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深本ともみ『菌類愛好者(マイコフィリア)のみる夢』

「耕作は、脳味噌キノコを手に入れた!」
 あずみ町キノコの会のトークルームにそんなメッセージがきて、僕は跳ね起きて、メガネをかけ直した。耕作さんがここで話している脳味噌キノコというのは、シャグマアミガサタケという猛毒キノコだ。農家をやりつつ暇があると山に入る山菜ハンターの耕作さんはキノコにも詳しく、キノコをみつけると必ずお土産に持ってきてくれる。僕の毒キノコ好きを知っているからだ。
「脳味噌キノコってすごい名前ね」
 すぐに、主婦の五十川さんからメッセージがくる。五十川さんはいつも返信が早い。耕作さんの持ってくる美味しいキノコ目当てでキノコの会に来ている五十川さんは、実はキノコハンターとしての素質があることが最近わかったところだ。
 僕がシャグマアミガサタケの説明を懇切丁寧に文章にしている間に、ぽん、と画面に写真が貼られた。ネット記事の写しである。そこにはまさに脳味噌の形をした渋い紫色のキノコの姿もある。
「本当の名前はシャグマアミガサタケっていうらしいですよ」
「まあ、ほんとに脳味噌ね!」
 また結城さんに先を越された。
 結城さんは三ヶ月前に五十川さんが連れてきたあずみ町キノコの会の新メンバーだ。この会では一番年が近いけれど、五十川さんと同じ職場で働いていることしか僕は知らない。昔食べたキノコが何という名前だったかを耕作さんに聞きに来て、それが縁で会に馴染むようになった。最初は興味がなさそうだったけれど、実際キノコ狩りに行ったり僕たちのキノコ談義を聞いたりしているうちに、探求心がでてきたらしい。
「でもこのキノコ早春にとれるって書いてあるわよ」
「五十川さん、いいところに気づきましたね」
 そう、このキノコは春のキノコで、今の季節に採れるなんてのはありえない。とすると、考えられる可能性は一つ。
「つまり、耕作さんが手に入れたのは缶詰のキノコですね」
「水戸くん、ご名答!」
「むしろ缶詰のほうが入手しにくいと思うのですが。春になりさえすれば日本でも採れるわけですし」
 フィンランドでは缶詰で市販されているという話を聞いたことがある。だけど、日本でそういうものは出回っていないはずだ。日本人は同じくらいリスキーな食べ物であるはずの河豚にかける情熱はすさまじいが、シャグマアミガサタケに対する情熱は薄い。まかりまちがってシャグマアミガサタケブームが起きて、タピオカを片手にはしゃぎまわる女子高生のように、シャグマアミガサタケ片手にうかれまわる人間で世の中いっぱいにならないだろうか。
「それで水戸くん、いつやる? 平日ならおれ家にいるけど」
「僕はそれでいいです。直近なら水曜の午後が空いてます」
「ちょ、ちょっと待ちなさい」
 とんとん拍子で進んでゆく会話に待ったをかけたのは五十川さんだ。
「まさかあなたたち、食べようとしてるわけじゃないわよね」
「フィンランドでは食用なんですってば」
「水戸くんはともかくとして、耕作さんまでそんな危ない船に相乗りすることないわ」
 僕はともかく、と五十川さんが云うのには訳がある。別に五十川さんと仲が悪いわけじゃない。だから、おそらく五十川さんが僕を毒キノコで死んでもかまわない人間だと思っているわけではないと、信じている。
 毒キノコを食べるのはいわば趣味だった。勿論致死性の高いものは食べたりしない。ある程度毒抜きの方法がわかっているもの、副作用があるが致命傷には至らぬもの、そういうものを選別し、きちんとした知識をもった上で美味しく食べている。つまりこれは限られた人間にのみ許された高尚な食文化なのだと確信しているのだが、周りからは変人の部類としてみられてしまう。そういった点で、あずみ町キノコの会は、僕のこの趣味を認めてくれている数少ない人々の集まりでもあった。
「どっこい五十川さん、おれはもうこのキノコを攻略済みなんだ。春にみかけたら採って食べてる」
 キラキラと歯が光るキャラクタースタンプと共に耕作さんがカミングアウトする。五十川さんはすかさず魂が抜けてゆくスタンプで返した。
「いや。美味いんだよこれが」
「ううん。気にはなるけれどねえ。私には夫とこどもがいますし」
「おれにだって妻とこどもがいるけど、みんな喜んで食うよ」
 美味しいキノコ、という部分に僅かな迷いがみえたが、今回は五十川さんの食欲よりキノコの毒性が勝った。おそらくは、結城さんの記事に書いてあった「キノコを茹でた蒸気を吸っただけでも症状がでる」という部分に恐怖を覚えたのだろう。
