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きさらぎみやび『夏の日とシェーブルチーズ』

今回はゲスト作家としてきさらぎみやびさんが登場!
気軽に海外旅行へも行けない昨今。
≪私≫の心は料理をしながら世界へと旅立つ。

 大きな窓から夏の日差しが降り注ぐキッチンに立ち、私はいつものように料理を始める。

 ゆるいカーブを描く輪郭にあわせて優しく左手を添え、右手に握った包丁に力を込める。すこん、という小気味良い音を立てて緑色も鮮やかなズッキーニが真っ白な断面をさらす。みずみずしい緑色はそれだけで夏の煌めきを私に感じさせて、包丁を動かすリズムもなんだか弾んでいくようだ。私はそのまま手を止めず、すこんすこんと続けてズッキーニを刻んでいく。二本分のズッキーニを刻み終わったら、今度はタマネギを取り出してペリペリと皮をむいてから、薄切りにスライスしていく。ズッキーニとはまた異なる折り重なった皮を切るざくっとした感触が手に伝わってきて心地良い。

 隣のリビングで絶賛お掃除中の彼氏は料理はいちいち野菜を切るのが面倒くさいなんていうけれど、私はこの無心になれる作業こそが料理の醍醐味だと思っている。こんなにも楽しい作業をやらないなんてなんてもったいないんだろうと思うわけだけど、彼は彼で私の苦手な掃除について、物事が片付いていくのが心地よいといってずいぶんと楽しんでいるようなので、幸運にも私達はお互いにWin-Winな関係が築けている。

 それにもうひとつ。私が料理を好きな理由は、それが世界と繋がっているからだ。いきなり言われてもピンとこないかもしれない。でも考えてみて欲しい。あなたが料理をするときに、その食材がどこで作られたものかを考えてみたことはあるだろうか。当然考えている、全部国産だよ、なんて人もいるかもしれないけれど、あんがい原産地までは見たことがない人も中にはいるんじゃないだろうか。チャーハンに使おうとしているそのエビは、インドネシアのマングローブの林の中で養殖されたものかもしれない。ステーキに使う牛肉はオーストラリアの農場でのんびりと過ごしていたことがあるかもしれない。スパゲティに一生懸命振りかけているタバスコソースはメキシコの農場で育てられたタバスコペッパーを使っているかもしれない。三畳にも満たないキッチンスペースの中に納められた食材や調味料たちは、世界中のあちこちから長い旅をしていまここに辿り着いている。それはなんて素敵なことなんだろうと私は思うのだ。

 だから疫病によって人々の移動がままならなくなってしまった巣ごもりの日々の中でも、料理をしているときの私の心は広い世界を駆け巡っているのだ。 

 私は想像の翼をはためかせながら、料理の続きにとりかかる。タルト生地を薄くのばし、所々にフォークで穴をあけてから、大きめのタルト型にまんべんなく敷き詰める。さきほどスライスした野菜たちを炒めてから白ワインで香り付けをして、蒸し焼きにする。熱を冷ましてからそれらを生地の上に並べていく。ここで取り出すのが今日の料理のポイント、山羊のチーズ。シェーブルチーズとも呼ばれるこれは最古の乳製品とも言われている。人によっては癖のある味だけど、私にとっては最高の食材の一つで、これはフランスから取り寄せたもの。これを細かく刻んでちらしてから、卵に生クリームを加えたものを流し込んで、最後に180度のオーブンで焼き上げる。

 オーブンを覗き込むと、タルト生地の上でシェーブルチーズがほどよく柔らかくなっていくのが見える。遙か遠くの異国から届いたこのチーズは、私の中でちょっと特別なものなのだ。

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