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【無料】中馬さりの『ポワブロン殺人事件』前編

「そんな理由で人を殺すのかって言うんでしょう?」

 笑みを含めながら並べられた言葉に、僕は顔をしかめる。まわりくどい振る舞いとバカにしたような態度が腹立たしい。

 しかも僕の横にいる探偵・御剣先生はこの手の話にまったく興味がないらしく、綺麗に整えられた赤いネイルの先を眺めている。

「どうしてそんなに平然としているんですか」

 想像以上にか細い声がでて、情けなくなってしまった。向かい合う相手は僕の様子を気に留めることもなく、「料理人には遊び心も必要なんだ」と語り始めた。

 もし全ての料理人が真っ当なら、この世は食べられずに朽ちる食材ばかりだっただろう。
 我々料理人の好奇心とプライドは、食材を活かしている。たとえ誰かの命を奪っていたとしても、と。

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 20××年某月――セ・デリシュー日本フランス料理協会の美食コンテストが開催された。

 それは日本が世界に誇るフランス料理の専門協会。新米シェフの育成や独立支援などフランス料理に関わる様々なことに関与していて、日本に住んでいるものなら一度は耳にしたことがあるはずだ。

 なぜなら代表を務める八重樫東次郎シェフがタレント顔負けの人気者だからである。

 若かりし頃に国際コンクールで披露したその腕、積み上げるほどの著書。テレビ出演をきっかけに得た消費者からの支持に憧れる若者は多く、八重樫氏もとい協会の影響力は大きい。

 先日迎えた70歳の誕生日記念パーティーなんて、ニュース番組がこぞって放送していた。

 そのセ・デリシュー日本フランス料理協会が最も力を入れているのが2年に1度開催される美食コンテスト。

 グルメ界隈では知名度も高く、多くのシェフが参加した。本選に出場さえすればメディアへの露出は確約され、パトロンがつくことも少なくない。野望を抱く若者にとって大きな目標たりえるものだった。

 その美食コンテストの決勝で、人が死んだ。

 正確には審査員のひとり、郷田雄二氏が死亡。さらに、代表の八重樫氏も意識不明の重体。原因は決勝戦の料理に混入していたアルカロイドによる中毒だった。

 アルカロイドというのは天然由来の有機化合物の総称。モルヒネ、エフェドリン、コカインなど様々なものがあるが、どれも激しい毒性を持っている。

 今回、検出されたアルカロイドはアトロピンという物質だった。

 アトロピンは主にナス科の植物に含まれる。本事件でも被害者達に決勝戦で提供された料理――ピーマンのファルシから致死量のアトロピンが検出された。

 ファルシとは肉や魚、野菜などの中に別の食材を詰めた料理。フランスの家庭料理としても愛されるこのメニューは美食コンテスト決勝戦の課題料理として指定されていた。

 しかし、ピーマンに含まれる通常のアトロピンで死に至ることはまずない。ネズミなど小さな哺乳類ならいざ知らず、人間であれば食材特有の苦み程度のものでしかない。

 ただ、解剖の結果、使用されたピーマンには致死量を超えるアトロピンが加えられていた。つまり、自然界にある毒を使った計画的犯行だった。

 当然だが美食コンテストは中止に。犯人の候補としてあげられたのは、決勝で料理を提供した3名のシェフである。

 それぞれのシェフの言い分としては……。

「羽崎くん、君は私の助手だったよな。それならもう少し静かにしてくれないか」

 ここまで事件の概要を並べ立てて、初めて声をかけられた。

 不機嫌そうな顔を浮かべながら、僕・羽崎透の先生 ―― 御剣探偵事務所に所属する唯一の探偵・御剣京子は言った。

 「せっかく警察がシェフ達にピーマンのファルシを注文してくれたのに」とぼやく様子は、気難しいただの美人。

 だが、彼女は僕の「探偵」に対するイメージを変えてくれた存在だ。

 今、日本の探偵が受注している仕事は人や物探し、浮気相手や婚約者などの身辺調査。

 かの有名なシャーロックホームズのようにさっそうと事件を解明することも、ターゲットを腕時計型麻酔銃で眠らせて推理ショーを開催することもない。

 探偵助手をしたいと具体的に考え始めて、そういう華やかな「探偵」はやっぱり物語の中だけに生きている現実に直面した。

 けれど、御剣先生は違う。

 どういう経緯があったのかは知らないのだけれど、定期的に警察から依頼を受けて、事件を解決している。

 そのたびに警察に我が儘 ―― 例えば今回の毒殺に使用されたピーマンのファルシを容疑者のシェフにそれぞれ作ってもらいたいだとか ―― を聞いてもらっている様子と通帳の預金額を見ると、かなりしたたかにやっているんだろう。