「じゃあ今回は僕と耕作さんだけで食べてみましょうか」
「あ。私も水曜午後空いてます」
 ずっと黙っていた結城さんがここで手を挙げた。耕作さんがびっくりマークを連発する。僕も、これは少々予想外だ。
「参加します。まだ独身ですし」
「ゆうちゃん、早まっちゃだめよ!」
「耕作さん食べたことあるんですよね。だったら大丈夫です。天然物ならともかく市販品ですし、味も気になりますから」
「それじゃあ公民館集合にしようか。迎えに行くから、ふたりとも九時に公民館前で」
 ほんとうにいいのかと思いながらも、僕ははい、と返事をする。結城さんも承知しました、と返し、それでこの話は終わりになった。僕が思っているより、結城さんはキノコにのめりこんでいるのかもしれなかった。

 八時五十分に公民館に着くと、そこにはもう結城さんがいた。
 五十川さんが欠席だとなかなか話しにくい。僕も結城さんも、ぽんぽん言葉のキャッチボールができる性格ではないからだ。おはようございます、今日はよろしくお願いします、キノコ楽しみですね、そんな会話が済んでしまうとふたりともそれとなく携帯をだした。
「耕作さん少し遅れるって」
「メッセージ、来てましたね」
 内心参ったと思いながら、公民館前の僅かな段差に腰掛ける。ずっと携帯をいじってる訳にもいかないし、ここはキノコの話で場をつなぐしかない。
「あの、水戸くんは」
「アイコン変えたんですね」
 会話がかぶってしまった。どうぞどうぞとお互いに譲り合い、結局僕が先に話すことになってしまった。いや、薄い話題だから最初でよかったのだろう。
「結城さんのトークアイコン、アカハツになってましたね」
「あ、はい。ネットから引っ張ってきた画像ですが。私にとってのファーストキノコだったので」
「あはは。アカハツだけに」
 結城さんはピンとこなかったらしい。そのまま携帯の画面をみながら話を続けた。まあ深く掘り下げられないほうがこちらとしても助かる。
「水戸くんのアイコンは変わらずドクツルタケですね」
「やっぱり毒キノコの王者ですから」
「なんでそんなに毒キノコがすきなんですか?」
 すきな理由はたくさんある。その生態、愛憎にも似た人類との歴史、色、形、面白さ。しかしたくさんの理由をたどってみると、そこには結城さんと同じようにファーストキノコの存在があった。忘れかけていたその記憶に、僕自身も驚いた。
「ベニテングダケって知っていますか。赤と白の、ほら、ゲームとかにもよくでてくる」
「アリスのキノコですか?」
 女子と男子の認識の差異は、とるに足らないことなのでつっこまない。
「小さい頃なにも知らずにあれを食べて、酩酊したんですよ。トリップっていうのかな。あの感覚がもしかしたら、僕が毒キノコを追いかける理由かもしれないです」
 そんな話をしていると、耕作さんの白いワンボックスカーが目の前に止まった。耕作さんがいれば会話も少しは盛り上がるだろう。僕はほっとしながら助手席へ滑り込んだ。
 案の定、なんの話をしていたのか冷やかしてきた耕作さんに、僕たちはベニテングダケの話をした。この話は耕作さんにも話したことがない。道中のいい暇つぶしになった。
 この話をしたことがあるのは、あずみ町キノコの会で出会った僕の師、鷲尾先生だけだ。鷲尾先生は会員の誰よりもキノコに精通している素晴らしい人で、そのキノコ好きが高じて現在、キノコになるという壮大な夢を叶えるため旅にでてしまった。というわけで鷲尾先生は今名誉会員的な位置にいる。
 シャグマアミガサタケを食べることになりました、と僕は先生個人のトークルームにメッセージを残した。きっとうらやましがること間違いない。


 車は二十分ほどかけて、耕作さんの畑に向かった。窓を開け、だだっぴろい畑の中で農作業をしている人たちに挨拶しながら、車は林に面したところに止まった。
 シャグマアミガサタケを室内で煮てしまうととんでもないことになる。そのため、耕作さんはガスコンロと鍋を持ってきてくれていた。
納屋から持ってきた古板を机代わりに、林の一角に簡易的な作業場を作る。コンロはそこに置き、水は用水路のものを汲んで使う。
「缶詰といっても油断は禁物だ。というわけで、今回は山で採った場合と同じように煮沸処理をしてから食べることにしよう。ついでに料理もここでしちまおうと思って、調理器具と塩とパスタは持ってきた。具になる野菜は畑からとってくるからおれに云ってくれ」
