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文学フリマ特別号・誠樹ナオ『隣人はサイボーグ』

11月23日開催予定の文学フリマに再び
Sugomori文芸誌として出店いたします!
そこで今月号も、文フリにて刊行する小説を無料公開でチラ見せ!
各作家が【隣人】をテーマに執筆いたします。
文芸誌には他にも、作家たちによる企画ものなど掲載予定です。
詳細はまた後日お知らせいたしますので、ぜひお楽しみに!

10月1日(金)快晴
 俺の会社員人生が本当の意味で始まりを告げた。勝利のファンファーレに備えて日記をつけておこうと思う。社会人としての苦渋の日々がついに180度変わるのだから。

 転勤が明けて、いわゆる栄転という形で本社に戻った配属先の隣の席にいたのは、同期の鬼頭という男だった。その正確無比な仕事ぶりからサイボーグと呼ばれて久しい。

 役職は部長代理だ。俺の部長補佐より少し上だが、代理と補佐という役職があることが我が会社ながら解せない。些細な違いだが、入社以来、鬼頭を抜いたことがないという点が重要なのだ。

 役職は元より、部署で営業成績ナンバーワンを先に叩き出したのも鬼頭だし、俺が先に目をつけていた我が社最大の取引先を実際に契約まで持ち込んだのも彼。そもそも新人研修の謝辞に選ばれた時は耳を疑ったし、新人歓迎会では真っ先に社長にお酌をした抜け目のなさだ。結婚したのも、子どもが生まれたのも俺より先……中学受験で入学した学校の偏差値も微妙に鬼頭の長男に軍配が上がった。バレンタインデーのチョコレートの数で勝ったことがないし、社内のマドンナだった社長秘書に告白された時は同期の嫉妬の的になった(しかもあっさりと断った)。

 ぴっちり七三の横分けでメタルフレームの眼鏡をかけ、比較的緩い服装が許されているうちの会社でも三揃いのスーツを隙なくきっちり着こなしている。ワイシャツはいつも白。胸には万年筆を刺し、袖口には品のいいシルバーのカフスボタン。履き込んでいる革靴はいつもピカピカだ。神経質そうな無表情で、カツカツと靴音も高く社内を早足で歩いている。

「お帰りなさ〜い、白沢さん。相変わらずイタリア〜ンなスーツがお似合いで。あれ、イタリアに出向でしたっけ?」
 反対側の隣に座っているのは直下の後輩の弘末だった。わかりやすいおべんちゃらだが、悪い気はしない。以下は弘末との会話である。
「大阪だ」
「白沢さんのイメージじゃないですよね」
「まあな。それより、何か鬼頭の面白い話はないのか」
 会議で席を外し、隣席は空席になっている。その間にいなかった数年の情報収集をせねば。

「そういえば、最近、ちょっと噂になってますね」
「噂?」
「鬼頭さんって最近、13時、15時、17時にきっかり時報のように20分くらい休憩をとるんですけど、その姿を見た人は社内に誰もいないんですってぇ」
「誰も?」
 っていうか、なんで20分なんだ。
「普通に昼休み取らないのか」
「そうみたいっすね」
 昔から、デスクで昼を食べつつ仕事をし続けるようなヤツだったが、とうとう1日の休憩時間のトータルが1時間を切ったというのか。
「……意味がわからんな」

 弘末が顔を近づけてきた。ちなみに弘末は俺の3倍はあろうかというまんまるの身体にまんまるの顔で、近づけてくると視界が弘末でいっぱいになる。俺にとってはいいヤツだが、弘末の顔で目の前をいっぱいにする趣味はないのでなんとかしてほしい。
「でも、何してんのか興味ありますよね」
「まあな」
 涼しい顔で抑えはしたが、まあな、どころではない。大いに興味を惹かれる。上手くすれば、鬼頭の失脚や降格の材料になるかもしれないではないか。

「弘末、今朝指示しておいた資料はできているか」
「はいいいいい!」
 ドアのところから噂の当人の声がして、俺たちの会話は終わった。会議から戻ってきた鬼頭が姿を見せるなり、部屋の中がぴーんと張り詰めた空気になるのが分かる。姿を見せるだけでみんなが緊張する、鬼頭とはそういう男だ。この空気は気詰まりでもあり、どこか懐かしいものでもあった。

──

10月18日(月)曇り
 土日が明けて、新しい週が始まった。今日も多忙を極める隣は空席だ。
「白沢さん、スーツどちらで仕立てていらっしゃるの?」
 データ不備を指摘しにきたはずの経理の女子に、お菓子を渡して世間話をしているうちに和やかな空気になる。俺の持論は、上司よりは事務の女性にこそ愛想良くしておくべきだ。彼女たちがいなければ、コピー用紙の場所ひとつ俺たちは分からないのだから。
「イタリアでオーダーメイド……と言いたいところだけど、うちの薄給で無理に決まってるだろう〜。量販店の吊るしだよ」
「えー、見えなーい」