 そして余談だけれど、あの見た目もズルい。

 猫のように吊りあがった目に、陶器のような肌。胸の下できっちりと揃えられた夜のように真っ黒なロングヘア。とくに今着ている真紅のタイトワンピースは、東洋の女性らしい浮世離れした雰囲気を醸し出している。

 こんな女性にもし街中で話しかけられたとしたら、僕みたいな男はまるで蛇ににらまれたカエルのように固まるしかないだろう。

 ただ、彼女は探偵で、その才能を世にひきだすのは僕の探偵助手としての役目。ここで引き下がるわけにはいかなかった。

「そうは言ってもですね、御剣先生。

セ・デリシュー日本フランス料理協会の美食コンテストって言ったらテレビで特番が組まれるほどのイベントですよ。その決勝戦での毒殺。しかもあの、大スター八重樫氏も重体。世間が野放しにするわけがありません。

そんな事件の対価として、先生は容疑者達からの料理を要求して、もう胃におさめてしまったでしょう?

僕も当事者たちに話を聞いてきました。いつものように推理してくださいよ」

 僕がまくしたてるように急かすと、御剣先生はやれやれといった様子で肩をすくめた。

「仕方がないね、優秀な私の助手はすでに事情聴取を済ませているんだろう? 順番に話を聞かせてもらうことにしようか」

 やっとやる気になってくれたらしい。僕は事件の当事者たちから聞いた話を順番に伝えることにした。

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【運営担当 柳田 忠孝(42)の証言】

 まず話を聞いたのはコンテストの運営を担当していた柳田忠孝だった。

 小柄でひょうひょうとした印象の柳田は、バツが悪そうに「決勝に進出していた恩田、安西、八城の3名のシェフが容疑者として考えられてしまうのはその時の状況が理由でしょう」と証言した。

 セ・デリシュー日本フランス料理協会の美食コンテスト決勝戦では2つの料理審査が行われる。

 1つ目はレシピや食材、盛り付けまで細かく指定された課題料理。
 2つ目は、それぞれが得意なレシピを選べる自由料理。

 課題料理はどのシェフがどれを作ったか伏せた状態で審査され、純粋な技術だけを競う。

 これは八重樫の「真の料理人であれば名前をふせた状態でもそのこだわりが垣間見える」という考えから始められた審査方法だった。

今回の死因となったアトロピンは、そのうちの課題料理 ―― No.1のピーマンのファルシから検出された。

 決勝に進出したのは恩田、安西、八城の3名のシェフであったため、No.1からNo.3までの料理があった。

 もともとの運営予定ではNo.1の課題料理は恩田のものであったが、本人は容疑を否認。

 誰が作ったか伏せた状態で配膳されたこともあり、警察も恩田の言い分を無視できず、捜査が難航した。

「何番目にどのシェフの料理を配膳するかは被害者の郷田に一任されていました。運営スタッフもどれがどのシェフの料理かわからないんです」

 もともとコンテストの審査は八重樫の一存ですべてが決まるのは周知の事実。そのため、順番なんて関係なかったのだという。

 課題料理はシェフがひとりで調理をすすめ、審査員であり被害者でもある郷田雄二がそれぞれ受け取り、番号順に並べることになっていた。

 郷田の"審査員"という肩書きはあくまで運営をスムーズにするためのもの。

 むしろ部外者から八百長を疑われないよう、どの番号がどのシェフのものなのか、八重樫を含む周囲にバレないよう配置することが郷田の仕事でもあったらしい。

「それでも、誰がつくったかなんて見れば分かる気もしてしまいますけどね」

「この決勝じゃなければ、ですよ。
決勝に進出していた恩田、安西、八城はあの八重樫を師にもつ世界レベルの料理人。そんな彼らが、本気で指示通りに作った料理を識別するなんて天才にしかできません」