 隣で結城さんが生唾を飲む音が聞こえた。もしかするとこの人、五十川さんに劣らない食いしん坊なのかもしれない。でも、普段食に頓着しない僕でも、俄然昼ご飯への期待値は高まった。これは参加を断念した五十川さんの判断ミスと云わざるをえない。
「あと、念のため煮沸した水は用水路に流さず林の中に捨ててくれ。できるだけ雑草の場所に。木の根本とかはやめよう。料理に使う水はペットボトルに汲んできた水道水を使ってくれ」
 耕作さんは自然と、料理関係のことは結城さんのほうをみて喋っている。キノコ料理は強い耕作さんだが、たぶんパスタに自信がないのだ。そもそも結城さんは料理ができるのだろうか。僕の不安をよそにシャグマアミガサダケを食べる会は始まった。
 まずは湯を沸かすところからだ。
 僕が汲んできた水が沸くと、耕作さんがざるに三つ分の缶詰の中身を全部あけた。それを鍋にダイブさせる。
 湯気を吸い込まないよう風上に移動しながら、三人で鍋を囲む。正直シャグマアミガサタケはあまり美味しそうにみえない。くしゃくしゃしていて、キクラゲっぽいがキクラゲより黒い。元の姿が脳味噌に近いから、見た目にポテンシャルがないのは重々承知の上なのだが。そしてなにより大変なのは、あと二回この作業をしなければならないことだ。
「パスタ、何味にする?」
 耕作さんの問いに、僕は首を傾げた。スパゲッティはナポリタンとミートソース、ペペロンチーノぐらいしか食べない。
「クリームパスタがいいんじゃないでしょうか。しめじとかポルチーニとか、きのこを使ったパスタってクリーム系が多い気が」
 僕はしめじもポルチーニもペペロンチーノで食べていたが、余計な口は挟まない。
「作れる?」
「作り方調べれば、きっと。材料も調べます」
 二回目の毒抜きをする間に、耕作さんは結城さんが調べたレシピを元に、近くのスーパーへ買い物に走った。さすがに生クリームは畑で手に入らない。ここでも結城さんと二人きりになったが、二回目と三回目の毒抜きを分担することにしたので、結城さんは今林の中を散策しているところだ。
 二回目の毒抜きが終わり、三回目の湯が沸騰するかしないか、というところで耕作さんが帰ってきた。生クリームを買ったあと、家に寄って胡椒、粉チーズも持ってきてくれたらしい。至れり尽くせりだ。
 三回目の毒抜きは耕作さんがやるというので、僕は林から戻ってきた結城さんとタマネギを掘り起こし、洗い、まな板で薄切りにした。
「なんだか飯ごう炊さんみたいですね」
 結城さんが目を赤くしながら、リズミカルにタマネギを切ってゆく。その手際の良さに、そうだこの人は五十川さんと同じ家事代行業だったのだ、と思い出した。料理ができないのではとあたふたしていたのは全くの杞憂だった。
「コンロ使い終わったぞ。キノコは水にさらしたあと、水気を切って終わりだ」
「なら、先にソースを作りましょう。パスタを茹でるのは後ですね」
 タマネギ炒めは結城さんに任せ、僕は使い終わった鍋を片付けた。この鍋には毒が残っているかもしれないので、パスタを煮るには別の鍋を使う。そのために耕作さんは、もうひとつ鍋を持ってきていた。そこへペットボトルの水道水を注ぎ、コンロが空くのをまつ。
 しかしまだコンロは空いていなかった。どうしようか迷いながら後ろで待っていると、気配を察したのか、振り向いた結城さんと目があった。
「水戸くん。実はさっき、林の中でキノコをみつけたんです。たぶんアリスのキノコだと思うんですが」
「え。ベニテングダケですか」
「ここやっとくんで、ちょっとみてきてもらえませんか」
 鍋を横に置くよう促され、林のあっちのほうです、というあまり役に立ちそうにない情報だけもらい、僕は散策にでかけた。僕が鍋をもってうろうろしていたところでなにもできることはないが、体よく追っ払われたような気がしないでもない。
 広葉樹林の多い林は今まさに色づき、光に反射してきらきらとまばゆいばかりだ。お目当てのベニテングダケはすぐにみつかった。赤地に白い斑点。まさしく絵に描いた毒キノコ。その凶悪な見た目に反して、致死量の毒はもっていない。僕は小さい頃、キャンプにいってみかけたこのキノコを生で食べて酩酊した。なぜこんなみるからにあぶないキノコを食べようと思ったのかは覚えていないが、おそらく興味と好奇心が勝ってしまったのだろう。
 酩酊の中、僕はラストンに会った。大きなゴールデンレトリーバーのラストンは祖父の飼い犬で、家が近かった僕は幼い頃から遊びにいっては可愛がっていた。どちらかというと、ラストンが僕の世話を焼いてくれていたのかもしれない。大らかで優しい性格だったラストンは、年端もゆかない僕が耳を引っ張り尻尾を踏んづけても怒らなかったと聞いている。
