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【小説】小野寺ひかり『白い花と雨のこと』

 2人で借りたアパートには庭が付いていて、それが決め手になった。花でも育てよう、部屋の中にもグリーンをたくさん置こうよときみはそういった。いいね、と私。春先のことだった。ネットで、同性同士で賃貸を借りるのは難しいこともあると情報を得ていたが、友達同士のルームシェアだと不動産屋に説明したら審査はすんなり通った。都会だから詮索されなかったのかどうかも分からないが。この世界では、誰も彼でも、本当のことを言いすぎる必要はない、私のポリシーでもある。

 曖昧なものがいい。曖昧にしておけるならその方が良い。そんな態度だから、恋人と付き合い始めた頃は相手をどう呼ぶべきなのか宙ぶらりんのままにしていた。彼氏なのか、彼女なのか。そもそも心のどこかで「私の好きな人」とそう呼びかければ済むだから、今でもまだ馴染んでない気がする。友人らの食事会になると、彼氏が「夫」に昇格しただの、妻になったとたんに「ツレ」と言い始めるような照れくさい光景も何度か見かけてきた。

 パートナーへの正しい名称ってなんだろう。しょせん、人との関係性を曖昧にしたまま、恋愛に慣れないまま、大人になってしまった人間なのだ。30歳近くなってからの「恋愛」だから今でも恋人について説明することには、赤面しそうになる。人のことをいう立場でないのは重々承知だが、いっそ「かれぴ」の方が清々しいとさえ思う。そんな私を知ってか、きみからは実際、からかわれていた節もある。

 賃貸契約の終わりに不動産屋さんにきみは「実は友達というかパートナーというか」と、何か説明しかけたときだって驚いた。不動産屋さんも冷静に「そう、まあ、ケンカ仲良く住んでもらって」と言うものだ
から、私は勝手にアレコレ想像していて青くなったり赤くなったりした。きみはそんな動揺を見抜いて「ね、大丈夫? 耳まで赤いよ」とスマホでメッセージを送ってきた。
あらゆる同棲グッズを買いそろえたのはご機嫌な「パートナー」だった。
「やっぱり、歯ブラシはお揃いのがいいでしょ」
「きみが青? じゃあ、私がピンクの?」
青い歯ブラシとピンクの歯ブラシが並ぶ。同棲生活の象徴に思えた。
「まあ、そうなるね」
 いやだった?とパートナーは目線を向けるが、すでにパッケージを開いている。色ごとき、と思うかもしれないが今後、私は歯ブラシといったらピンクを買い続けるの? せめてもの抵抗で赤とかオレンジでしょ?って逡巡していた。
 「いいでしょ」って同意を求めてきたような、はねた後ろ髪。それもいいよ、と私なりの同棲ハイ。
 恋愛経験も少ないことに比例して人生経験もさしてない。
なので季節の暦における「初夏」の立ち位置がよく分からないままだった。春が終わったあとに梅雨がきて初夏から本格的な夏なのか。それとも梅雨入りの前に「初夏」が来るのか、よくわからなかった。
君に聞いて「バカ」だと思われたらいやだった。恋だの愛だのに浮かれているのもガラじゃない。

 正直、甘えていると思う。だから、そんなワガママも社会人の立場では言ってられない。仕事先やカミングアウトしていない知人の前などの、ヨソでは恋愛してる「風」で通している。

 営業先の販促グッズにオリジナルカレンダーをつくることになった。新入社員の若い男性と並んで課長の説明を聞いていた。
「つまり、夏秋用のポストカードでいいんだけど、せっかくだから彼の、木下君の研修やあいさつ回りもかねて」
「予算とかって」
「ん-、そんなに多くはないけど、何社くらい配布できる?」
「いやあ……コロナもありますからねえ」
 課長の「え?」という圧を察して、私はコロナを言い訳に出すのは早かったなと勘づいてすっとぼけた。何にも開いていないパソコンで、案件をスクロールしている「風」で。
「ぐる~っと回って課としては、60~80程度は、いけるかなあって。ね」
「じゃあMAX100か、ちょっと多いかなって思うけど」
 課長が、木下君をちらりと見る。
「はい」
 なんにも分ってない木下君が、勢いよく返事をした。
「じゃあ、あとはよろしく。見積り出してくれたらみるから。先輩の話をよく聞いて進めてね」
「はい! よろしくお願いします」
 なんにも分ってない木下君。フレッシュマンの彼をどれくらい長く社内にとどめておけるんだろうか。去年の若手も、そろそろ辞めそうだ。パソコンを自宅に持って帰るのに、所定のハンコをもらわないといけないシステムに「どんくさいやり方っすね~」とさわやかに告げた。「わかる~」と同調した私にも罪があったのかもしれない。とはいえ、去年の若手も、私も転職組だから救いがあったんだけど。

 どうにかやっていける私でありたいといつも思っていた。

 グリーンを植える間もなく、庭には雑草が密集していた。濃いグリーンの葉と白い花々。ためらいもなく葉を触りに行くきみを止めることはできなかった。
「これ、ドクダミじゃん?」って、手の臭いをかいできみは告げる。手のひらをぐいと、私に向けて嗅いでと、仕向ける。「や……」と、顔をそむけてもつんと香る、ドクダミのにおい。ね、っと笑うきみ。どうしようもない。
「見たらわかるでしょ!」
「分かんないよ、ごめんね。むしろ嗅いでわかる方が偉くない?」
 屁理屈をこねるのは悪いくせだと、言わないでいた。ふてくされた私の機嫌をきみは懸命にとろうとしていた。

