貴方に抱きしめられた夜【創作小説】

貴方にやっと抱きしめられた夜
わたしは泣いていた
幸福?ちがう 
恐怖だ。そのぬくもりがいつかなくなる恐怖。
今私の腰にまわっている貴方の逞しい腕が私の眠っている間になくなっているかもしれないと思うとどうしても眠れなかった。
貴方は朝になったらもういないかもしれない。
愛を囁き合った夜を超え、ぬるくて、無機質な時に身を置くとそこには不安と寂しさが混在していて自然と涙が止まらなかった。
好きな人に抱きしめられる、というのはこんなに苦しいものだっただろうか。
夜の間に確実に得た愛情。それは情熱的でとても甘い香りのするものだった。
私の腰に後ろから腕を回し、首に顔を寄せながら眠っている貴方は朝になったら私にさっきまでの名残を感じさせ、愛を囁くだろうか。
カーテンから差し込む光や、音の変化でこの時間は失われ、朝になるということを予感させる。
焦燥感を感じる。そろそろ鳥の囀りが聞こえ、日が昇り白い光が部屋に差し込むだろう。先程まではどうにかして抜け出したかった生ぬるい時間を思い出し、しがみついていたかったなと思う。そうぼんやりと思いながら、いつのまにか瞼の重みに耐えられなくなっていた。

貴方の匂い
それとコーヒーの匂い。
目を覚まして瞬時に判断した匂いは間違いなくそれらだった。
身体の節々が悲鳴をあげている。それが幸せな痛みといえるかはまだ分からない。重たい身体を動かして仰向けになる。右を向きながら眠っていた為か、右腕に痺れを感じる。ぴりぴりとした痛みを分散させようと手を組み、めいいっぱい身体を上に伸ばす。痛みが気持ちいい。
部屋にはひとりだった。見渡すと部屋は昨日のままで、やっぱり昨日の事は夢ではなかったんだなと思う。ベッドの下を見ると服が玄関に続くように所々置いてあり、昨日の情事が頭を駆け巡る。それが私をまたドキドキさせる。口角が上がっているのを感じ、手で無理やり下げる。きっと気持ち悪い顔をしているだろう。そうなると今度は猛烈な不安でどきどきする。貴方はどこに行ったのだろう。部屋にはいないみたいだし、よく見ると私の服しかない。でもコーヒーの匂いは濃く、新鮮だ。(新鮮?という表現が合っているかわからないが)先程入れたであろう匂いがする。貴方は昨日の事をしっかりと覚えているだろうか。私は恥ずかしいほどに全てを覚えていた。貴方の囁きも逞しい腕も、爪を立てた広い背中の体温も全部。こうして思い出すと、細かな事が色々と蘇り、またドキドキする。
すると、ガチャという音と共にドアが開いた。貴方と目が合い、思わず目を逸らす。胸の動悸が激しい。嬉しい気持ちと怖い気持ちで胸がいっぱいだ。そう思っている間にも貴方は真っ直ぐと近づいて来る。貴方の匂いがする。昨日の貴方とはまた違う匂い。でも確かに貴方の匂い。

「おはよう、身体大丈夫?」
「うん」

貴方の優しい声に胸の動悸がさっきよりも激しくなる。たった二文字の返事なのに変に声が裏返りそうになる。
貴方は昨日のことちゃんと覚えてる?
それが一番聞きたくて、一番聞きたくないことだった。どうせ知るんだから早く聞いてしまったほうがいいと分かっているのに言葉にならない。
貴方に伝えようと吐き出した息は声にならず、ただ小さく溢れた。
そこに含まれている沢山の言葉、沢山の気持ちは私の中で渦巻いている。混ざり合ってぐしゃぐしゃになっている。ああ、なんだか涙が出そう。
こんなのってあんまりだ。