 こんな会話ができるのも、鬼頭がさきほどから別室で取引先と電話しているからだ。さすがに2週間も経てば慣れてはきたが、あいつが作り出すシーンと張り詰めた空気には俺ですら背筋が伸びる。
「弘末、この型番の在庫があるか購買に行って聞いてこい」
 案の定、鬼頭が電話から戻ってくるといつの間にか経理の子はそさくさと消えていた。

 静かな声なのに、有無を言わせない威圧感がある。察するに、納期通りに納品されていないとでもクレームが入っているのだろう。
「はいいい!」
「直近でいつ納品できるか、納期の確認を忘れるな」
「はいいいいいい!!」

 おっと、サイボーグ鬼頭が隣で目を眇めて俺を見ている。俺が、余計なことを考えているのがわかったんだろうか。彼の目は、千里眼なんじゃないかと思う。

──

11月2日(火)晴れ時々曇
 今日こそ、休憩時間の鬼頭を写真に収めたかったのに、また撒かれた!
後ろ姿から一切目を離さないのに、いつの間にか消えている。忍者か!!
「あれ〜、今日もダメだったんですか〜?」
 イライラと席につく俺に、弘末が話しかけてきた。
「別に」

 鬼頭は噂通り、昼は俺たちがメシから帰ってきた13時ごろに出て行って、20分ほどで戻ってくる。そもそも忙しいのもあるだろうけど、いつまともにメシを食ってるのか疑問だ。ほんの20分でいつも何をしてるって言うんだ。いつも休憩開始に合わせてきっちりタイマーをかけ、止めるときに画面を見てうっすらと笑っているのも気にかかる。
 なのに部署の人間どころか、受付ですら誰もその姿を目撃していない。 どういうことだ。いったいどこで何をしているんだ。

「失敗し続けててよかったわね〜。万が一うまくいったら、白沢くん消されるんじゃないの?」
 主任の佐々木がクスクスと肩を揺らす。彼女も俺の同期で、スタイルの良さと同じくらい仕事の出来が良い。そして、耳が速いことでも定評がある。なんで俺が鬼頭の休憩時間を暴こうとしているのか知っているのかと思うが、どうせ弘末あたりが話したんだろう。

 ここまでくると、俺も後には引けなくなっていた。
 俺は諦めない。
 諦めたら、そこで試合終了だ!
「その気合い、仕事に回したほうがいいんじゃないの」
 佐々木が呆れたように呟く。でも、俺は諦めたりはしない!

──

11月13日(水)晴れ後雨
 さっきまでいい天気だったのに、急に空が暗くなった。
「雨か……」
 隣席で目にも止まらぬ速さで叩いていたキーボードの手を止め、不機嫌そうに窓の外に目をやる。鬼頭は雨の日になると若干いつもより機嫌が悪くなる。と言っても、小雨で大した雨ではない。
「傘を持ってないのか?」
「折り畳みがある」
 相変わらず、不必要なことはまるで話さない。こいつ、どうしてこんなに暗いんだろうねえ!

「少し席を外していいか。10分以内に戻る」
「了解した」
「何かあれば社用携帯に」
「ああ」
 と、言われて素直に見送る俺ではない。鬼頭が部屋を出たのを見計らって、後をつける。高い背をすっきりと伸ばし、靴音も高く早足で歩いていく。
 よし、今日の尾行は順調だ! これで鬼頭の目的地がついに判明するはず。知りたいことを掴んだら、どこかで背後から声をかけてやろうか。さぞ、びっくりすることだろう。その時の顔を想像すると、ほくそ笑みたいような気持ちになる。

 ──の、はずだったのに。
 角を曲がったところで……急に鬼頭の姿が音もなく消えた。
「またか」
 あんな人目を惹く背の高いイケオジが、どーやって消えるんだあああ。

──

11月14日(木)雨
 雨にまぎれれば、どうにかなるかと思ってレインコートまで用意したのに、今日も鬼頭の尾行に失敗した。

──

11月15日(金)曇り
 今日もサイボーグ鬼頭の写真を撮れず。

──

11月18日(月) 晴れ
 今日も尾行に失敗した。連戦連敗。8連敗だ。 連敗記録が2桁になる前に成功したいと思っていたが、難しいかもしれない。
「週末にリフレッシュして……練習したのに」
ブツブツこぼすと、佐々木がニヤニヤと笑っている。
「白沢の尾行は、雑念が多すぎて気配がダダ漏れなんじゃないの〜?」
ううう、なんでなんだあああああぁぁぁ!!

