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下北沢にライブを見にいったら、考えさせられたこと。


完全な自論なんだけど、
一生不安定で『アレ』を探し続けるやつと
どこかでちゃんと貰ってて、一生探さなくても
必死にならなくてもよくて、人生上向きなやつがいる。


『アレ』はもちろん。愛のことである。
でも、一瞬とかでは多分ダメで、
無条件か、その一瞬が永遠であるものに限る。


先日、ある知り合いのライブを見に行った。
その人は作詞作曲ギター担当。
その日、久々に演奏した1曲を
ボーカルは「不器用なやつが書いたラブソングなんだ。」といった。

わたしはその曲の題名は○○(きょうだいに関する英単語)じゃなかったかな?
らぶそんぐ…?なのか?と思って聞いていた。

それで、ライブが終わったあと知り合いに、
「あれってラブソングなの?」ときいたら
「いやーきょうだいに書いた曲だしね。でもそうか、ラブソングなのかもね。」と言っていた。

「ああ、そうか家族愛も愛か…」

私は家族愛なんてもちあわせていないものだから、
なんだか少し、ほろ苦いきもちになった。

その知り合いは家族仲も良くて、友達にも恵まれていて、話していて少し陰が見える時もあるけれど、圧倒的に根がよく感じるし、愛されて育ってきた人間だと分かる。
みんなに好かれるタイプだろうなーと思うし。
私もだいすきだ。

でも、私とは違うな と思う。

やっぱ愛されて生きてきた人間って、つよい。
これも自論だけど、
愛されてきた人は、もう探さなくてもいいから余裕があって、自分のこともきちんと愛せていて、どんどん自分のことを上向きな気持ちで積み重ねていけるんだと思う。

対照的に、そうされてこなかった人間は、
穴がどっかしらに空いていて、それを埋めることだけを原動力に、何かをする。それってとてもマイナスだし、なかなか積み上がらない。

それに、埋めるものが壊れた時バランスを崩す。相当、苦しむ。

愛されてきた人は積み重ねの数枚が剥がれたりヒビ入るだけで土台部分に多分あんまり支障がない。

そんな感じ。

やっぱ、勉強ができるとか言うことを聞くとかそんな条件付きなもんじゃなくて、誰かに無条件に受け入れられたかったなーとか考えてしまうよね。

いいな、家族愛。

マジで羨ましい。

やっぱり恋人とかって、利害関係な部分も大きいし、
若いとなかなか続きにくかったりするし、
損益分岐点を下回れば簡単に見限られるような、そんなもんなことの方が多いよ。(悲観的すぎ?)
あと、三組に一組が離婚する時代ということだから結婚もそーゆー物になってしまう人も多いんだろう。

そんな中で、人生でひとりからでも、本物を貰ってて、
受け入れられてるのはやっぱ凄くいいな。素敵。

もう今更手遅れだけど、そっち側の人間になりたかったな。

シニテー。w

なんていって 案の定2,3人にさけられて♪なんて


Lyu;Lyuでも聞きますか (もうダメだ)

こんなこと考えたり、急に寒くなって自律神経と
メンタルがやばめだから
銭湯に行ってきます。

読んでくれた人はありがとう。
体調には気をつけて。

雨より。

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