「ねえ、どうしてそんなに泣きそうなの?」
「え」
「悲しい?の」

貴方の顔はすごく困った顔をしている。絵に描いたような困った顔。それがなんだか面白くって可愛くって笑ってしまいそうになる。

「悲しくないよ」
「抱きしめてもいい?」
「いいよ、すごく強く抱きしめて」
「苦しくなったら言ってください」

貴方は私をすごく強く抱きしめた。だんだんと強くなって本当は少し苦しかったけど、このまま貴方に殺されてもいいかもしれないと思うくらい幸せだ。

「ねえ、昨日のこと」

「僕幸せです。貴方が僕の腕の中にいてくれることが、貴方に触れてもらえることが、この上なく幸せです。」

「私も本当に幸せ」
「本当に?」
「本当に」

私はどうして貴方を信じることが出来なかったのだろう。貴方はこうして愛を伝えてくれる人だって知っていたのに。そんな貴方に惹かれたのに。今まで孤独に押しつぶされそうな夜をいくつも経験した。その孤独を経た後にあったのはいつもかたちの違う孤独だった。
寂しさを埋めようと体温を求めて、嘘でもいいと甘い言葉を求めた。そんなの意味がないって自分がいちばんわかっていたのに。
私は貴方を疑っていたんだ。あんなに愛を交わしたというのに、あんなに真剣に気持ちを伝えていてくれたというのに。

「泣いてるね」
「泣いてないよ」
「キス、しますね」
「うん」

そのキスはどこか不格好でお互い笑ってしまった。でも互いに唇を離さずにいて、匂いとか、体温とかそういうものを手探りで探す。それは唇だったり手だったり足だったりする。どこでもよくて、でも貴方じゃなきゃだめだと思った。きっと貴方も。それは昨日のそれとは違い、作業や、点検のようなものだった。お互いを知り、探り合い、求めたいこと、求めて欲しいところを知ること。情熱的にただ目の前のお互いを逃さまいと触れ合い、噛みついた昨日のそれも幸せだったが、こうして丁寧に触れ合うことができる貴方を昨日よりもずっと愛おしく感じる。貴方の手が私の耳の形を確かめるように触り、舌先でなぞる。そのまま首から肩までなぞり、ブラジャーの紐まで到達したところで私の顔を見上げる。貴方のその上目遣いは私の弱点になりそうだなと思う。

「いい?」
「だめ」
「えーなんでですか」
「コーヒー飲みたいから?」
「後でいれますよ僕が」
「だって貴方のキス、コーヒーの匂いがする。」
「え?」
「飲みたくなっちゃった」

目を見ながら、先程の貴方みたいに上目遣いをする。貴方は少し顔を背けて、不貞腐れたように唇を尖らせ、わかりましたと言った。それがすごく可愛くて背けた顔をこちらに向けてキスをした。

「コーヒー飲んだら、続きしましょうね」
「そうだね」
「チェックアウトまではあと3時間あります」
「あれ、そんなに時間ないね」
「ありますよ、3時間あればなんでもできます」
「女の子は大変なの。まあ女の子って年齢でもないかな」
「いつまでも女の子ですよ」
「ありがとう」
「女の子が大変なのも分かるんですけど、今日はわがままに付き合ってもらえませんか?」
「私も今日は貴方と一時も離れたくないよ」

そう言って私はベットから降り、昨日落とせずにいたメイクを落としにいこうと洗面台に向かう。後ろでは貴方が何か言っていたようだったが聞こえなかった。洗面台の鏡を見るとそこにはメイクが涙や汗でよれよれの私がいた。そうなると先程までの色々がいきなり恥ずかしくなったが、逆にメイクを落とすのは何も怖くなくなった。これならすっぴんの方がましかもしれない。それに貴方はきっとどんな私も受け入れてくれるだろうという謎の自信を私は身につけていた。

「コーヒー出来たから早くきてください。あと、さっき近くのパン屋さんで美味しそうなパン買ってきたので焼いときますね、早くしないと全部食べちゃいますよー」

「分かったからちょっと待ってて」

急かす貴方の声が愛おしい。コーヒーの香りがここまで香ってくる。とてもいい匂いだ。幸せの匂い。
まだ続くであろう幸せな朝を思って笑みが溢れた。







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