──

11月22日(月)晴れ
 仕事に集中しようとはしているものの、どうにも気は晴れない。というのも、鬼頭の雰囲気は俺が転勤する前に比べれば、随分と変わっていた。

「これは業務命令だ!しばらく出勤しなくていい。最低でも来週頭までは出てくるな!」
「はい、すいません!ううう……」
 営業先から戻ってくると、ヤツが女性社員に対して珍しく大きな声をあげていた。指導するときや叱るときですら、鬼頭が声を上げることは珍しい。いつも怜悧な雰囲気を崩さず、淡々と指摘する。それが余計に怖いんだけどね。

「鬼頭、何に怒ってんだ?」
「子どもが体調悪いのに、ダンナさんも忙しいし、病児保育もいっぱいで出てきちゃったんだって」
「休めって怒ってんのか?」
 泣いている社員は、よく見れば嬉し泣きのようだった。いつも自分のことしか考えていなかった鬼頭は、部下の立場を慮って声を荒げるようなヤツだったのか。

──

11月23日(火)曇
 この日は、俺の気分を映し出したかのような曇り空だった。
「ここんとこ変な天気っすねえ〜」
「そうだな」
 クサクサするまま弘末と営業先から戻ろうとすると、馴染みの店のショーウインドーが目に入る。
「あれに似合いそうだな」
「え?」
 思わず漏れていた声を、弘末が聞き咎める。

「やだなー、奥さんへのプレゼントですか」
「いや、違……まあ、そうかな」
「もしかして、彼女さんですか。このこの」
「アホか」
 肘で突かれて、弘末の視線の先が目に入る。俺が見ていた店を、隣の女性向けブランドの路面店と勘違いをしているようだ。

「あれ、鬼頭さんだ」
「え?」
 俺の馴染みの店の紙袋を持って、鬼頭が路地を抜けていく。まさか、鬼頭もあの店を愛用しているというのか!?
「もしかして──」
「あ、白沢さん!?」
「先に帰ってろ。上には適当に言っておけ」
「そんな、白沢さーん!」
 弘末を放置して、俺はその場を駆け出した。

──

 鬼頭がいたのは、社屋の裏手にあるベンチだった。茂みに囲まれ、ぱっと見そこにベンチがあるとは分からないような場所だ。こんなところがあったのか。
「鬼頭!」
「白沢──どうしてここに?」
「その……」
 俺もカバンから鬼頭が購入していたのと同じロゴの紙袋を出した。会社のみんなには見つからないように出張先のお土産の紙袋に紛れ込ませていたものだ。それは、俺の馴染みのペットショップのもので、しかもオリジナルで飼い犬や飼い猫のデザインを入れたグッズを作れるサービス限定のショッパーだ。
「お前も……作ったのか」
「まあな」
 鬼頭は視線を逸らしながら、懐に入れた定期入れを見せてくれた。そこには、テリアのような愛くるしい犬のイラストが入っている。

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「ココアっていうのか」
「本当は車につけるステッカーを作ってもらったんだが……それだと家に帰ってからしか見れないだろう。それで、小さめのも作ってもらってだな」
 その追加注文が例の10分だったのか?
「テリアか?」
「雑種だ。保護犬だからな」
「なるほど。市販のグッズでは犬種が当てはまらないんだな」
「そうだ」
 うちもそうだからよくわかる。柴犬やチワワなど、犬種が定まっている犬はいい。市販のグッズはごまんとある。だがどのカテゴリーにも入らない犬のグッズは、この世に存在しないのだ。そうなれば作るしかないではないか!!
 このデザイン企画の売り上げは、保護犬の保護のための費用に充てられている。そういう店だからこそ、我が家の大切な行きつけショップなのだ。

「デザインの元の写真はないのか」
「ある」
 スマホのフォルダは夥しい犬の写真と動画で埋め尽くされている。
「白沢のはどうなんだ」
「うちのはこれだ。マシューという」
「可愛いな……俺は、白沢が犬を飼っていることはわかっていたぞ」
「え?」
鬼頭がふっと口元だけで笑う。
「スーツに毛がついているからな」
「だから……わざわざ柄物にしていたのに」
「フッ、対策が足りないな。小型のコロコロはいつも常備しておくものだ」
 自慢げに言う鬼頭に、思わず吹き出してしまう。

「隣の席でいつも仏頂面をしているかと思えば……そんなことを考えていたのか。一日3回の休憩は、なんなんだ」
「ペットカメラを確認しに行っている」
 なるほど、そういうことか。
「長時間の休憩より、何度も確認できる方がいいわけだな」
「そういうことだ」
 雨で機嫌が悪かったのは、帰宅後の散歩を心配していたからだろう。俺もそうだからよく分かる。

「鬼頭」
 俺は鬼頭の瞳の中をジッと覗き込む。
「今度の休み、一緒にドッグランに行かないか?」

                                    了

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