「そんなものですかね」

「審査員長の八重樫だけは食べて判別できたかもしれませんが……、彼も意識不明の重体ですから」

 八重樫の舌がなければ、コンテストの勝敗に関わる機密事項を知るのは郷田だけ。

 それだけ、八重樫の舌と郷田の信頼は厚かったのだろう。

「八重樫と郷田の仲は確立されたものでした。役割がハッキリしていたのもあるでしょうね。

料理に関しては八重樫がすべて、それ以外の金銭管理や経営はすべて郷田が担っていました。

良くも悪くも八重樫は料理の天才です。しかし、うまい料理を作るだけでこれほどの財産を築くのは難しい。

手段を択ばない郷田の采配は反感を買うことも多かったようですが……」

 そこまで言って、柳田は言葉を濁した。

 何にせよ、毒物入りの料理を作ったのは恩田、安西、八城の誰かであることは間違いない。

 しかし、どうして郷田や八重樫なのか。こういうのはライバルを蹴落とすのが定石ではないのか。まさか、審査員に毒をもるなんて。

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【東京西麻布レストランテ・オンダ 恩田 裕也シェフ(38)の証言】

 容疑者のうち最初に話を聞けたのは、東京西麻布でレストランテ・オンダを経営する恩田裕也シェフだった。

 審査員長である八重樫の一番弟子で、日本で最も注目されているフランス料理人。

 今回の美食コンテストで優勝した場合は史上初の三冠達成となること、主張の激しい性格、少し強引な印象を裏切らないビジュアルから、多数のメディアに取り上げられている。

 しかし、周りがどれだけチヤホヤしようと本人は「別にまわりに三冠を期待されようと、俺は自分の料理をつくるだけだけどな。上手い料理をつくったヤツが優勝する。俺よりマズいヤツは優勝できない。それだけのことだ」なんて歯に衣着せぬ物言いを場所を選ばず言ってしまう。

 そんな振る舞いに盲信するファンもいるが、喧嘩や不仲などの噂が絶えないのも事実。

 当初、恩田は容疑者の筆頭として挙げられていた。毒物が含まれていたのはNo.1、つまり"恩田が作ったとされる"ピーマンのファルシであったためだ。

 その件に関して直接、恩田に尋ねると

「誰が何番目の料理を作ったかわからないなんて、協会関係者は全員知っているさ。

そもそも俺には動機がない。セ・デリシュー日本フランス料理協会だって、俺にとっちゃ師匠が隠居生活を見越して始めた道楽だ。

あの地位や名声を手に入れる前から、俺は八重樫の技術を尊敬している。

協会の世話になっていないとは言わないが、俺は協会の人間である前に八重樫の弟子だ。代表に担ぎ上げられる気もなければ、運営に口を出す気もない。

俺にとって郷田も八重樫も殺すような存在じゃないだろう」

と否定していた。

「たしかに、恩田さんにとって郷田さんも八重樫さんも邪魔な存在ではないんでしょうね」

 むしろ恩田は八重樫と15年以上に及ぶ師弟関係があり、手をださなくても自動的に後を継がざるを得なくなるだろう。

 ただ、事件前に言い争いをしていたのが目撃されていた。

 事件前は決勝のための調理をしており、話していたのは5分程度。周囲は人通りが激しく目撃者もおり、もう1人の容疑者である安西が取り持ったことですぐに終わったそうだ。

 喧嘩っ早い恩田が言い合いをするなんて日常茶飯事だろう。しかし、その理由を恩田に聞くと「事件とは関係ない」と口を閉ざしてしまった。

「俺からしてみれば、安西の反応の方が異常なんだよ。俺と八重樫が喚きながら意見交換するなんて10年以上も昔からずっとだぞ」

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【銀座 フルレット・パリ 安西 美紀シェフ(34)の証言】