 けれどラストンは、キャンプの前日にいなくなった。祖父が体調を崩し、病院生活を余儀なくされてしまったために、遠い親戚にもらわれてしまったのだ。僕らはペット不可のマンション暮らしだったから、ラストンをもらい受けるのはどだい無理なことだった。それでも、あまりにも突然の別れに、ことの次第を聞かされていなかった僕はキャンプ前、ずっと泣いてふてくされていたのだった。
 そのラストンが隣にいた。
 僕は河原をラストンと駆け抜け、時には水にダイブし思いっきり遊んだ。水からあがったラストンが身震いし、そのしぶきが飛んでくるのにさえ笑い転げ、毛並みがすっかり乾いた頃には、金色のふさふさに顔を埋め、バーベキューの肉が焼けるのを待った。
 僕が目を覚ますと、そこはキャンプ場の救護室で、父と母が神妙な面もちで僕をのぞきこんでいた。僕はこっぴどく叱られたが、叱られたことより、あのラストンが夢だったということのほうが悲しかった。
 ベニテングダケをとって帰ると、結城さんがちょうどパスタを茹で始めているところだった。耕作さんは自分の畑に入ってなにやらごそごそやっている。
「ありました? キノコ」
 僕はなんとなく、ベニテングダケをパーカーの下に隠した。
「いや、落ち葉に隠れちゃったのかな。ちょっと上手くみつからなくて。よかったら結城さん、もう一度探してきてくれませんか。僕代わりますから」
 これは考えてやってることじゃない。まるでキノコの菌糸が僕の頭を乗っ取ってしまったかのように、すらすらと言葉がでてくる。僕は一体なにをしたいんだろう。
「そうですか。じゃあ、タイマーが鳴ったら、茹であがったパスタをフライパンのソースと絡めてもらえますか」
「わかりました」
 結城さんが林の中に消えて数分、タイマーが鳴った。僕は鍋からあげたパスタを、まだ温かい横のフライパンに放り込み、かき混ぜる。クリームをまとったシャグマアミガサタケはとても美味しそうにみえた。
 用意されていた紙皿に、均等にパスタをわける。まだ耕作さんは畑にいるし、結城さんも帰ってこない。僕は自分の皿を手に取り、その上にベニテングダケを砕いて載せた。ああそうか、僕はこれがしたかったのだ、とその時初めて気づいた。
 毒キノコのちゃんぽんはしたことがないので不安だったが、好奇心はとめられない。プラスチックのフォークで一巻き。味見をする。
 美味い。あれだけ煮沸してもアミガサタケのコクは消えてないし、しっかりソースにもでている。そしてアクセントのベニテングダケ。ぴりりと舌に感じる刺激。こちらも噛めば噛んだだけ旨味がでてくる。もう一巻き、二巻き。美味い。美味すぎる。これだからキノコはやめられない。
「おっと水戸くん! 抜け駆けは頂けないな」
 葉野菜を小脇に抱え、畑から戻ってきた耕作さんと僕の距離はまだ随分あるのに、耕作さんの目はごまかせなかった。僕は謝りながら慌ててベニテングダケだけ先に平らげ、残りはまたパーカーの下に忍ばせた。
 シャグマアミガサタケのクリームパスタと、とれたて野菜のサラダを撮ってトークルームにあげると、すかさず五十川さんから、
「やっぱり行けばよかったかしら」
 という呟きとともに悲しい顔のスタンプが送られてきた。
「美味しかったですよ。春にリベンジしましょう」
「ゆうちゃん、すっかりキノコのとりこね」
 結城さんはシャグマアミガサタケがすっかり気に入ったらしい。アカハツより美味しいと、しきりに云っていたかと思うと、静かな興奮を抑えることができなかったのか早速アイコンをシャグマミガサタケに変えていた。
 三十分ほどで食べ終わり、中毒症状もでていないことだしぼちぼち片づけをしようということで、僕は古板を納屋に戻そうと林から納屋にかけての道を歩き始めた。
「美味しかったなあ」
 ついつい独り言が漏れてしまう。それほどパスタは美味しかった。春になれば今度は天然物のシャグマアミガサタケを食べることができるのだろうか。
「水戸くんもあのキノコが気に入りましたか」
「そうですね。やっぱりあれだけ煮ても旨味が残っているっていうのがすごいです。あ、あれ?」
 聞き覚えのある声にぱっと顔をあげると、そこに鷲尾先生がいた。
あの穏やかな笑みは健在だったが、口の端や耳の穴、頭の上からにょきにょきとキノコが生えている。

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