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家事をしている時の自分が好き。

生きていることが辛くて辛くてたまらなくて、
人生というものに絶望していた4月7日。
そんな日に書いた文章が、下書きに残っていたので、
せっかくだから公開してみようと思う。
あの時とは考え方も少し変わったけど、
「この文章がいいな」と思ってくれる人もいると思うから。
(いたらいいな)



人生とは、毎日の繰り返しである

毎日とは、日常である


一日中休みで、たくさん家事が進んだ4月5日とか

バイト帰りの、夜桜が綺麗だった4月6日とか

ずーーーっと寝て、起きたら夕方だった4月7日とか


そんなものの積み重ねが、人生であり、生きるということは、

何でもない一日を積み重ねていくことだと思う


「生きる」ということの本質は、

無限に流れるゆったりとした時間を、気まぐれに生きること。


思いついたことをして、気づいたら別のことをやっていて、

また思い出して元に戻ってきたりとか


そんな毎日が幸せであり、生きるとはそういうもんだと思う


本当は、無限の時間というものがあって、


だけど、肉体的には寿命があって、
物理的には人生には終わりがあって、

人は、肉体の死にとらわれてしまう。
死にたくないと思ってしまう。


生き急ぎたくない。

生き急ぐことができる人は、すごいと思う

近道を探すことができる人は、それでいいと思う


でも、私にはそれができない

譲れないもの、こう在りたいという信念を確認してからじゃないと、前に進めない。


土台を作りたい。精神の、土台。

生きる上で、これだけは、これさえあれば、という土台。


その土台の上に、

人にこういう価値を届けたいとか、もっと上に行きたいとか、そういうものが初めて生まれると思う。


他人からどう言われようと、

もったいないとか非効率だとか甘えだとか言われようと、

そこだけは譲れない


譲りたくないのに、他の人の話を聞いていると揺らぐときがある。


がんばれない自分がダメなのかなとか

非日常な生活を送れているあの子が羨ましいなとか

そろそろお父さんお母さんを支えられるようにならなきゃなとか


一歩ずつ、

自分にとって本当に必要なものを確かめながら。


一歩ずつ。

気まぐれに、自分の心が向くことに向き合う。

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春から東京での新社会人生活。 これからも、よく読み、沢山の芸術に触れて自分を磨きながら、書くことを諦めずにいたいです。 応援のお気持ちを、サポート頂ければ幸いです。