 八重樫の二番弟子、つまり恩田の妹弟子にあたるのが、銀座にあるフルレット・パリを経営する安西美紀シェフだ。

 裏腹に繊細なデザインと味付けに定評があり、世界中にファンが多い。気が強い性格も海外ではウケがよく、女性誌での連載もいくつか持っていたはずだ。

 そんな彼女曰く、八重樫と恩田の関係性は「親子のようなもの」なのだそう。

「恩田にとって八重樫は料理の道を開いてくれた存在。もちろん私や八城にとっても。八重樫がどう思っていたかはわからないけれど、私達3人の料理から毒物がでるなんて信じられないわ」

 事件当日の恩田と八重樫の口論も、よくあることなのだそう。

 口論の内容は主に今後のフランス料理の行く末や、食材の合わせ方、盛り付けの美学など。当日の内容までは聞いていないが、言い争いをしていたからといって恩田が犯人とは限らないと主張した。

「メディアを通すと、八重樫も恩田も何もかも持っている人間みたいな気がするでしょう?

そんなことないのよ。ふたりとも、フランス料理しかない人間なの。

だから、あの二人の言い争いは"じゃれあい"ね。同じレベルで同じものに向かい合える関係に甘えてるの」

「でも、それならなぜ止めたんです? 」

 恩田と八重樫の口論がいつものことだというなら止める必要はない。だが安西はいつもより仲裁した。むしろ止めたからこそ、周りが注目したのではないだろうか。

 彼女は視線を左下にさまよわせた。

「……たしかに普段だったら止めもしないわ。

ただ、八重樫ももう年だからね。ここのところ血圧も高くて、医者から降圧薬を処方されたのよ。

 あまり詳しくはないけれど、喧嘩もよくはないはずでしょう? だから熱くなったふたりを止めたの」


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【自由が丘 アン・モモン・プー・ソワ 八城 正志シェフ(28)の証言】

 八重樫の弟子と表現すると、自由が丘にてアン・モモン・プー・ソワを経営する八城正志シェフはぴしゃりと否定した。

 八城曰く、八重樫の弟子は直々に指導を受けた恩田と安西だけなのだという。

「セ・デリシュー日本フランス料理協会がフランス料理専門学校や通信教材をだしていることはご存知かと思います。

それらが八重樫の意思を反映していないとはいいません。だからある意味では、八重樫の弟子は全国各地にいるだろうし、僕もそのひとりといえます。

ただ、八重樫の味を受け継ぎ、本当にうまい料理を作るのは恩田。そして安西ですから」

 同じ決勝に進出した人間とは思えない強い口調。

 コンテストに出場するライバルでありながら、八城と安西が自分よりうまい料理を作ると確信しているその様子は、勝負を投げているのと同義ではないのか。僕は違和感を無視できなかった。

「安西さんは八城さんや恩田さんを区別するような発言はしていませんでしたが……。全員、八重樫を料理の道を開いてくれた存在として慕っているはずだと」

「安西は優しいですからね。

……これはメディアには伝えていないので内密にしてもらいたいのですが、私は八重樫の甥にあたるのです。

正確には、幼少期に八重樫の兄夫婦に養子として迎えられたので血もつながっていません。

もっというと、引き取ってくれた八重樫の兄夫婦も私が高校を卒業する頃に事故死しました。

あの事件の後、まだ将来を考えてもいなかった私を弟子という形式で指導してくれたのが八重樫なのです。

だから私にとって八重樫はいい叔父であり、後を追えば育ての両親が喜ぶ明確な人生の目標でもありました」

 八城が八重樫のもとで料理を学び始めた時、すでに恩田と安西は弟子として八重樫のもとで働いていた。

 志願し八重樫の後を負った恩田と安西。対して生きるために成り行きで弟子になった八城。彼がふたりと自分を区別して考えるのは当然なのかもしれない。

 ――八重樫の弟子達を調査したものの、どれも決定的な話ではない。

 決勝前に八重樫と言い争いをしていた恩田。それを止めに入り、結果として周囲に言い争いを印象づけた安西。八重樫の甥にあたると告白した八城。

 事件の状況から、この3人の中に犯人がいるのは間違いないのだが。

(続)

後編は2020年9月3日(木)予定です。

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