 スマホを取り出しその場で通販をしたので、除草剤は翌日に届いたが、梅雨入りと報道があった。降雨では除草剤は散布する意味がない。意味がないよ、と伝えていなかったせいで、ある日の朝、きみは庭じたくに取り掛かかりすっかり、私が起きだす頃にはひと仕事終えていた。すっかり汗だくの君。午後の予報は雨ではなかったか。どうしようと逡巡した。屁理屈をこねられるような気がして、ただ「おつかれさま」と冷たい麦茶を差し出した。
翌日出社すると、木下君との営業周りが始まった。きょう1日だけともに訪問してグッズを配布して、残りは木下君からの相談待ちということにしていた。玄関先で簡単に済ませられるところもあれば、せっかくなので、と応接間で雑談をするケースもあった。
「先輩、すごいですね。スルスルと会話できて。僕、緊張して、手汗べっちょりです」
「そんなことないよ。1日5社目安にね。バランスよくやって。ぱぱっと話すところと、長めに時間とりそうなところと。そしたら1カ月。暇もちょっと潰せるでしょ? 1件でいいから、新規の相談受けられたら御の字だから」
「はあ」
「次に会う約束できそうなところ見極めて、メモとるだけでいいから」
 昼飯時に、私のプランを伝えた。課長のパワハラをうまく避けつつ、入社したての今のうちをゆるっと満喫してくれと、願いを込めて伝えた。
「分かりました!」
 無駄な奮起が私をほっとさせる。そばとかつ丼に手を付け始めた。
「あ、そういえば……ひとつ聞いてもいいですか?」
「何かな」
「先輩って、どなたと一緒に住んでるんですか? ごきょうだい?」
「え」
心臓がバクンと鳴って息の仕方を忘れてしまったかと思う。
「なんか、先輩って下高井戸のほうですよね。たまたま、友達んちいったら、スーパーで先輩っぽい方見かけて。んで、うん、仲良さそうだな~って」
「いやあ、人違いじゃない?」
 目線も合わせずに一気に飯を書きこんでいた。
「え~、そうっすかねえー。そうっすかー」
 木下君は、次の瞬間、このかつ丼うまいっすね、といつもの調子に戻った。スーパーの名前は御用達の場所だったので目撃されたのは間違いなく私だった。そして隣にいたのはパートナーだった。はしゃいでいたか? それとも、おとなしかったか? でも、仲良さそうな私たち。
恋人だよ。でも、誰でも彼でも正直に話す必要はあるまいと、眉間のしわのなかで答えを導いた。どんぶりのご飯粒から木下君に視線を戻すと、私との間にうすいシャワーカーテンのようなものが引いてあるような気がした。何を話しているのか、何を考えているのか、もうそれ以上、私には何も見えなくなりそうだった。


 木下君の分も一緒に会計をすませると、「ごちそうさましたっ!」と木下君は言っていた。食べ過ぎたようで夜になってもお腹が減らなかった。

「そういうの良くないよ。ばーか」
「……」
 帰宅してから、きみは私をあげつらった。言うべき時に言わないのは私の悪い癖だと指摘する。
「……うん」
 一生懸命働く後輩に、優しくできないなんて、と、気づいたらきみの説教スイッチが入ってしまって途方に暮れた。いつもの様子と違う、いつもの怒るきみ。こうなると全て吐き出すまで、何もできない。何で、そんな話をしてしまったのか。自分のふがいなさにも、少しいらだち始める。
「だってさ、なんで?」
 きみは、説教の勢いをスローダウンして涙をぬぐっていた。いつの間にかきみは泣いていた。きみはきみを隠したがった事実に傷ついていた。繰り返された説教のなかでようやく悲しみと怒りに向き合っているのだと分かった。

 私は「ごめんね」と詫びていた。涙が流れるのを見て、気づくなんて本当に私は鈍感だと思う。
人生経験や恋愛経験を積んでおけばよかった。どっちが大切、なんて複雑な事じゃなくて、きみを大切する簡単なことがどうしてこんなに難しいのか。曖昧なままにして、よくわからなくなってしまった境界線を、私は越えてしまっていたのだ。
謝りながら、境界線というものは目にも見えないことだが、そんな境界線をひどく大切にしなくてはいけないと、涙を流すきみに話していた。どうしていいかわからなくて、抱きしめたら、頷いたきみは私の袖で涙を拭いていた。

 私たちの庭をどんどんと侵食していった、ドクダミは私たちの生活をゆっくりと分断していたのかもしれない。ふと気が付くと、またこんもりと葉っぱが見えてくる気がする。
あの日、除草剤を巻いたきみの行為に私は何も言わなかった。天気予報が外れて午後には雨は降らなかったので、ドクダミの葉は二~三日経つと枯れていた。梅雨の晴れ間だと思えたが異様に早い梅雨明けの報道も同時だった。
「葉っぱを回収するよ」
 日曜日の朝、私は軍手をはめ、庭に降りた。
 一段低い地面に降りると、不思議と視界が開ける。最初はここに、グリーンを植えようと言ったんだっけ。部屋にも観葉植物を買い足そう、あ、前にもこの話はしたか。あっという間に雑草に追いやられてしまったけど。本来は効率の良さがあるのだろうが、手の伸びたところから葉っぱを回収するとあっという間に袋いっぱいになる。
「ね、白い花ってかわいかったよね。グリーンに映える白い花だよ」
怖い物知らずのきみはケラケラ笑う。
あのさあ、と私は尋ねる。
「梅雨のあとって初夏? それとも梅雨の前が初夏かな?」
異常気象の前触れに私は汗をぬぐった。


END

『白い花と雨のこと』文芸誌Sugomori 小野寺ひかり/お題「雨」

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