒に歩きながらジュンさんはそう言った。私より先に食べ終わったアイスの棒の部分をガシガシと噛みながら。私は溶け始めたアイスを無理やり口に押し込んで心配しないで、と言った。私達は兄弟のように、時に"出会い始めの男女"のように、距離を探りながら言葉を交わす。いつしか私はジュンさんに敬語を使わなくなっていた。でも、そこには確かにジュンさんという大人への信頼と尊敬がある。
ジュンさんが私の頭をポンポンとした。ずっしりと重たくて、泣きたくなるくらいのぬくもりを持った手のひらだった。
「何かあったらすぐに連絡しなよ」
ジュンさんがする子供扱いはいつだってただの優しさだ。それが好きだな、と思う。
こんなに感傷的になってしまうなんて、と昨夜のひとときを振り返る。そして、あのじめっとさは雨の予兆だったのかとふいに納得する。空が、海が灰色なだけで、窓が濡れているだけで、部屋の密度が濃いのにひんやりとしているだけで、一人だと実感するだけで。こんなにもくるしい。過去が今を追い越して、囚われる。私は結局抜け出せてなんていない。
もう少しだけ、そばにいてもらえば良かった。今日は雨だからと言って、引き留めていれば、、、。雨は強さを増して記憶と感覚が今を曖昧にする。それは私の頭を、身体を支配してよりふかく、過去に引き摺り下ろす。ジュンさんが遠のく。青い海も、青い空も遠のく。私はもう、戻れないところまで過去を辿ってしまった。忘れられないすきが、電流のように猛スピードで身体を駆け巡る。そして、頭がハッキリと鮮明に、とある事実をとりもどす。
本当はもうずっと、彼女に会いたくて仕方がないのだと。
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